番狂わせ
「くそっ……! なんなんだあいつは……」
わずか三分間のことだった。明良はウルトラマンもびっくりの早さでバックヤードへと逃げ戻って来た。
「全く取り合ってもらえなかったぞ……」
俯き加減に座り込み、ひどく落胆する彼の隣で、僕は苦笑を浮かべる他なかった。やっぱりな――月並みな感想ではあるが、この一言に尽きる。予見していた通り、現実は厳しい。恋愛マイスターを自任する彼とて、彼女とまともに会話することすら出来なかった。
「ほら、言わんこっちゃない」
「オレのコミュ力不足だ……情けない……」
何の実績もない恋愛云々は置いておくとして、高いコミュニケーション能力と物怖じしない性格の二つを併せ持つ明良でさえも尻尾を巻いて逃げ帰ってしまうのだ。況や常人をや、考えただけでも寒気がしてくる。そしてある真理に辿り着く。喜治姫華はエベレスト山頂にある高嶺の花、そんじゃそこらの人間の手に届く代物ではない――僕はそう確信するに至った。
「くそっ、作戦を練り直して―…」
「明良、もう止めとけって……」
「でも……」
僕は首を横に振って、諦めるように強く促した。しかしそれは彼の傷心だけを思い遣っての行動ではなかった。これ以上無駄なアプローチを続ければ、彼女たちの気分をも害しかねない。そういう配慮から、僕は彼女に対してのリベンジを期す彼を思い留まらせようと説得した。
「やっぱり無理かな~…」
彼はため息交じりに弱音を吐く。よしよし、その調子だ――僕の思惑から外れることなく立ち込める暗雲の表情、やがて諦めムードになりかけたその時、
「明良! なに弱気になってるウキ! 諦めちゃダメウキよ!」
「そうだぞ……って、おいっ!」
類人の余計な一言は明良を再びその気にさせてしまうかもしれない。僕はそれを阻止すべく、
「時には諦めも肝要だぞ!」
少し強めの口調で異論を抑え込もうとするも、
「そんなことないウキ!」
「まだチャンスはあるウキ!」
「一人でダメなら二人で挑戦するウキよ!」
「類人……」
類人の発した慰めの言葉は容易にも明良の闘志に火をつけた。そして再挑戦に向け、二人は共闘を誓い合った。その様子を傍で見ていた僕は今更横槍を入れるのもどうかと思い、三度、事の成り行きを静観することにした。
(どうせ失敗するに決まってるさ……)
ショックを引き摺っているのか、依然として押し黙っている犬伏も恐らく同感であろう。やがて二人は難攻不落の敵陣へと歩みを進めた。僕はその背中を見届けるや、手元の時計に目を落とす。どれくらいの時間で戻って来るだろうか、僕の興味はその一点に絞られていた。
「あ、あの……!」
「またアンタ!? 一体何なのよ!」
明良は取り巻きの一人に捲し立てられ、初手でタジタジになる。しかし彼女らと初対面の類人は全く怯む様子を見せない。
「これから大道芸を披露するウキ!」
「大道芸!? 何なのよそれ、下らないわ」
他の取り巻きから小馬鹿にするような物言いで邪険に扱われるも、まるで意に介すことなく続ける。一方の喜治姫華本人は、類人の発案について何を言うでもなく、ただ好奇心の欠落した無機質な視線を二人に浴びせるだけだった。
「まあ、見てて欲しいウキ!」
「明良、やるウキよ!」
類人は相変わらずの調子で元気に言ってのけるや、すぐさま件の猿回し芸に取り掛かった。やがてそれは瞬く間に彼女らの目を引いた。原義に反する文字通りの「猿真似」に一同笑いを堪えられないようだ。そして―…
「ふふっ……」
僕は目を疑った。クラムボンではない。喜治姫華が笑ったのだ。口元を手で覆い、体躯を小刻みに震わせながら、漏れ聞こえるすすり笑いに、その取り巻きも含め、みんな目を丸めて驚いていた。そして一通り芸をやり終えた後、
「あなた、面白いのね……!」
余程ツボに嵌まったのだろう、彼女は目に涙を浮かべて笑っていた。今まで身に纏っていた近寄り難さはいつの間にやら影を潜め、明るい笑顔の映える表情は今までのクールな立ち居振る舞いよりもずっと魅力的に思えた。
「お名前は……なんておっしゃるの?」
「類人ウキ! 宇喜田類人!」
「私は喜治姫華と申します、よろしくね」
二人は互いに自己紹介を終え、軽く握手を交わすと、
「連絡先を交換しませんか?」
そう言って彼女は携帯電話を取り出し、類人に連絡先を求めた。
(こんなことって……あるの……?)
僕は想像だにし得なかった超展開に、内心でその言葉を繰り返していた。目の前で起こっている現実をまだ受け入れられず、ベタに頬を抓ってみる。何からも醒めない、やはりこれは現実だ――そう再認識するにつけ、僕はとんでもなく貴重な場面に遭遇していることを自覚した。
「オイラ、携帯持ってないウキ……」
「あら、そうなの!?」
「それなら―…」
すると彼女は類人を呼び寄せ、何やら耳打ちする。気になる話の内容は残念ながら分からない。しかし類人の表情から察するに、悪い話でもなさそうだ。
「分かったウキ! 約束ウキ!」
そう言って小指で契ると、彼女は席を立ち、取り巻きもそれに続いた。そして一行がその場から立ち去った後、バックヤードに凱旋した英雄に何を約束したのかと問い詰めるも、
「ふふ~ん、秘密ウキよ!」
どこか勝ち誇ったような表情で言葉を濁す。僕は目の前で繰り広げられた奇天烈な番狂わせを、「青天の霹靂」と理解する他に方法はなかった。そしてふと窓辺から空を見上げる。天高く馬肥える秋の穏やかな昼下がりのことだった。




