第36話~覚悟を決めて~
「………良し。此処なら、誰も邪魔は入らないね」
エーリヒに連れてこられたのは、ギルドの屋根の上だった。
其所に飛び上がる際は通行人から注目を集めたが、今では何事も無かったかのように行き交っており、ギルドの屋根の上に居る2人の事を気にする者は居ない。
周囲を見渡しているエーリヒを見て、神影が苦笑混じりに口を開いた。
「まあ、屋根の上まで上がってくるような物好きは居ないと思うがな」
「ははっ、違いない」
そんなツッコミを受けたエーリヒは、軽く笑いながらそう言って、神影の方を向いた。
「さて、ミカゲ………正直言って、君なら何とか出来るんじゃないかな?君が持っている力を使えば、ね」
単刀直入に、エーリヒは言った。
「………ああ、出来ると思う」
少しの間を空けて、神影は頷いた。
「確か、"黒尾"………だったよな?ソイツ等の大まかな居場所も聞けたから、後は戦闘機で直行して、機銃掃射や爆撃で片付けてやれば良い」
「そうだね………でも」
そう言いかけて、エーリヒは表情を真剣なものに変えた。
「君は、戸惑っているんだね。盗賊を…………いや、人を殺す事に」
「ッ…………気づいてたのか?」
今の心情をズバリと言い当てられた神影が聞き返すと、エーリヒは頷いた。
「まあね。あんな複雑そうな表情をしていたら、誰でも直ぐ分かるさ」
その言葉から、イーリスとリーネを見ていた時の自分の事を言っているのだろうと、神影は悟る。
「コレは、あくまでも僕の予想だけど………君は今まで、人を殺した事が1度も無かった。だから今回の話を聞いて、連れ去られた女性達を助けるためには盗賊を殺さなければならない事を悟って、彼女等を助けたい気持ちと、人を殺さなければならない事への戸惑いが小競り合いをしている…………違うかい?」
「………いや、全くもってその通りだよ。エーリヒ」
いつになく力の無い声で答えた神影は、自分の考えていた事を全て話した。
エーリヒの言う通り、神影や他の召喚組が住んでいた世界では、紛争や殺人事件こそ起こっているものの、少なくとも神影達は、そう言う類いのものとは無縁な生活を送っていた。
それに今回の場合、相手は盗賊とは言え人間だ。その辺の虫や魔物を殺すのとは訳が違う。
たとえ罪人が相手だとしても、やはり殺す事には戸惑いを感じてしまうものだ。
「こう言う展開は、物語でもよく見たものだよ。でも………」
「いざ自分がその立場になると………みたいな感じかな?」
神影が言いかけた言葉を、エーリヒが繋げる。
「ああ…………情けない話だけどな」
自嘲気味にそう言う神影に、エーリヒは首を横に振った。
「そんな事はないよ。誰だって、最初はそんなものさ。僕だって、今こうして偉そうに言ってるけど、人を殺した事なんて、1度も無いんだからね」
「じゃあ、お前も…………?」
神影が訊ねると、エーリヒは恥ずかしそうに頷いた。
「ああ。魔術師団に所属していながら恥ずかしい話だけど………正直言って僕も戸惑ってるし、人を殺すのは怖いよ。でも………」
そう言って、エーリヒは真剣な表情で神影を見据えた。
「死と言うのは、何時でも遠慮無く襲ってくる。なら、いざと言う時に、この手を血で染める覚悟をしなければならない。この世界で生きていくためには、そんな残酷な現実でも受け入れなければならないんだ。それが出来ない者は………何も出来ずに死ぬだけだ」
それを聞いた神影は、全身の毛が逆立つのを感じた。
エーリヒの言った事に、嘘を感じなかったのだ。
それに、彼が所属していた魔術師団や騎士団は、言ってみれば"軍"と同じだ。
魔人族や、魔人族側に寝返ったヒューマン族側の国と戦争になった時、戦場に赴いて敵を殺す役目を担っている。
それだけに、彼の言葉には説得力があったのだ。
「悲しいかな………この世界では、君が思っている以上に人の命は軽いんだ。ボーッとしていると、何時の間にか誰かに殺されたり、大切なものを奪われたりする…………そんな世界なんだよ」
彼の言葉が、神影の心に重くのし掛かった。
それからエーリヒは深く溜め息をつくと、最後にポツリと、呟くように言った。
「人殺しをするのが怖いとか、そんな事を悠長に言ってられるようなものじゃないんだよ………この世界は………」
曇った表情を浮かべ、エーリヒは明後日の方向を向いた。
「(コイツ、そんな事まで考えてたんだな………)」
内心そう呟いた神影は、異世界の恐ろしさを改めて思い知らされるのと同時に、自分が今まで娯楽の1つとして読んできたファンタジー系の創作物が、急に恐ろしいものに感じられた。
主人公が敵を………人間を殺す事を表した文章や映像が次から次へと脳裏に思い浮かび、それらへの恐怖で倒れそうになる。
だが、其処で負ける訳にはいかないと、日頃の生活で無駄に頑丈になった精神をフル稼働させて堪える。
すると、ずっと黙っていたエーリヒが神影の方を向いた。
「………偉そうな事を言ってゴメン。まるで、僕がこの世界の全てを知り尽くしているような言い方だったね」
そう言うエーリヒに、神影は首を横に振った。
「いや、良いんだ………」
それだけ言うと、神影は航空兵器の一覧を開き、表示された全ての機体に目を通した。
「(俺の力を使えば、黒尾の連中に捕まった人達を助ける事が出来る。後は………)」
──自分が覚悟を決めるだけ、と言う事だ。
「そうだよな…………逃げる訳にはいかねぇよな」
「………?」
突然そんな事を言い出した神影に首を傾げるエーリヒ。
だが、神影はそんな彼に構う事無く、自分の決意を伝えた。
「エーリヒ………俺、リーネさんの依頼を受ける事にするよ」
「………!」
それを聞いたエーリヒは、目を見開いた。
「………本気なのかい?」
「ああ。それに今思ったんだが、そもそもこの世界に召喚されて、種族間戦争に参加する事が決まった時点で、この覚悟は決めておくべきだったんだ」
そう言って、神影はゆっくりと歩き出した。
「人を殺さないに越した事は無いが、お前がこうして覚悟を決めてるのに、俺が何時までもウジウジしている訳にはいかねぇよ」
背中を向けてそう言った神影は、全ての憂いを振り切ったような笑みを浮かべて振り返った。
「それじゃあ、行ってくる」
そう言って飛び降りようとした時だった。
「待って」
そんな声が聞こえて足を止めると、エーリヒが隣に並び立った。
「僕も行くよ。君にあんな偉そうな事を言った手前、僕だけ呑気に待ってる訳にはいかないからね」
「だがエーリヒ、俺は戦闘機で行くんだ。前みたいに歩いて行くのとは違うんだぜ?」
神影が尤もな疑問を口にするが、エーリヒは1歩も引かなかった。
「それは百も承知さ。だから君に、頼みがある」
そしてエーリヒは、とんでもない事を言い出した。
「君の特殊能力………確か、"僚機勧誘"だってよね?あれを、僕に使ってほしいんだ」
「ッ!?」
その言葉に、今度は神影が目を見開く番になった。
自分の天職の能力については、ある程度エーリヒに話している。
その際、当然ながら"僚機勧誘"と言うのがどのような能力なのかも話している。
"航空傭兵"の天職は、1度でもコピーすれば2度と元の天職に戻す事が出来なくなる。
つまりエーリヒが言っているのは、"魔術師"の天職を捨てて"航空傭兵"として生きると言う事を意味しているのだ。
その事もあり、神影は厳しい表情を浮かべて口を開いた。
「お前……………自分が何言ってるのか分かってんのか?俺の天職は、コピーすれば2度と元の天職には戻せない。言わば、一生消えない十字架みたいなモンだ。それに戦闘機は、この世界を基準にすればオーバーテクノロジーの塊だ。コレが知られたら国の連中は黙ってないだろうし、何より、元々の天職を捨てる事になるんだぜ?」
「ああ、勿論分かってるよ…………それを覚悟した上で言ってるんだ」
鋭い視線を向けて訊ねる神影を、エーリヒは真っ直ぐ見返した。
その視線は、彼の言葉に嘘偽りが一切無い事や、神影が何を言おうと、この頼みを撤回する気は無い事を語っていた。
「だから………もう1度言うよ」
そう言って、エーリヒは神影の両肩に手を置き、そのエメラルドグリーンの瞳に神影の顔を映す。
そして、大きく深呼吸した後、先程の言葉を繰り返した。
「君の能力で、僕を…………君の、僚機にしてほしい。君と一緒に、戦わせてほしい」
「……………」
そう言うエーリヒを、神影は最後の確認とばかりに見つめる。
その間、エーリヒが神影から目を逸らす事は無かった。
彼の瞳は、微動だにせず神影を映し続けていたのだ。
「(………こうまでされたら、ちゃんと応えないとな)」
内心そう呟いた神影は、エーリヒの肩に手を乗せた。
「分かったよ、エーリヒ。俺の僚機になってくれ……………そして、盗賊共に連れ去られた女性達を、必ず助けよう!」
「……ッ!ああ!」
神影の言葉に、エーリヒは力強く頷いた。
こうして此処に、この世界で初めての航空傭兵部隊の誕生が決定した。