第二十五話 暗黒の男
にゃるにゃるすると、クトゥルフ要素が増すと考えた末のお話
動けないことがここまで不便だとは思わなかった。
「あー。暇だ。まじで暇だ」
目が覚めたので、交代で私を見てなくていいと彼らに言った。
なので、部屋の中は今は私一人なのだ。
だからこそ、暇だと文句も言える。
もし誰かがいる状態で言った場合、無駄に気を使わせてしまうので言わないようにしている。
「魔法でふわふわ浮きながらどこかに散歩に行くかなぁ。能力で姿を消せば誰にもばれないしな」
「それでベッドが空になっていたら、みんなが大騒ぎだがな」
「あっ、五郎」
ノックもせずに部屋に入って来たのは五郎だった。
その両手にはトレーがあり、その上には二人分の昼ご飯が乗っていた。
手が塞がっているので足で扉を開けたらしい。
「昼飯持って来たぞ」
「ありがとうな。
今日はリゾットか。いい香りだ」
上半身を起こしてもらって、太ももの上にトレーごとおいてもらう。
五郎はベッド横の椅子に座り、これまた膝の上にトレーを乗せる。
最近、五郎は二人分の昼飯を持ってきては、ここで食べることが多い。
午前と午後の訓練の間の休憩時間をここで過ごすのが思いのほか気に入っているようだ。
ここまでの移動時間とか手間を考えると、訓練場でゆっくりしているほうがいいと思うが、本人が来たがっているので、何も言ってない。
「二郎がいいトマトが手に入ったとか言っててな。
華雪がトマトリゾットが好きだから作ったらしい」
「好きというよりは食べやすさを重視しているからな。そういう意味では好物の一つだ」
二郎が作ったもので不味いものなど食べたことはないので、彼が作ったものは全部好きだと言っても過言ではない。
ただ、食べるのに面倒な手順を取るものや手を汚したりするものはあまり好きじゃないだけだ。
「そういう見方でご飯の好き嫌いを決めるってどうなんだ?」
「別に。私は栄養が取れれば文句はないからな。
五郎とかと共に食事をしなければ大抵サプリメントなどを飲んでおしまいだったし」
ああいう栄養剤は多用すれば体に良くないが、どうせ三十過ぎぐらいまでしか長生きしない体だ。
多少ガタがきても困りはしない。
何故かは分からないが、私の平均寿命は二十代後半で、一番長生きしたのは一週目の三十五歳だったりする。
二周目からは神話生物が関わる事件に巻き込まれて、その歳になる前に死んでしまうのだ。
「これからは毎日ご飯を一緒に食うから、絶対にサプリメントとかに頼るなよ」
「はいはい。余裕があれば三食おやつまで食べるさ」
余裕がない上に食事を作ったり買ったり、消費期限を気にするのが面倒だったからまともな食事を食べなかっただけで、用意されているなら食べない理由はない。
たまに体調の問題で体が食物を受け付けないことはあるが、そういうときは食べやすいものを用意してくれているので、今のところ問題になってない。
「今日のおやつはアップルパイらしいぞ」
「まじでか。二郎が作るアップルパイは絶品だから食べておいて損はないぞ」
リゾットをつつきながら、どうでもいい会話を交わす。
どこにでもあるような日常的な会話だ。
親しい人と美味しい食事、それに空気が重くない会話が続けば、それだけで幸せな時間を過ごせる。
五郎の半分以下のリゾットを二倍以上の時間をかけてゆっくり胃に納めた私は、食後の紅茶を楽しんだ。
「紅茶淹れるの上手くなったな、五郎。
いつ使うか分からない技能だけど」
そう、紅茶を淹れてくれたのは五郎だ。
慣れない手つきながらも淹れてくれた紅茶は最初に淹れたものよりも美味しくなっている。
彼が淹れてくれたものなら泥水でも美味しく飲む自信はあるが、純粋に技量が上がってきているようで喜ばしいことだ。
「お前が飲むなら必要だろ。
料理はそんなすぐに上手くならないが、飲み物の一つぐらい満足に淹れられるようになりたい」
「料理も紅茶を淹れるのも無理に覚えようとしなくていいんだぞ?
二郎は完璧にこなすが、それだって私が強制したわけじゃないし、できないからといって問題はないしな」
どうも二郎に対抗意識を燃やしているようで、彼ができることを片っ端からできるように訓練している最中らしい。
人には得手不得手というのがあるのは理解しているし、二郎にそういう技能を求めたこともない。
仮にみんなが料理ができなかったら私が作ったし、お茶やコーヒーだって淹れただろう。
二郎が率先としてやっていて、手伝おうとするとやんわりと断られてしまうから手を出さないだけで、私だって一通りのことは一応できる。
「それでもできるようになりたいんだ」
「そういうなら止めはしないが、あまり詰め込み過ぎるとパンクするからな。
ただでさえ、二郎の剣術指導を受けてるんだから。身体をしっかり休ませないと駄目だぞ」
「分かってる。心配しなくても自己管理はできているからな」
「それならいいが・・・・・・」
五郎も例外なく、まわりの奴らと同じように頑張りすぎてしまう部分がある。
それで倒れたりしたところは見たことないが、死人のような顔をしながら徘徊されるのは少々怖いものがあった。
「少なくとも華雪よりはマシだ」
「うっ・・・・・・何も言えないかもしれない」
気絶したりぶっ倒れるようなイベントが立て続けに起こっているいるせいで、その辺りの信用度が著しく下がっているのは否めない。
私のせいではないのにと叫びたいが、誰も聞いてくれないので心の中だけで叫んでいる。
と、ここで扉が二回ノックされた。
「どうぞ。開いてるぞ」
「やぁ、華雪。ただいま」
扉から顔を覗かせたのはのはルークだった。
散歩から帰ってくるたびに私の所に来ては、雑談してから屍鏡が用意した部屋に帰っていくので、実は五郎の次ぐらいには部屋に来る頻度が多い奴だったりする。
ちなみに、一番部屋に来る頻度が多いのは書類仕事をサボろうとする屍鏡だ。
部屋の滞在時間は短いながらも日に五回は最低でもくるので、よく顔を合わせる。
ルークはそのまま部屋に入ってきてベッドに近づいてくる。
しかし、その前に五郎が立ちふさがった。
「おい、お前は誰だ?」
「え?嫌だなぁ、五郎。ボクだよ。
たった数時間合わないだけでボクのことを忘れちゃったの?」
五郎の背中で見えないが、彼は不思議そうにそのオッドアイを見開き、首を傾げているのだろう。
「俺はルークのことなんかあまり知らないが、それでもそんな気持ち悪い気配を纏っていないことだけは断言できる。
お前は誰だ?」
臨戦態勢に入っている五郎は刀を抜いていた。
死神から貰った刀を常に体から離さずに持っていることにしているらしい。
いつ何があるか分からない世の中なので、その心構えはいいことだと思っている。
敵だと視認した時点で刀を抜くのは好判断だが、こいつ相手にはそういう行動はしない方がいい。
私は彼に下がるように言う。
「五郎、刀をしまって、視線を外さずにこっち側に来い。
そいつに戦闘意志は今のところないが、どうなるかは分からない」
「なんだ。華雪にもバレていたのか。わざわざ姿まで変えたのに。
―――――まぁ、いいや」
瞬間、黒い闇がそいつに纏わりつき形を変える。
闇が霧散した後には黒いローブを身に着けた黒色の肌をした青年が立っていた。
顔立ちは恐怖を覚えるほど整っており、本来は白であるところまで黒で塗りつぶされている瞳はあらゆるものを嘲笑し軽蔑し見下している。
にっと笑った歯も真っ黒で、そいつを構成しているのは永久に横たわる闇の色だ。
五郎は本能が敵だと認識しているのだろう。
その場から動くことも戦闘態勢を解くこともできない。
私はため息を一つついて、魔法で強引に自分の後ろに下げた。
それを笑いながらそいつは見守る。
自分に危害を加えることができないと高をくくっているのか、それとも純粋におかしいのか、かのものの内面は不明だが五郎を背後に置くことはできたのでよしとする。
そいつはさっきまで五郎が座っていた椅子に誰に憚ることもなく座ると、まるで親しい友人に向けるような表情を作り(瞳だけは相変わらず侮蔑し続けている)、私に挨拶してきた。
「久しぶり、山口華雪」
「私としては永遠に会いたくなかったよ、暗黒の男。いや、ニャルラトテップ」
這いよる混沌、テスカトリポカ、無貌の神、闇の魔神などなど様々な呼び名がある神がいる。
それは神達の中で唯一本当の人格を持っており、その仕える神ですら軽蔑しているもの。
目の前にいるのは、その神が人間の形を取ったに過ぎないものだ。
こいつは私が嫌がっているのを知っていて、わざわざ山口華雪なんて呼ぶ。全くもって性質が悪い。
「ねぇ、どこで私に気が付いたの?完璧にあの狂神と同じ姿だったでしょう?」
こいつはルークのことを狂神と呼ぶ。
お前の方が百倍狂っているだろと心の中で毎回思っているのだが、ルーク本人が狂神という呼ばれ方が嬉しいと言っていたし、こいつに口答えするのも面倒なので訂正はしない。
「ノックの回数とリズムが違う。
それ以外は気配以外じゃ気づく点はなかった」
人に成り代わるのが趣味の一つのこいつにしては、杜撰な成り代わりだった。
それぐらい自分を隠す気はなかったのだろう。
気配だってルークに似せようと思えばいくらでも似せられたはずだ。
「流石、山口華雪。伊達に人間を辞めたわけじゃないみたいだね」
「情報が早いな。まぁ、もうこれぐらいで驚いたりはしないが。
それで、本題は?人間でなくなった私に姿を現すわけはないから、用件の相手は五郎か?」
人間にしか興味のないこいつのことだ。
前の時もそれなりに五郎は気に言っているようだったし、ちょっかいを出しに来たんだろう。
「んー。早合点したらいけないよ、山口華雪。私は君にも用があって来たんだ」
「私に?人外になった私にか?」
「そうだよ。君たちに素敵な素敵な提案をしに来たんだ」
超絶聞きたくない提案だ。
碌でもなさで言うならトップクラスのそれに、しかし聞かないという選択肢は存在しない。
仕方なく聞く体勢をとる。
「で、どんな素敵な提案だ」
「もう、慌てないの。山口華雪は慌てん坊さんなんだから」
馬鹿に仕切った口調で言う、そいつに腹が立ったが、こいつはそういう存在だと自分を宥めて先を促す。
「提案っていうのはね、山口華雪のクラスメート全員を殺せば山口五郎を元の世界に戻してあげるって話だよ。
山口華雪は世界渡りの力とか異次元空間への門を開くのに特化しているけど、何も目印がない所に繋げるほどの能力はない。
けど、私ならそれができる。どう?素敵な提案でしょう?」
提案ということは強制ではない。
その上で考えれば、そう悪くない提案だ。
今の私の力では、悔しいが五郎を元の世界に返してあげられることはできない。
クラスメートが死ねば、平和な現代日本に五郎が帰れるというのはとても魅力的だ。
「クラスメートというのは私も含まれているんだろ?」
「そうだよ。殺すのは山口華雪でも山口五郎でも構わない。
最終的にクラスメート全員が死ねば問題ないよ。勿論、自殺してもいいし、君が手を下さないで事故で死んでしまってもいい」
「担任の教師は含まれているのか?」
条件をちゃんと詰めておかないと、足元を掬われる。
ただでさえ、怪しいほど好条件なのだ。
「いいや。彼も巻き込まれた被害者だからねぇ。
追い討ちをかけたら可哀想でしょう?」
どの口が可哀想なんて嘯くんだと呆れ顔をした。
狂気と絶望を好む奴から出るミスマッチさに表情を崩したのは仕方ないだろう。
そいつは私のそんな顔を見て、さも可笑しそうに笑った。
「それで、どうする?この提案受け入れるの?」
拒否しても殺されたりはしないだろう。
だが、この提案を蹴ることが惜しいのも事実だ。
五郎自身に一番いいのはきっと、元の世界で平凡に暮らすことだ。
こんなファンタジーめいた世界で殺し合いなんてしなくていい。
だが、なぜかゲームから排除された不確定要素である担任がいる上に、こんな面白みのなさそうな提案をわざわざしてくる、こいつの意図が読めない。
どういう返事を返そうか考えていると、五郎のため息が聞こえた。
「バカバカしい。どうしてそんな提案を受けないといけないんだ」
「おや?山口五郎は元の世界に帰って平和に暮らしたくないのかな?
生徒会長みたいに英雄症候群でもないただの高校生にしては、その反応はおかしいと思う。
だって、前世の記憶もない君からしたらそこにいる山口華雪はただの他人だろう?」
「そうだな。今はただの他人だ。
だがな、俺は自分の意思でこいつの傍に居ると決めた。
こいつがいない世界なんか一銭の価値もなければゴミ屑以下でしかない。
分かったら、帰れ。華雪と過ごす休憩時間は貴重なんだよ」
ニャルラトテップは五郎の言葉にきょとんとすると、一瞬後には裂けそうなほど大きく口を開けて嘲い始めた。
「あっはっははっははっはっは!!!!
まさに滑稽!!本気でそう言っているのがこの上なく愚かで素晴らしいっ!!
いい、実にいい!!
山口五郎、忘れるなよ。お前は日常ではなく非日常に住むモノを愛したことを!!」
そいつは笑いながら姿を消した。
結局、提案はこちら側が蹴った形になってしまった。
あいつが何をしたかったが分からないが、これがニャルラトテップの通常運転なので気にしても無駄だ。
未だにニャルラトテップの笑い声が耳にこびり付いているし、気分は最悪だが五郎に顔を向ける。
彼はいつも通りの顔をして武器をしまっていた。
「おい、五郎。よかったのか?」
「前にもお前に言ったが、それは今でも変わってないぞ。
俺はお前の傍に居るし、そもそも自分の命を賭けられた時点で拒否しろ、馬鹿」
ぺしっと頭を叩かれた。
その後、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
「だが、私とあいつらの命で五郎が平和な現代日本に帰れるなら安いと思ったし・・・・・・」
「それか馬鹿だって言ってるんだ。
俺があれに言ったように、お前のいない世界に価値など何もない。
簡単に自分の命を賭けに使うんじゃない。分かったか?」
そうは言われても、はいそーですかと言える私ではない。
うーんと唸れば、さっきよりも大きなため息をつかれた。
「今の俺でもお前の楔ぐらいにはなれるよな?」
「はぁ?」
私がその言葉を理解するよりも早く、五郎は私の耳元に自分の口を近づけて、
「華雪、俺はお前を一人の女として愛してる。
俺が幾度となく死に、記憶か無くなろうとも、何一つ変わることなく愛し続けている。
だから、俺を残して死のうとするな」
「へっ!?!?えっ!?はっ!?ええ!?!?」
「今はまだ返事をしなくていい。だが、俺は諦めないからな。
絶対、記憶を戻してお前を振り向かせてやる」
どんな手を使ってもな、とすぐ横で言われる。
頭がショートして呆然としている間に頬と額、最後に唇にそれぞれ軽いキスを送って五郎は部屋から出て行った。
「え?これ、もう冗談とか夢とかちゃちなもので済まされる問題じゃないよな?」
これまでの行動は自分の都合のいい夢か幻覚かと思っていたが、こう頻繁に起こっているとそろそろ現実逃避もできなくなってくる。
一周目で彼に口説かれていた記憶が蘇り、赤面してしまった。
両手で顔を覆い、ベッドに倒れ込む。
足が自由に動いたらバタバタとバタ足をしていただろう。
それぐらい、私の中では感情の整理がつかなくて、ぐるぐると渦巻いている。
二郎が夕食を運んできてくれる数時間後まで、私の状態はこんな感じだった。




