第三十.五話 それぞれの心中
いつものように廃棄されるボロ雑巾のほうが綺麗に見えるほどズタボロにされた俺は、最近のルーティンになりつつある愛の言葉を囁きに華雪の部屋に向かおうとした。
しかし、その前に何度見ても気持ち悪い笑みを浮かべている二郎に首の後ろを掴まれて、自分の部屋に戻された。
「何するんだ。俺はこれから華雪の部屋に行くんだが」
「華雪さんは今日はもう面会謝絶です。
いい機会なので飲みに行きますよ」
「いきなりすぎないか?」
華雪の体調が安定しないで面会謝絶なのはまだいい。
心配だが、俺が行った所で何かできるわけでもなければ、部屋に入れてさえもらえない。
専門家らしいルークが言うには、こういう時は一人にしておいた方がいいとのこと。
具合が悪いとかではなく、安定しないだけだから一人で落ち着ける環境が大切だと華雪本人も言っていた。
実際、いつも傍に付き纏っている二郎やルークもそういう時は外に出ている。
華雪に会えないのは寂しいが、それならもう部屋でゆっくり休んでいたい。
ぎしぎしと体が悲鳴を上げるまで酷使されているので、ゆっくりと湯船にでも浸かりながらマッサージをしないと明日に響く。
それを知っているはずである二郎がいきなり飲みに行くぞというのは唐突すぎた。
「別にいいじゃないですか。私だってたまには酒を飲みたい時ぐらいありますよ。
一人で行ってもいいんですが、よく考えてみると貴方は飲みに行ったことがないことに気が付きまして。
折角なので暇なルークさんも誘って三人で行こうかと」
「俺は未成年だから酒なんか飲めないぞ」
「あれ?知らないんですか?
この国では十六歳から飲酒も喫煙も可能なんですよ。
あくまで法律上のことであって、他の国だと十歳ぐらいから嗜んでいる方も多いですけどね」
十八歳の俺ならば法律に触れることがなく、合法的に酒が飲めるらしい。
だからといって飲むかどうかは自分で決める。
「飲めることは分かった。でも、行くかどうかは話は別だ」
「今のうちにお酒が飲めるようになっておけば、華雪さんと飲めるかもしれないですよ。
華雪さん、お酒が大好きですから」
俺に隠れているつもりだろうが、華雪が飲酒や喫煙をしているのは知っていた。
どれぐらい好きかは知らないが、二郎の口ぶりからするとかなり好きなのだろう。
となると、一緒に飲めたりすると親密度が上がったりするかもしれない。
共通の趣味などがあると距離が縮まるのは間違いないのだから。
「分かった。行く。お前の奢りな」
「勿論ですよ。子供からお金を巻き上げる趣味はないので」
「子供ってなぁ、むしろお前が俺の子供みたいなもんじゃねぇか」
俺のDNAを使って創られているなら、むしろこいつが子供だ。
ずっと生きているから年上かもしれないが、それでも子ども扱いされるのは納得いかない。
「私を子ども扱いしていいのは華雪さんだけです。
それと、今回行くのは大衆向けの安酒を出す居酒屋ではなく完全会員制のバーなので、どちらにしても貴方では払えないと思えますよ」
「何でそんなところに行くんだよ」
そんな肩凝りそうな場所に連れ出されるのは嫌だ。
周りでガヤガヤ騒がれるのも好きじゃないが、ピッシリしてないといけない場所というのも好ましくない。
大体、テーブルマナーもあやふやだ。
二郎に一般教養も身につけろと言われて、訓練とは別にマナーレッスンの時間も取られるようになったが、それでもまだ形になってない。
「私とルークさんがその辺に顔を出したりしたら、女性が際限なく寄ってきますし、面倒な喧嘩も吹っ掛けられるんですよ。
行った酒場が周りの建物ごと更地になってもいいと言うのでしたら、居酒屋でもいいですけど」
二郎が今言ったことは嘘ではないだろう。
華雪がいないところでは、こいつらは人間に対して冷淡だ。
変に絡まれれば辺り一帯を吹き飛ばすなんて朝飯前だし、そうなったら迷うことなく実行するだろう。
女が寄ってくるのも自分自身が経験があるので、同じ顔をした二郎にも寄ってくるだろうし、ルークも黙っていれば顔立ちは整っている方だ。
そんな三人が居酒屋に行ったりしたら、また面倒なことに巻き込まれるのは簡単に予想できる。
「俺は別に更地になるのは構わないが、華雪に知られると不味い。バーに行くぞ」
「でしたら、シャワーを浴びてきてください。
そのままの格好ではいけないので」
確かに、ボロボロになった動きやすさを重視したような服ではいけないし、シャワーを浴びないと汗や埃がすごいだろう。
元々風呂に入るつもりだったし、そのまま風呂場に直行した。
熱い湯船に浸かり、マッサージをできるところはした後、俺は風呂から上がった。
するとタオルとは別に見慣れない服が置いてある。
これを着てこいということだろう。
広げてみるとそんなに変なものではなかったので、それを着ることにする。
見た目は黒スーツに銀色の糸でさりげなく刺繍がされているものだ。
刺繍は右肩胸にかけての部分と、左の裾の部分に入っている。
モチーフが何か分からないが、幾何学的なそれは控えめで上品という域に留まっているので文句はない。
鏡の前で身支度を整えて部屋に戻ると、ソファーに座った二郎とルークを見つける。
「ようやく来た。遅いから待ちくたびれちゃったよ」
「新品なので少々服に着られている感じがありますが、こんなものでしょう。ほら、行きますよ」
そう言った二人の服装もいつもと違うものだ。
二郎はどこからどう見ても吸血鬼のコスプレをした野郎にしか見えないような襟付きの黒いマントを羽織り、中の服も貴族っぽいやつになっている。
マントは銀のチェーンで繋がっていて、そこから逆十字が垂れ下がっているのがなんともこの男らしい。
ルークも首元までしっかり覆われているカソックを脱ぎ、黒のワイシャツに赤いネクタイを締め、黒のロングトレンチコートを羽織っている。
首からこれまた赤いストールを流していて、赤いポケットチーフが胸元を栄えさせていた。
見事に華雪の髪の色で、少しだけイラッとする。
「ん?そんなに見つめてどうしたんだ?
言っておくけど、ボクは二郎とは違って男色の気はないんだ」
「俺だってない。
というか、この状況でそんな重大なカミングアウトするな」
二郎が男もイケるなんて知らなかったし、一生知りたくもなかった。
俺の遺伝子を継いでいるという割には、姿以外全く似てない二郎にため息をつく。
「男に手を出すと言っても、どちらかというと食事の意味を大きく占めてますから。
ドロドロに壊すと普通の人間でも美味しく血を頂けるんですよ」
こいつが吸血の亜種みたいなものという説明も受けているので血を飲むことは驚きはしないが、壊れている人間が美味しいという思考は全くもって理解できない。
そもそも血の味なんか生活習慣の違いで決まるものだと思っていた。
しかし、こいつは生活習慣の違いで美味い不味いを決める訳ではなく、どれだけ狂っているかで美味しさが決まると本人からご丁寧に言われていた。
性格と一緒で悪趣味な嗜好だと思ったのはそう昔ではない。
「まぁ、二郎が男も好んでいるという話は置いておいて、そろそろ行こう」
「その姿で城下町をうろちょろするのか?目当ての店に着く前に速攻で絡まれるぞ」
着飾ったりなんかしたら、寄ってくる女や厄災の種は増える。
この城から一歩出ただけで、それらにエンカウントするだろう。
「それはご心配なく。これがありますので」
そう言って二郎が懐から出してきたのは一枚のカードだった。
黒の紙に金字で印字されているそのカードは微かに魔力が帯びていることが見て分かる。
「それは?」
「会員に配られるゲートキーです。
これを近くの扉に翳すとお店の入口に繋がるんです」
「便利だな」
現代日本と比べて不便な所も多い異世界だが、こういう魔法を利用した技術は百年たってもあっちで実現できるか怪しい。
素直に感動した。
二郎が俺の部屋の出入り口にカードを翳すと扉に転移陣が浮き上がる。
それが準備ができた合図なのだろう。
二郎が先頭で扉を開けて中に入った。続いて俺も入る。
ぱっと景色が変わる。
足元は真っ赤な絨毯になり、天井にはキラキラと光を反射するシャンデリア。
屍鏡の城には手入れが面倒という理由で大広間にしかないそれから光が放たれ、俺たちを明るく照らしている。
それだけで相当お高い場所というのはうかがい知れた。
完全個室制なのか、ここから客の姿は見えず仕切りの役割をしている壁しか見えない。
「ようこそいらっしゃいませ、二郎様、ルーク様。
今回は初めてのお方もいらっしゃるようで」
周りを観察している内に目の前に人が立っていた。
それは黒い着物を着た女だった。
金の帯をしているそいつは一目見てできると判断する。
こいつも屍鏡の部下の魔人族とやらなのだろう。
「ええ。社会勉強の一環として連れて来ました。
ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いします」
「いえいえ。二郎様が連れてきたお方ですもの。問題はないですわ。
ここで立ち話もなんですから席にご案内いたしますね」
美しい所作でお辞儀をしてから席に案内される。
通されたのは一番奥の席だ。
所存、VIP席といわれるであろう席には既に先客がいた。
どれもこれも綺麗な装いをした女が五人座っている。
そこで俺は初めてここがただのバーでないことに気が付く。
「おい、二郎これはどういうことだ。
俺は酒を飲みに来たのであって、女遊びをしにきたわけじゃないぜ」
「おや?分かりましたか?」
「分からない方がおかしいだろ。
こんなに女がいるんだ。少し考えれば誰でも気が付くだろ」
馬鹿にしたように驚いた顔をする二郎に、腹が立つ俺。
ここはバーなんかではなく、高級クラブと呼ばれる場所だろう。
だから、こんなに顔が整った女が沢山いるのだ。
二郎がいきなり飲みに誘うから怪しいとは思っていたが、やっぱりろくな事を考えてなかった。
これはきっと俺への釘差しだろう。
華雪に手を出さずに他の女で満足しておけと暗に言っているのだ。
二郎を睨み付けていると、彼は大きくため息をついた。
「私に怒らないでくださいよ。華雪さんの提案なんですから」
「華雪のだと?」
「お優しくて慈悲深い華雪さんは、どこかのストーカーヘタレ男が自分に好意を寄せているのは若気の至りだと思い当たり、他の場所で発散させて来たら正気に戻るのではないかとおっしゃってました。
その素晴らしい考えに感動した私達がお膳立てをしただけですよ」
いつもは閉じられている瞳を開き、嘲笑の色を乗せて俺を見抜く。
素晴らしい考えに感動したの件は二郎のジョークだとして、その前の華雪の考えは本人がそう言ったのだろう。
でなければこの男がこんな穏便な方法で動くわけがない。
そんなことするぐらいなら、事故に見せかけて俺を殺すぐらいはしそうな二郎の事だ。
華雪が絡んでいるのは間違いない。
「つまり、華雪は俺からの言葉を若気の至りの一言で自分を納得させて全く信用してないと」
「正解です。
あの方の自己評価の低さを本当には知らないでしょう?
本気で自分に愛される価値がないと思っているんですよ、あの方はね。
頭の中に詰まっている知識と人ではない体に何かの対価としての価値は見出していても、自分はただの人殺しで大切な人を一人も守れなかった卑怯者だとしか思ってません。
勿論、私はそんなことはないと思ってますし、それはみなさんも同じです。知識と体なんてどうでもいい。
大切なのは絶望の中で誰よりも傷ついて泣いていても、諦めることがなかった在りようが何よりも尊く愛しい。
ですよね、ルークさん」
俺と二郎が向き合っている間にちゃっかりと席に着いて女共と席に着いて酒を楽しんでいたルークに話を振る二郎。
ルークは酒を飲む手を止めて頷く。
「そうだよ。
ボクはボクとして見て扱ってくれる彼女に惚れたんだ。過剰に恐怖するわけでも立ち入るわけでも逃げるわけでもない彼女にね。
じゃなかったら、ボクの名前を付けさせようなんて思わないよ。
ボクだって選べる立場にあったんだから。
二郎も同じような理由で恋をしてるんだろ?だから、君は華雪を殺さなかった。
生まれ落ちたその瞬間に殺すという選択肢がありながらも、それを選ばなかった」
「私は臓物をお腹から出していても背後の桐生さんを庇おうとしている、あの眼に惚れたんですよ。
すごくいい眼でしたよ、あれは。
桐生さんに手を出せば殺すって、死にかけの体からまず出せないあの殺気。
治療しなければすぐに自分が死んでしまうのに、そのことに頓着せずに睨み付ける、血に染まった彼女がとても綺麗だったんです」
いきなり華雪に対する告白合戦になってしまった。
というよりも、やっぱりルークも華雪のことを狙っていたのか。
華雪に対する態度から感じ取ってはいたが、これはかなり分が悪い。
この二人を相手取りながら、超絶鈍い華雪を振り向かせることに成功していた過去の自分に心底称賛を送りたいし、何故その大事な記憶が無いのかこれほど恨んだこともない。
「それで、五郎はどうするんだ?」
「どうするって?」
「このまま華雪じゃない女と遊ぶのか?
それとも、一人で泣いているであろう華雪を慰めに行くのか。君が決めるといい」
自分で決めろと言いながらも、間違った答えを出せばどうなるか分からない殺気をルークは放っている。
それは微弱だが、感じるのには十分だ。
「そんなものは初めから決まっている。
ただ、いいのか?お前たちだって華雪が好きなんだろ」
敵に塩を送るような行動は二人らしくない。
また何か企んでいるのかと警戒を強めると、ルークは手をひらひらさせて何でもないと言わんばかりの態度をとる。
それは大切な女を取られる寸前の追い詰められているようなものではない。
そうなっても痛くも痒くもないという余裕が溢れ出ていた。
「五郎、ボク達みたいなのは一夫一妻制なんて取り入れてないんだよ。
それに、君が死んだ後に心の隙間に付け込むっていう手もあるしね。
どちらも華雪の了承がなければ力づくではしないけど」
「逆に言えば、華雪さんがいいよと言えば貴方の昔の地位が私達に回ってくる可能性があるんですよ。
それが私達と貴方の大きな違いです。
人間の貴方は生きている内にせいぜい足掻いておいた方がいいですよ。
次にまた転生できる保証はないんですから」
「まぁ、その前に大切なのは華雪だから。あんな表情をしている彼女はあまり見たくない。
泣いてる顔や苦しんでる顔を見るのは好きだけど、その理由が君というのが気に食わないんだ。
今度ボクが華雪を泣かせたいと思った時に、いかにも君を想っているんだという顔をして苦しんでいられると困る。
という訳で、さっさといつもの華雪に戻してこい」
「ルークさんの性癖に華雪さん付き合わせる気はありませんが、私もあのような顔をしている華雪さんを見たくありません。
憂いを払えるのが貴方しかいないのですから、貴方が何とかしてきなさい」
これが自分の部屋に戻るカードです、と二郎は無造作にカードを投げてくる。
それを受け取って近くの扉にそれを翳した。
そのままその扉を潜ろうとした時に、背後からルークがわざとらしく、あぁ、と言い出した。
「そういえば、誰のか知らないけどマリッジリングが対の状態で、華雪のつけているネックレスのペンダントトップとしてあった気がする。
どうも、大切な人から送られたみたいで、ずっと持っているらしいよ」
「それは私も知ってます。
ずっと華雪さんが持ち続けた結果、もはやアーティファクトとなっている指輪の事でしょう?
詳しい効果は話してくれませんでしたが、一回つけると外せないということは記憶から視ましたよ」
「まぁ、昔遊び半分で填めようとした時に拒否られたボクには関係のない話だけどね」
「あれは華雪さんが一生添い遂げようと想った人しか填められないようですから。
見た目が同じでもきちんと分別があるようで、私でも弾かれましたよ」
二人で会話をしている風だったが、その実、俺に聞かせているのが分かった。
礼は言わない。俺が彼らの立場だったら絶対に言われたくない言葉だからだ。
その代わりに明日会った時は少しだけ態度を軟化させてやらんこともない。
きっと気持ち悪いとか散々に言われて、二郎には今日まで以上に訓練が厳しくなるだろうが、構わない。
今度こそ自分の部屋へ続く扉を潜った。




