第二十二.五話 赤い悪魔
時は少々遡り、華雪が喫茶店に入った頃、五郎は訓練の一環として二郎に斬りかかっていた。
「そんな大振りな攻撃では避けてくださいと言っているようなものですよ?」
上段から繰り出される斬撃を、ひょいと特に気負いもせずに軽く避ける二郎に、五郎はさらに追撃をかける。
振り下ろした刀をそのまま地面に突き刺し、そこを起点に体のばねを使って空中に体を浮かせる。
そして利き足である右足を常々気に食わないと思っている二郎の顔面に振り下ろした。
だが、その動きは読まれていたようで左手一本で足首を掴むと、地面に叩きつけられる。
受け身と防御魔法を突き抜けて、殺しきれなかった衝撃が五郎の体を襲う。
肺から強制的に空気が押し出され、一拍遅れて痛みが後頭部と背中に広がった。
「がはっ!!」
「短絡的な攻撃は死に直結します。死にたくなければ頭を使って行動しなさい」
「う、るせっ!!」
意識がホワイトアウトしそうな状況下でも手放してなかった刀を、腹筋の力を使って上半身だけ起き上がり、未だに足を掴んでいる二郎の胴体めがけて横に薙ぎ払う。
しかしこれも読まれていたようで逆の手の指先で挟まれてしまうと、溶接でもされたかのようにびくとも動かなくなってしまった。
「刀を手放さなったことに対しては評価しましょう。
ですが、攻撃が単純では折角の刀も泣きますよ」
二郎は笑顔のまま五郎を再び地面に叩きつけた。
今度こそ意識を失った彼に対して、二郎は足と刀を離し、腹を蹴るという方法で文字通り叩き起こす。
身体が軽く五メートルは吹っ飛び、ごろごろと横に転がる。
強制的に意識が覚醒した五郎は、口から血反吐を吐いても近くに転がっていた刀に手を伸ばし、足腰に力が入ってないながらも立ち上がろうとする。
そんな彼の姿勢に内心で二郎は感心していた。
ついこの間までただの学生であった二十にも満たない子供が大の大人―――――たとえその筋のプロであるものでも逃げ出したくなるような訓練に未だに耐えている。
二郎の鍛え方が決して生ぬるいわけではない。
死ぬぎりぎりを見極め、徹底的に嬲りものにしている。
見ているものが拷問だと勘違いするほど激しい訓練は、二郎のように完全に相手を把握してなければできない。
そんな生死ぎりぎりの訓練に耐えきっている五郎がおかしいのだ。
「不香之花式《一の型》っ、灰雪!!!!」
「遅いです」
体の傷が影響しているのか、いつもよりも精彩に欠いた攻撃では二郎には届かない。
案の定、背後に回り込む前に足払いされて地面に転がる。
荒い呼吸をしながらもう立ち上がる力がない五郎はそこで大の字になったままだ。
それを見た二郎は限界だと判断して休憩を挟むことにする。
「休憩にしましょう。十分後には再開します」
「ああ・・・・・・」
五郎は大地に横たわったまま返事だけする。
まず、彼がし始めたのは怪我の治療だ。
魔力の残量を気にしながら最低限行動に支障がない程度に治す。
完全に治さないのは魔力が足りなくなるのが困るというのもあるが、痛みに慣れる訓練のためでもあるのだ。
傷つくことに躊躇していては、どれだけ卓越した力を持っていたとしても戦闘では足手まといでしかない。
子供のチャンバラごっこではないのだ。
僅かな迷いが死を呼び込む。
痛みに慣れることによって、躊躇せず敵の攻撃に飛び込んでいける。
そして、それこそが戦闘では一番生存率を上げる方法だ。
体を起こし、問題がないことを確認すると二郎から水筒を投げられる。
それは真っすぐ顔面を狙ったもので、さっきのかかと落としをそれとなく根に持っているようであった。
だが、あまり速度を出して投げられているわけではないので本気でぶつける意図は感じられない。
パシッと顔の前で受け止め、ふたを開けて中の液体で喉を潤す。
微かに甘くさっぱりとしたそれは、二郎特製の異世界版スポーツドリンクだ。
汗と一緒に排出され不足になりがちなミネラルを豊富に含んでいる。
五郎は華雪が作ったもののほうが美味しかったなと心の中で思いながらも黙って飲んだ。
「動き自体は良くなってますし、必殺技の成功率も上がってます。
ただ、圧倒的に実戦経験が足りないからか、相手の予想外の動きに対応できないことが多いです。
もっと視野を広く持って、単調な攻撃を繰り返さないようにしましょう」
二郎は五郎のことが大嫌い、むしろ殺したいと常々思っているが、実力だけは認めている。
彼は短期間ながらも濃密な訓練の中で剣道という芸から、生き物を殺す術に見事に昇華させている。
人間というのはつくづく自分の大切なもののためならなんでもできるらしい。
だからこそ、たまに人間に一時的にせよ敗れる神がいるのかと二郎は再度納得してしまったほどだ。
「次は絶対一撃は入れる」
「期待しないで待ってます。そろそろ再開しますよ」
今の二郎は力のほとんどを分散させてルークを探しているので、そんなに強いわけではない。
刀術に秀でている人間ならば、魔術や神話生物特有の能力を封じた真っ向勝負で九割は勝っている程の力だ。
それでも未だに五郎が一撃すら入れられないのは、二郎が言っていた通りに実戦不足と技量のなさのせいだ。
「分かった」
五郎が立ち上がり、刀を構えた時、彼の脳内に警告音みたいなブザーが鳴り響いた。
思わず戦闘態勢を解いて、片手を耳に当ててその音に集中する。
その音はだんだん大きくなり、言いようもなく五郎に焦燥感を与えた。
様子がおかしいことに気づいた二郎は訝しげな顔をし、
「どうかしましか?」
「・・・・・・華雪が危ない!」
五郎はそう言うと、身体強化を使って全力でこっちだと思った方に走り出した。
果たして華雪はそこにいた。
理屈が分からない勘のようなものは見事に五郎を華雪の元へ送り届けたのだ。
しかし、それが本人にとっていいかどうかは分からない。
俯いて顔が見えない華雪が右手を軽く振ると、ぐぱりと肉が解けるようにして、肩から下が変化した。
それは元の病的に白い肌とは真逆で、黒く染まり、いくつもの球体ががまとまった集合体だ。
それらは五郎から見て一番奥の男に接触すると、ぐちゃりと球体が当たった部分だけ男の体が消失した。
「か・・・せ、つ・・・・・・・・・?」
五郎は目の前で起こっていることが現実なのか、自分の目を疑った。
彼の知っている華雪という人物は魔法こそ使えるものの、素での攻撃力は見た目通りだった。
間違っても腕を変形させて、人を殺せるような力は有してなかったはずだ。
だが、目の前では実際に体を大きめの穴をいくつも空けた男が地面に沈む。
これは比喩表現ではなく、実際に地面にずぷずぷと沈んでいったのだ。
華雪の体から流れた黒い液体が地面に広がり、それが人間を飲み込んだことを喜ぶかのように水面をうねらせる。
生きている人間は飲み込めないのか、他の四人はその液体に足を浸したまま地面の上に立っている。
「こ、の、ばけものがぁぁぁぁぁぁ!!!!」
一際目立つ金髪の男が一番先に我に返り、華雪に殴りかかる。
五郎は危ないっ!!と反射的に叫んだが、華雪本体は動くことはなく、球体が守るように前に出てきた。
その球体が男の拳に接触するとじゅわっと何かが解けるような音がはっきりと聞こえる。
同時に腐臭が五郎の鼻に届いた。
どうやら瞬時に腕が腐敗したらしい。
そのまま球体は突き進み、男の腕を順次腐らせて、最終的に顔面から頭の後ろを通り抜けた。
ごっそりと顔が融けなくなった光景を直視した五郎は、近くの壁に手をついて吐きたいのを堪える。
その間に残りの三人も処理し終わったようだ。
裏路地には五人の人間がいた痕跡は綺麗さっぱりなく、底なし沼のような黒い地面が広がっているだけで他には何も見当たらない。
華雪は虚空をしばらく見つめていたが、やがて五郎に気が付いたのかゆっくりと顔を向ける。
瞳はいつものような静謐な深緑ではなく、玉虫色でギラギラと輝き、顔の表面は黒い血管が浮き上がり脈打っている。
輪郭は曖昧でどこからどこまでが顔で体で空気なのか視認できない。
「あっ・・・・・・」
「ぼさっとしない!!死にたいんですか!?」
急に首元を強く引かれて、後方の地面に下げさせられる。
その手の正体は二郎だった。
五郎がさっきまで居た所は球体が着地し、しゅうしゅうと音を立てて溶け崩れている。
乱暴なやり方だが助けてくれたようだ。
「おい、状況を説明しろ!!」
神経が鋼鉄で出来ているのか、目の前の惨状から素早く立ち直った五郎は、話が通じて事情を知っていそうな唯一の人物である二郎に話しかけた。
「詳しい説明は後でします!今は回避に専念しなさい!!」
顔のすぐ隣を球体が通り過ぎたので、二郎の言われた通りに回避に専念する。
当たったらヤバいのはさっきの奴らで実証済みだ。
二人は変わらない速度で裏路地を走る。
そのすぐ後ろでは球体が接触するありとあらゆるものを破壊している音だけが聞こえる。
「今思い出したんだが、強化魔法で振り切るっていうのはどうだ!?」
華雪のスピードは五郎達が走るのと同じぐらいの速さだ。
身体強化をすれば今の数倍の速さで走ることができるので、いい案だと提案する。
しかし、二郎は馬鹿ですか!?と五郎の案を一蹴した。
「そんなことをして華雪さんが私達を見失って、どこかの大通りにでも出たらどうするんですか!!冗談抜きに世界が滅びますよ!?
私は一向に構いませんけどね!!」
「まじかよ!!じゃあ、どうするんだ!!」
世界が滅びるという単語は現実味がなく聞こえるが、言ったのがあの二郎であるという点と、華雪から漂ってくる雰囲気的にありそうだと判断して、そこはひとまず信じておく。
さっきまでの訓練で体中がガタガタな五郎は、そろそろ追いつかれそうなので、何らかの打開策を求める。
「華雪さんを傷つけるのは論外です。
だからと言って、疲れるのを待つという手も使えません。
一刻も早く止めなければ華雪さん自身が危ないですから」
「つまり?」
「私が囮になります。貴方は私が殺されている間になんとかしなさい」
「ツッコミ所が多々あるんだが、お前は死んでも大丈夫なのか?」
五郎としては二郎が死んでも悲しんだりはしない。
だが、華雪が泣くのは嫌だなと思っている。
二郎はそんな彼の心情を理解しているので、華雪さんを悲しませるようなことはしませんよ、とだけ答える。
「あと、なんとかしろって言ったが、具体的には?」
「呼びかければ答えてくれると思います。完全に飲まれたわけではないので」
「あれでか?」
ちらりと後ろを向くと、ほぼ人間としての原形をとどめていない黒と玉虫色の球体の集合体が迫ってきている。
五郎が何気に好きだった赤い髪の一筋すら見つけることができない。
これで飲まれたわけではないと言われても簡単に信じることは難しい。
「未だに攻撃が当たってないのと魔術を唱えてないのがなによりの証拠ですよ。
じゃなかったら、貴方は今頃あの男たちと同じところにいますよ」
「華雪は、ちゃんと戻ってくるんだろうな?」
「そこは貴方の頑張り次第ですよ。これが壊れる前に何とか決着を」
二郎が走りながら渡してきたのはシンプルな逆十字の銀でできたペンダントだった。
棒が二本交わっただけのそれは飾りも何もなかったが、五郎が使っている刀と同じ種類の得体のしれない力を感じる。
首にそれをかけ、準備ができたことを目で知らせた。
「いいですか、貴方は華雪さんに集中ですよ。私のことは気にしてはいけません」
「分かってる。早くしろ」
「スリーカウントでいきますよ」
一・二・三、で五郎は百八十度進行方向を変えて走る。
獲物が自ら来たとばかりにいくつもの球体が五郎に襲い掛かってくる。
「今度はあの男を殺しましょうか。貴女の大切な大切なあの男をね!!」
しかし、後方からそんな二郎の声が聞こえてくると、球体は五郎の脇をすり抜けて後ろに向かう。
彼の言葉のどこにそんなに心の琴線に触れる部分があるのか五郎には謎だが、何はともあれ攻撃に当たらないのは助かる。
数歩足を出せば、大元である群集体に突き当たった。
「華雪!!」
躊躇せず、五郎は球体の塊に突っ込む。
球体から生み出されるネットリとした、明らかにヤバそうな粘液に触れても何ともないことから、二郎が渡したネックレスが頑張ってくれているのだろうと推測できる。
突入して数秒でぴきぴきとヒビが入っているので時間の猶予はあまりない。
大小様々な球体をかき分け、中心にいる華雪を見つける。
彼女は虚空を見つめ、玉虫色の瞳と口から黒い液体を垂れ流していた。
表情は人形のように無表情なのに、五郎には何故か苦しんで助けを求めているように見えた。
「帰って来い、華雪。
俺はもっとお前の笑顔を誰よりも傍で見ていたい」
呼びかける言葉は五郎の素直な想いだ。
それでも虚空を見つめながら涙を流す彼女にはその言葉は届かない。
五郎には華雪が何を見ているか分からなかったが、自分を見てないのは良く分かった。
それが無性に気に食わなかった五郎は華雪の胸倉を掴むと、無理やり視線を合わせた上で、自分の唇と彼女の唇を強引に合わせた。
キスというのには乱暴すぎて、歯と歯がぶつかるような代物だったが、華雪の気を引くのには成功したようだ。
劇的に変化は現れた。
玉虫色から深緑の瞳に戻り、周りの球体も華雪の中に吸い込まれるように戻っていく。
地面を侵食していた黒い液体も蒸発するように消え去った。
後には五郎の腕の中にすぅすぅと寝息を立てる、元の人間の形をしている華雪がいるだけだ。
「何とか、なって良かったですよ、本当に・・・・・・」
五郎が後ろを振り向くと、そこには右腕一本だけなくしている二郎が立っていた。
服こそボロボロだが、それ以外に目立った怪我はない。
腕の断面は黒いつるりとした面が覗いているだけで、血は一滴も滴っていない。
そのせいで現実味がなく、あまり痛くなさそうとう感想を五郎は抱いた。
だが、一応腕は無くなっているので、形式的に大丈夫かどうか聞いた。
「腕一本無くなっているが、大丈夫なのか?それ」
「ご心配なく。すぐに生えてきますので」
「お前はプラナリアかヒドラの精か何かなのか?」
少なくとも、普通の人間はひょいひょい腕を生やしたりできない。
その内、頭と胴体が離れても平然と頭を脇に抱えて歩き出しそうで恐怖を覚える。
五郎としては大真面目にそう聞いたが、二郎からしてみれば、こいつ何馬鹿なことを言ってるんだ?状態だった。
「私の正体はそんなに愉快なものじゃないですよ。
気になるのでしたら、華雪さんから聞いてください。私から回答することは何もありません」
「だろうな。まぁ、お前のことはどうでもいい。
とりあえず、華雪をベッドに寝かせたい」
二郎の正体なんかよりも、ぐったりしている華雪の方が五郎には重要だった。
驚くほど軽い彼女を抱いているのは苦ではないが、疲れているであろう彼女をきちんとしたところで寝かせてやりたい。
二郎もその意見には賛成なので、魔法で城に作られた華雪のための部屋への転移ゲートを作る。
先に五郎と華雪を通し、後から続いて二郎がゲートをくぐる。
しかし、その前に足を止めて、誰もいないはずの裏路地に声をかけた。
「私も後から行きますのでほどほどに」
二郎の声に答えるように、一部の空間が歪んだが、それを見たのは声をかけた本人だけだった。
その光景を了承と受け取った二郎は一つ頷いて、ゲートをくぐった。




