誤算
「やっと……終わった……!」
人気のない空間に一人、言い様の知れない充足感に満たされて、西日差し込む「喫茶店」を見渡す。普段の教室とは全く違う光景――僕はこれを形にするため、ここ数日間、休む間もなく奔走していたのだ。まだ本番はこれからだというのに、達成感を纏ったある種の感慨に耽ってしまう。そしてふと胸に手を当てて考える。現時点でやり残したことは恐らく……ない。後は帰って当日を迎えるのみ、
(よしっ! 明日も頑張るぞ……!)
僕はグッと拳を握ると、明日への決意と共に今日を締め括る。そして教室を後にし、廊下に出たその時、
「うわっ!」
「ウキッ!?」
出会い頭の遭遇に、思わず素っ頓狂な声を上げてよろめく。そして俯き加減だった目線を咄嗟に上向けると、目の前に類人と蟹江の両名を捉えた。
「よっ、よお……」
「なんだお前らか……びっくりさせんなよ」
僕は二人の姿を見て思い出す。そう言えば買い出しに出ていたのであった。しかしどうしたことか、手には何も持っていない。肝心の物品が見当たらないのだ。そして彼らの、何か言いた気で、どこかきまりの悪そうな表情に、悪い予感を察知する。
(まさか……)
僕は眉間に皺を寄せ、二人を睨み据える。すると彼らは目に見えて動揺し、
「どうする……?」
「正直に話した方がいいウキか……?」
何やら小言で相談し始めた。その様子を見て、僕は確信する。
(こいつら、何も買ってきてないな……)
しかし頭ごなしに怒鳴りつけたりはしない。万事上手く運んでいたのだ。今日という日を気持ちよく終わらせるために、まずは彼らの言い分に耳を傾けよう――そう心に決め、一呼吸、二呼吸置いた後、
「……正直に話せ」
そう言うや否や、それまで突っ立っていた蟹江がしゃがみ込んだかと思えば、額を地につけて、
「この通り、何も買えなかった! すまんっ!」
物凄い勢いで謝罪してきた。僕は予期していた通りの展開にちっとも驚かなかった。それよりは、どういう経緯でこの失態に至ったのか、寧ろそちらの方に興味を持っていた。
「それで、何に使ったんだ?」
ゲーセンで豪遊か、カラオケで散財か、もしくは――とにかく碌でもないことに僕の5000円を使ったのだろう。勿論そのお金は後で取り立てるとして、僕はこの短時間で、一体何にそんな大金を費やしたのか、その答えをただ知りたかった。
「聞いてくれ! 類人が、類人が、あんまりにも言うもんだからつい……」
「ウキッ!? 聞き捨てならないウキね! 提案したのは蟹江ウキよ!」
目の前で繰り広げられる醜い内輪揉めに、僕は思わず笑ってしまう。本来なら声を荒げるべき場面かもしれない。しかし僕はその責任の擦り付け合いを滑稽な寸劇として楽しんですらいた。そしてしばらく事態を静観しているも、このままでは埒が空かないと思い、
「……で? 結局、何に使ったんだ?」
「……大食いだ」
「えっ!? 大食い!?」
予想だにしなかった答えを耳にし、僕はただ目を大きく見開いて驚愕する。
「大食いって……?」
「ああ、とある喫茶店でな―…」
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「5000円ウキ~! これで飲み物、買うウキよ~」
類人は手持ちの5000円を至極大切そうに握り締め、ヤツ特有の飛び跳ねる動作で喜びを顕わにしながら、近所のスーパーへと向かった。
「ちょっと待てよ~」
オレはヤツを追うので精一杯、そしてしばらく小走りに進んでいると、
「蟹江~! こっちに来るウキ!」
ヤツは何かを見つけたらしく、オレを大声で呼びつける。オレはヤツの声に従い、急いでその場へ向かうと、
「これを見て欲しいウキ!」
そこは街の一角にある名もなき喫茶店、その店頭でヤツはゴム毬の弾むような声で指差し言う。
『パフェ3kg5000円! 30分以内に完食で1万円贈呈!』
オレは一目で無理だと悟った。この手の大食いで成功した例を見たことがなかったからだ。当然オレは難色を示した。
「いや~無理だろう……いくら若くてもパフェ3kgは辛いって」
しかし類人は違った。ヤツはとても自信あり気だった。その瞳は前人未到の山峰を目の当たりにした登山家の如く輝きに満ち溢れていた。オレはその眩さに思わず目が眩む。
「蟹江、無理なんてことはないウキ! 何事も挑戦ウキよ!」
「オイラとお前、二人の友情タッグで困難に立ち向かうウキ!」
「類人……!」
オレはやる前から無理だと決めつけていた。出来そうにもないと逃げていたのだ。しかしコイツとならやれる、やってみせる――オレはいよいよ腹を括った。そして店の暖簾を潜り、不惑の男性店主に一言、
「おっちゃん! パフェの大食い、挑戦するぜ!」
第一声にざわつく店内、その雑音すらオレたちを後押しする声援に聞こえる。オレたちは虎の子の5000円を支払い、目下最強の敵に挑む。時間の経過とともに高まる鼓動を抑えつつ、厨房では今までに見たこともないような特大の皿に盛り付けられるパフェを垣間見るや、最初に感じた一抹の不安が頭を過ぎる。
(本当に大丈夫だろうか……?)
オレは思わず隣の類人を見る。しかし彼は出された水を余分に掻き込みながら、スプーンとフォークを両手に構え、来るべき戦いを待ち望んでいる様子だった。
「ああ~、パフェ楽しみウキね~!」
ここに至りて尚、強気の姿勢を崩さない類人――心強い仲間の存在を目の当たりに、オレは再び自信を取り戻した。それと同時に、戦う前から弱気になっていた自分を恥じた。そしてそんな自分を鼓舞するように、
「皿まで食らってやるぜ!」
そう高らかに宣言してみせるや、
「お待たせ! パフェ3kg、出来上がったよ!」
「「おお~!」」
気後れしそうなほどの威容を誇る最強の敵・特大パフェがその姿を現した。真っ白なクリームを下地に、ありとあらゆる果物を頂いた総重量3kgの化け物――そいつはいま現実の「モノ」として眼前に鎮座している。しかしオレも類人も気持ちは同じ、
「やってやるぜ~!」
「全部食べ尽くすウキよ~!」
「制限時間は30分! それでは、始めるよ!」
「よ~い、スタート!」
後先のことは考えない。ただひたすらに特大パフェを食らうのみ、絶対に負けられない戦いが今ここに始まった――。
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「…―その結果、失敗した、と……?」
「ああ、アレは化け物だ。無理もない」
そう言って立ち上がると、翻って僕に背を向けるや、
「オレたちは挑戦した! その男気を汲み取って―…」
「ダメだ、お金はちゃんと返せよ」
僕は彼の言わんとすることを先読みして、冷たく言い放つ。ストーリー仕立てに話しても、結局は賞金に目が眩んでのギャンブルに過ぎない。とにかくお金は返してもらう――僕はその一点のみで頑なだった。
「オイラ、お金ないウキよ……」
「関係ない! 一人2500円、何年かかっても返せよ!」
「そして―…」
僕は畳み掛けるように言葉を発する。
「今から買い出しに行くから付き合え」
「「え~」」
「わがまま言うな!」
こうして僕らは街へ出た。そして大量のペットボトルを引っ提げて、再度学校へと戻って来た頃には日もすっかり暮れてしまっていた。これで明日の準備として思い残すことはない……はずだ。帰り道、隣を歩いていた類人が話の凪にふと呟く。
「星が綺麗ウキねえ……」
言われてみればそうだ。秋夜の漆黒に散りばめられた無数のダイヤモンドダストは今日日の健闘を称えるようにそっと輝いていた。
「明日、良いことあるかな」
すると突然、類人は満天の星空に願いを託す。その珍妙な祈願を、流れ星でもあるまいし、叶えてくれるものか、と笑う傍ら、戯れにも同じように願いを込めてみる。
(明日の文化祭が成功しますように……)
そして僕たちは下宿へと駆け出した。その時、目の端で捉えた煌めき、南の空高くでペガススが笑ったように見えたのは気のせいだったろうか。




