第六.五話 探し回る
時は少々遡り、華雪が二郎と再会している頃、五郎は不機嫌の絶頂に居た。
理由は簡単だ。
華雪が傍にいない上に馬鹿な姫君がベタベタとしてくる。
他の男子学生から見れば羨ましいだろうが、やられている五郎本人からしてみれば最悪の気分だった。
部屋に案内された後、すぐ昼食だと大きな食堂に呼び出された五郎はそこに華雪の姿がないことを見ると、すぐに彼女を探そうと食堂から出ようとしたが、またしても邪魔な姫君が邪魔をしてきた。
反射的に振り払いそうになったが、ここで言う事を聞かなければ自分だけでなく、華雪にも迷惑がかかると瞬時に理解した五郎は、姫君に抱き着かせたまま彼女の好きにさせる。
上座からほど近い席に連行した彼女は、五郎の横に陣取ると、並べられていた料理を皿に分け、一口大の大きさに分けた食べ物を口元に運んでくる。
「五郎様ぁ。あーん」
いらないという言葉が喉元まで出かかった。
しかし、今の自分の生命線を握っているのは確実に彼女たち王族だと知っていたので、仏頂面のまま料理を口に招き入れた。
・・・・・・はっきり言おう。不味い。
華雪の事を考えていたせいかスプーンに乗せられていたのが何なのかちゃんと見てなかったが、茶色い物体であることは視認していた。
その大人しい見た目とは裏腹に味はとてつもなく苦く甘かった。
しかもゴムのような感触で噛み切ることができなく、噛めば噛むほど苦甘いエキスを生み出して口内を蹂躙する。
気合で咀嚼し飲み込んだ五郎は、美味しい?と聞いてくる姫君に無言で頷く。
ここで不味いなどと言って不興を買うのは、どう考えても良くないからだ。
「それは良かったですわ。
シェフに腕を奮わせた甲斐がありました」
姫は満足そうにそう笑うと、自分も同じ料理を食べて、美味しいと頷く。
勿論、彼女が料理を口に運ぶために使ったカラトリーは、五郎がさっき口付けたスプーンだ。
それを見た五郎は吐き気がしてきた。
これが華雪なら間接キスだろうが、それ以上の事だろうが構わないのだが、あからさまに自分を狙ってきている見知らぬ女にやられては気持ちが悪いだけだ。
再び料理が乗せられて自分に差し出される前に、お腹を押さえて申し訳なさそうな顔を作る。
「・・・・・・申し訳ないのですが、ここに来る前に昼食は食べていたので、あまり空腹ではないのです。
部屋に戻らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
五郎は今までで一番気を使って言葉を選んだ。
その努力が実り、あっさりと部屋に戻る許しを彼女本人からもらう。
ただし、自分も送って行くと言い張って、またべっとりと腕に纏わりつかれた。
自分の部屋に戻るために荷物をひっつけながら歩いていると、ふとそれがしゃべり始めた。
「五郎様の職業は一人のためのヒーローでしたわよね?
それって、やはり姫である私を守るための職業ですわよね?」
はぁ?と素で五郎は聞き返してしまった。
しかし、姫はそれを照れ隠しと受け取ったのか上機嫌に笑っている。
「サーガなどでよくありますわ。
可憐な姫を守るために戦う勇者の話が」
「勇者なら別にいた気がしますが・・・・・・」
さっき、騎士達がステータスプレートを書き写していた時に誰かが勇者だと騒いでいた気がする。
英雄譚ごっこをしたいのなら、そいつに頼めばいいののだ。
五郎はそんな茶番に付き合う気はない。
そもそも、五郎がステータスでこの職業を見た時には、華雪のことを守るための職業だと勝手に考えていた。
他にそんな人物がいる可能性は最初から除外していたのだ。
彼女以外を守るなんて冗談じゃない。
何故か五郎は強くそう思った。
「私の勇者様は五郎様ただお一人ですわ。
初めて会った時から運命を感じてましたもの」
「ご冗談を。
俺は勇者なんて柄ではないですよ」
「ふふ。今はそういうことにしておきますわ。
あら、楽しくおしゃべりをしていたら、もう五郎様のお部屋に着いてしまいましたわね。
お疲れでしょうから、ゆっくりと休んでくださいませ。
また夕食の時間になったら、呼びに来ますわ」
宛がわれた部屋に着くと、姫はあっさりとその体を離して、元来た道を帰っていった。
そのまま居座られても困るだけだったので、五郎にとってはありがたかった。
部屋に入って扉を閉めてから、ズルズルとそこに座り込んだ。
「はぁ・・・・・・。
頭がおかしくなりそうだ」
アニメやゲームの中でしか見たことがない設定が現在進行形で自分に降りかかっているのだ。
あっさりとこの状況を飲み込めるのは狂人ぐらいだろう。
こういう状況だからこそ、五郎は華雪の傍に居たかった。
誰よりも小さく繊細な彼女の傍に居たかったのだ。
しかし、現時点でそれは叶ってない。
「探しに行くか。
城は広いが、どうにかなるだろ」
元の場所に辿りつけるか不安になるほど無駄に広々とした城だが、華雪がいないほうが大問題だと結論が出ている五郎は、彼女を捜索するために部屋から出た。
いや、出ようとして、足元に紙が落ちているのを見つけた。
「何だ、これ」
さっきまでなかった気がするが、ひょっとしたら五郎が部屋に戻ってきた時には既にあったのかもしれない。
ペラペラの紙を拾い上げて目を通す。
山口先輩へ
東雲です。
私の方は元気にやっているので心配しないでください。
今すぐに会うことはできないですが、機会があればその内いずれ会えます。
それまで無理に会いに来たりしないで下さい。
周りの人と馴染んだ行動するのが、一番いいと思います。
P.S 私は貴方の髪の色の方が好きです。
東雲より
ルーズリーフに書かれた簡素な文章は、間違いなく華雪が書いたものだと確信した。
その細く繊細で筆圧が薄い文字たちは五郎には見慣れたものだ。
具体的には五郎が宿題で躓くたびに解説してくれたあの文字列と一緒なのだ。
ずっと見てきたその癖を五郎が見間違えるわけがない。
そして、最後の一文。
一見して、ただの誉め言葉のように見えるが、そうではない。
自分の仮説を証明するかのように、五郎が文章を指先でなぞれば、そこには仮説を確証へと変える手触りがあった。
手紙の傍に落ちていたシャーペンを拾い上げ、机の上で手紙を黒く塗りつぶす。
彼女の綺麗な筆跡が隠れてしまうことを少々残念に思ったが、その下から現れた文字群も見れば、そんな思いはすぐに消え去った。
国王夫婦や姫君は勿論、私のクラスメート達や担任には気を付けてください。
そんな一文を読んで、五郎は考え込む。
異世界の人間である国王達はともかく、クラスメートや教師に気を付けろとはどういうことなのだろうか?
華雪の担任である田中は五郎の古典の担当教師でもあるので、多少、人となりは知っていた。
少々熱血が入っているような感じはするが、悪い人ではない。
むしろ善人だ。
生徒からの人気も悪くはなく、気を付ける要素がなさそうな人物に見える。
そして、クラスメートだが、華雪を迎えに行っている時はどこにでもあるような光景しか見ていない。
休み時間になれば騒いだり、校則違反と知っていながらも漫画の回し読みやゲームで遊んだりしているような、一般的なクラスだ。
特に問題がありそうな所は見受けられなかった。
しかし、五郎は自分の情報を信じつつも、華雪がわざわざ工作してまで作成した文章のほうを信頼した。
恋は盲目というよりは、短いながらも親しく過ごした時間による信頼と、何より自分の勘を信じたのだ。
「何を気を付ければいいか分からないが、用心はしておくに越したことはない、か」
手紙の空白個所に、「俺の方は大丈夫だから、自分の心配をしろ」と書き、そのままシャーペンを傍に置いて、机の上に置かれていたこの城の地図と鍵を持って部屋を出た。
今日一日は夕食までは自由行動していいとのことだったので、外を出歩いていても誰かに咎められることはない。
そもそも忙しそうに走り回っていて、誰一人として五郎に気に掛けなかった。
地図を見ながら向かった先は図書館だ。
とりあえず、華雪が無事なことは分かったので、下手に動くわけにはいかない。
それは彼女の手紙にも書かれていたことだ。
暇を持て余すのも、もったいないので、図書館の本から何か情報が得られないかという期待をし、五郎はそこに足を運ぶ気になった。
他にもそう考えた者達がいたせいか、既に図書館は数人の生徒がいた。
その内の一人が五郎に気づき、話しかけてくる。
「あれ?山口先輩じゃないですか。
どうしたんですか?」
五郎に見覚えはないが、華雪のクラスメートであるその男は五郎の事を良く知っていた。
昼食休みの度に現れて学校一不良と呼ばれる華雪を連れて行くのだ。
同じクラスにいて知らない方がおかしい。
文武両道なのに趣味が悪い先輩として、華雪のクラスでは有名だ。
「本を見に来たんだが、何かいいものはあったか?」
「現実味がない魔法の本と、この世界の歴史にまつわるものぐらいですかね。
他は目ぼしいものはなかったですよ」
相手はおかしな性癖を持っているとはいえ、相手は先輩だ。
男は丁寧な態度で五郎の質問に応じる。
「そうか。情報ありがとう」
男の隣をすり抜けて、五郎は本棚の前に立つ。
古書店で見かけるような分厚く大判の本を前にして、軽く目眩を覚えた。
意外でも何でもないが、五郎は本が嫌いだ。
文字列を見れば三十秒で眠気を誘発し、一分後には本を枕に寝ている。
それでも成績が上位なのは、どこかで習ったことがあるような既視感と、華雪の教え方が上手いおかげだ。
それはさておき、どこから手を付けたらいいか皆目見当もつかない五郎は、とりあえず背表紙に書かれている題名を読むことにした。
興味のないものなんて読めないと最初から分かっているので、少しでも面白そうなものを探そうとする。
本棚の間を歩き、あれは嫌だ、これは面白くなさそうだと思いながら探していれば、日が傾いてきた。
面倒くさくなった五郎は、結局、本を一冊も持たないまま部屋に戻った。
部屋に帰れば、明るい部屋が五郎を迎え入れる。
詳しい仕組みは分からないが、どうやら暗くなったら自動的に明るくなるようだ。
スイッチを入れなくていいのは便利なことだと思いながら、ソファーに座れば、部屋を出る前に机の上に置いておいた紙が目に入る。
それは確かに五郎が黒く塗りつぶしたはずなのに、ほぼ真っ白になってそこにいた。
ほぼといったのは、またしても華雪からの言葉が綴られていたからだ。
山口先輩へ
東雲です。
私を心配をしてくださり、ありがとうございます。
ですが、私の方は本当に大丈夫です。
頼りになる方に手伝ってもらい、生活の基盤は築けそうですし、寝るところや食べるものにも困ってません。
それよりも、これから魔王退治をする訓練をする山口先輩の方がよほど心配です。
P.S 何かあったら、この紙に書いてください。
私にできることはできる限りします。
東雲より
「頼りになる奴って誰だ」
読み終えて真っ先に思ったことはそれだった。
異世界に来たばかりの彼女に、もう頼れる人間ができていることに、五郎はショックを受けているのだ。
この時点で華雪のクラスメートと担任教師という選択肢は五郎の頭の中から消去されている。
親しい奴がいるとも言ってなかったし、それはさっきの大広間の所のステータスプレート事件の所で明白だ。
自分が知らない奴で、あまり人を信用してない節のある彼女が頼りにしている人物がいる。
その一点が他の何よりも五郎を動揺させた。
「俺だって信用されるまでに軽く一か月はかかったんだぞ!?
なのに、今日の数時間でそんなこと言われる奴ができるなんて!!」
しかも、相手は絶対に男だと五郎は直感で断定していた。
事実、この時、華雪が頼りになる相手と称したのは人間の性別で言えば男性である二郎なので、間違ってはいない。
性別を連想させるような言葉は一言も手紙に書きこまれていなかったのに、分かってしまうのは、恐るべき直感力だ。
いや、この場合は恋心がなせる技だと言った方が正しいか。
とにかく、信頼できる奴がいることはいいことだし、衣食住も整ったようで何よりだと、もやもやした気持ちを無理やり納得させた。
「はぁ。今度会った時にどういう奴か見極めるとして、今は待つしかないな」
今すぐ会えないと最初の手紙でわざわざ伝えてくるから、本当に会えないのだろうと五郎は考える。
彼女は五郎に対して嘘をついたことは一度もないので、それは本当だと思ったのだ。
五郎の本音からすれば、一秒でも早く会いたいが、華雪には華雪の事情があると言い聞かせて、手紙を撫でて自分の気持ちを紛らわせた。
そんな彼が華雪と思わぬところで再会するのは、彼女の想定よりも早く、彼の願いよりも遅い、数日後だったりする。