第五十八.五話 過去の話~上~
今夜もまた眠気に誘われ、俺ではない俺の夢を見る。
前回は華雪と初めて会ったところで終わった。
今の彼女よりも若干幼く見え、目の下の隈もなく、そもそも目が生き生きとしている。
外見がそっくりな妹と言われたほうがしっくりくる。
しかし、彼女こそが華雪だと俺の魂とも言える部分が叫んでいるし、彼女自身も名乗っているので間違いない。
「私の所に直接回されるなんて、よほど訳ありなんだな、お前」
「この病院は餓鬼がお医者さんごっこをするための場所だったか?」
自分の口からするりと言葉が流れ出た。
俺の意思と関係ないとはいえ、第一声がこれとは酷すぎる。
「餓鬼じゃない。
四捨五入すれば三十路だ」
「お前がか?
どこからどう見ても就学前の子供じゃないか」
高校生でも信じられないが、それよりも幼く見える彼女が三十歳近くであることに驚きを隠せない。
この時の俺もそうだったらしく、動揺の感情を伝えてくる。
「成長期と無縁だったせいか、その頃の姿とは全く変わってないがな。
それで、どこを怪我したんだ?」
「左腕だ。
今日の大捕り物の時にやってな」
「それぐらいで私のところに回してくるなよ。
くっそ忙しいのに、余計な仕事を増やしやがって」
華雪は悪態こそつくものの、丁寧そのものの手つきで治療する。
すぐに固定を終えた彼女は、終わったなら帰れとばかりに、しっしと手を振り払う。
これが俺と華雪のファーストコンタクトだった。
それから何度か俺は怪我して、華雪の所に運ばれた。
つんけんしている彼女は新鮮だし、可愛らしい。
目の下にたまに隈を作っている時には心配したが、それでも今の彼女よりは健康そうだ。
会っている内に昔の俺は華雪に興味が湧き、怪我をしてなくても足しげく彼女の元に通うようになった。
「また来たのか。
警察というのも存外暇らしいな」
華雪に宛がわれた診察室にいない時には、喫煙所にいるという法則性を見つけた昔の俺は、迷わずに彼女に会えた。
呆れた顔をしている華雪だが、満更でもない様子から、この山口五郎という存在に少なからず気を許しているようだ。
俺としては、俺ではない俺に向けられる表情というのは複雑だが、自力で目を覚ます方法がない身としては享受するほかない。
「お前も暇そうだけどな。
この間までは呑気に煙草を吸っているような時間はなかっただろ」
「ようやく論文と手術が一段落したからな」
俺は華雪の隣に足を進め、煙草を取り出した。
それから火をつけようとして、ライターを探すがない。
パタパタとポケットを叩いて探していると、見かねた彼女がライターを貸してくれた。
礼を言って火をつけ、紫煙を肺一杯に満たせば、満足と言う感想が湧き上がる。
この時の味覚も俺に作用するらしく、苦い味が口内を支配した。
が、不味いというわけではなく、どこか懐かしい味だと感じ、それがまた俺が俺なのだと示してくれた。
「あんまり無茶するなよ」
「医院長が馬鹿みたいな仕事を回してこなければ、ゆっくり椅子に座っていられるんだけどな」
「医者を辞める気はないのか?
随分、お金は溜めているだろ」
なかったら、俺が養ってやればいい。
そんな下心が胸の内から聞こえて、昔の自分のことながら呆れる。
この時には既に興味以上に華雪に惹かれていたのだ。
「んー。
あいつらが退院して、不自由なく生きていけるようになったら、辞めるかな」
あいつら、という部分で彼女は中庭の入口の方に目を向ける。
続けて俺もそちらに目を移せば、そこには見たことある顔が二つ並んでいた。
少し若いが屍鏡と朱音だ。
いや、屍鏡のほうは仮面をつけて車イスに乗っているので、本人かは分からない。
しかし、その後ろで車イスを押しているのは、間違いなく朱音だ。
「あの二人か?」
「身寄りがない未成年だからな。
病気が完治すれば病院から追い出されるし、その後のことを考えると、それなりに一緒に過ごしてきた私としては心が痛むんだ」
「それはまぁ、心配になるのも無理はないな」
「とりあえず、それまでは適当に頑張るさ」
華雪は煙草を吸い終え、またな、と朱音達の所に戻っていった。
それからテレビの砂嵐のようなノイズが走り、場面が移り変わる。
気が付いたら、手に華雪への土産物をぶら下げて病院を訪ねていた。
診察室に着けば、そこには華雪とさっきの二人がいた。
「俺達と先生の数少ない憩いの時間に来ないでくれない?
すっごく邪魔なんだけど、あんた」
いち早く気が付いた屍鏡がそう言い放つ。
変声期前で声が高いが、屍鏡であることは確認できた。
あんな変な仮面をつけている奴が、そう何人もいるとは思えないが、しっかり確認できることにこしたことはない。
というか、こいつ今は僕とか言っている癖に、この時は俺なんだな。
また一つ、知りたいような知りたくなかったような情報が手に入ってしまった。
「お前は毎日会えるだろうが。
俺なんて仕事と仕事の間の時間を作らないと会えないんだぞ」
「別に来なくていいじゃん。
怪我もしてない奴が来るような所じゃないよ、ここは」
この頃に比べて、今の屍鏡はまだ俺に対して優しいんだな。
いや、大人らしく表立って反抗しないだけか?
ツンツンしている屍鏡とは対照的に、朱音はニコニコと俺を迎え入れてくれた。
「こんにちわ、山口さん。
先生は今ちょっと手を離せないから、お茶を飲んで待ってて欲しいって言ってました」
「そんなに気を使わなくていい、砂野。
今日はケーキを買ってきたんだが、食えるか?」
手土産の中には朱音達の分もあったらしく、開けながらそう聞く。
さっきまで敵対反応していた屍鏡まで目を輝かせて、箱の中身に釘つけになった。
中には四種類のケーキと同じ個数のシュークリームが入っている。
「うわぁ。
これ、私達も食べていいんですか?」
「薬との兼ね合いが悪くなかったらな」
「先生、食べてもいいー?」
「いいが、ちゃんと山口に礼を言うんだぞ」
はぁーい、と返事し、朱音は素直に可愛らしくお礼を言ってきた。
屍鏡も渋々言ってきて、それぞれお好きなケーキを取り分ける。
朱音はショートケーキ、屍鏡はチョコレートケーキだ。
「東雲、ティラミスとチーズタルトが残っているが、どっちがいい?」
「んー。チーズタルトで。
朱音、悪いが人数分の珈琲を淹れてくれ」
元から華雪がチーズタルトを選ぶことが分かっていたように、俺はティラミスを自分の手前に置いていた。
朱音に淹れてもらった珈琲を飲みながら、華雪の仕事が一段落するのを待つ。
「待ってなくて、先に食ってればよかったのに」
「お前と一緒に食べるために買ってきたものだ。
なのに、一人で食っても意味ないだろ」
ようやく、俺はティラミスに口をつける。
華雪も同じように食べ始め、チーズタルトの美味しさに顔をほころばせた。
「美味い。
やっぱり、疲れている時は糖分だな」
「気に入ってもらえたようなら何よりだ。
また論文に追われているのか?」
机の上には資料であろう紙の束が、山のように積み上げられている。
「まぁ、な。
医者なんてオペするか論文書くかが仕事だからな」
「先生、私達の経過も見ないといけないのに、忙しすぎだよ」
「仮眠を取ったらどう?
少ししたら起こしてあげるからさ」
目の下に隈を作っている彼女は、誰が見ても寝た方がいいように見える。
今でこそ、こんな華雪も見慣れてしまったが、普通に考えれば寝るべきだ。
「お客さんが来ているのに寝る訳にはいかないだろ」
「俺のことは気にしなくていい。
むしろ、寝てくれ」
俺が説得すれば、彼女も眠気がマックスだったのか、悪いと言いながらもソファーに横になって目を閉じた。
ものの数秒で寝息が聞こえてきて、胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます、山口さん」
「ん?何だ?俺は何もしてないが」
「山口さんのおかげで、先生は久しぶりに仮眠を取ってくれましたから。
あと、ちゃんとしたものを食べたのも久しぶりでした」
「今度、飯にでも連れて行くか」
一緒にご飯を食べれば親密度も上がるし、華雪の食生活も改善できる。
一石二鳥の案に、自分のことながら良い案を思いついたと、この時の俺は思っていた。
「先生と二人きりなんてズルいぞ、山口」
「お前らには土産くらい買って来てやらんこともない。
だから、大人しくお留守番してろ」
「先生のことをお願いしますね、山口さん」
まだ淡い俺の気持ちに気づいている朱音は、ニコニコと微笑んだ。
また砂嵐が入る。
今度はどこかの部屋の中だ。
俺と華雪が向かい合って、飯を食っていた。
「料理、できたんだな」
「自分一人の分だけ作るのは面倒だからやらないだけだ。
ある程度できないと飯にありつけない環境だったからな」
「普通に美味いぜ」
白米、みそ汁、肉じゃが、その他副菜が三品程。
それらが机に置かれ、俺はそれを口にしていた。
どれも家庭料理の良さを出した美味しい食事だ。
「それはなによりだ。
久しぶりに腕をふるった甲斐があったようだな」
「毎日東雲の作った料理が食いたい」
「忙しいから無理だな」
やや変化球な求婚をバッサリと切る華雪。
普通、ここまで言われれば少しは相手の好意に気が付くというのに、こいつの鈍感さは変わっていないようだ。
「お前が暇な時だけでいいんだぜ?
気が向いた時に来て、一緒に飯を食ってくれると嬉しい」
更に言葉を重ね、一生懸命好意アピールをする。
涙ぐましい努力だが、華雪は手帳を見ながら唸り、
「次に暇になりそうなのが早くて一か月後だな」
「お前、そのうち過労死するんじゃねぇのか」
「する前に休んでいる。
そういうお前こそ、仕事が増えてきて大変そうじゃないか。
ついこの間だって、怪我して運ばれてきたしな」
そう言われると、脇腹がジクジクと痛む気がする。
暴力団と事を構えた時の傷だと、脳裏に勝手にその映像が映し出された。
便利だと思いながら、華雪と昔の自分との会話に再び集中した。
「新人が無理な特攻をしなければ、フォローのために怪我をしなくても良かったんだがな」
「状況を聞いている限り、その程度の怪我で済んでいるだけ、山口は優秀だな。
他の奴なら、こうはいかなかっただろうな」
彼女に褒められて満更でもない俺は、照れを隠すためにみそ汁を啜る。
出汁をしっかり取られたそれは手間がかかっている分、とても美味しく、体に染み渡った。
「怪我すると、どこぞのお医者様が病室から出してくれないからな。
自由に煙草を吸いに行けないし、だからといって、お前に会えるわけでもないし」
「重傷者が歩き回って良いわけないだろ。
それと、お前以外にも私の担当患者は沢山いるんだ。
一人に構っていられるほど暇じゃない」
「まぁ、怪我が治ったから、自由にお前に会いに行けるけどな」
そう言って肉じゃがを口に放り込めば、そこで目の前が真っ暗になった。
過去で起こったであろう出来事を見てから起きる感覚に慣れない。
ずっとその世界に浸っていたいような、思い出さなければならない焦燥感に駆られるような、何とも言えない気持ち悪い感覚だ。
っと、忘れる前に書いておかないとな。
最近、夢を見るようになってから、その出来事を忘れないように日記風に書いていた。
今日の出来事も書き、まだまだ少ないページしか書かれてないノートの表面を撫でる。
二郎が迎えに来るにはまだ早いが、二度寝する気も起きないので、素振りでもして待っていることにした。
それから数十分後、怪奇事件が大きく動くことになるが、それはまた次の話だ。




