第10話~訓練後の話~
食堂に到着してレイヴィアと別れた神影は、両開き扉の取っ手に手を触れた。
既に多くの生徒が来ているのか、今日の訓練や、午後に行われた座学の授業の話で盛り上がっている声が扉越しに聞こえてくる。
「何か、雰囲気的に入りにくいな…………病気とかで遅刻して授業中の教室に入ろうとする奴の気持ちが、今となってはよく分かるぜ」
「いや、何言ってんだよ古代?」
突然後ろから聞こえてきた声に、神影はギョッとして振り向く。
其所に立っていたのは幸雄だった。
彼も今来たところらしく、傍に彼の専属メイドと思わしき女性が1人ついていた。
やはり、そのメイドも美人だった。
「ああ、何だ。瀬上だったのか………ビックリさせんなよ」
「ははっ、悪い悪い。食堂に着いたと思ったら、お前が扉の前で何かブツブツ呟いてっからさ」
ケラケラ笑いながらそう言った幸雄は、メイドに戻っても良いと伝える。
その指示を受けたメイドは、2人に向けて軽く一礼してから引き返していった。
それを見送った2人は、扉を開け放って中へと足を踏み入れた。
すると、既に来ていた生徒達が彼等に視線を向ける。
女子生徒達は、入ってきたのが神影と幸雄である事を確認すると直ぐお喋りを再開したのだが、他の男子生徒達は神影に蔑みの眼差しを向けていた。
これが神影だけなら、蔑みの眼差しに加えて功達が悪口も飛ばしてきただろう。
だが、今回は幸雄が一緒に居るためにそれは出来ず、ただ睨むだけに留められていた。
2人はその視線を無視して、朝や昼に座った席へと歩みを進める。
太助は既に席に着いており、2人を見つけると軽く手を振った。
神影が手を振り返すと、後頭部で両手を組んだ幸雄が、不意に口を開いた。
「しっかし、どうも慣れねぇんだよなぁ………誰かに"様"付けで呼ばれるなんてさ」
「…………ああ、メイドさんからの呼ばれ方か?それは俺だって同じだよ」
神影は、苦笑を浮かべながら相槌を打った。
付け加えれば、神影は専属メイドを与えられた時点で自動的に出来ていた、"主人と使用人"と言う関係に、未だ慣れていなかった。
日本に居た頃はファンタジー系の創作物を読み漁っていたために、主人公とメイドのやり取りは何度も目にしているのだが、いざ自分がその立場になると、やはり戸惑うと言うものだ。
それ故、レイヴィアが部屋を訪ねてきた時には、まるで家族にする時のように神影が自ら部屋のドアを開け、それに驚いていたレイヴィアに、逆に戸惑いを覚えたのだ。
本来なら、使用人を部屋に入れたりするために主人がドアを開けるような事はしない。
だが神影は、それを何の躊躇いも無くしていたのだ。
別に悪い事をした訳ではないだろうが、神影が未だ、異世界でのルールや自分の立場、そして、彼とレイヴィアの間に出来上がっている主従関係に慣れていない事を、改めて実感させられる出来事だった。
部屋のドアを開けた時、何が起こったとばかりにキョトンとした表情で瞬きしているレイヴィアの顔を、神影は今でも鮮明に覚えている。
そうしている内に、2人は自分達の席に腰を下ろしていた。
「お疲れ様だな、2人共」
「ああ、篠塚もお疲れ様」
「お疲れぃ、太助」
労いの言葉を掛けてきた太助に、2人も返事を返した。
異世界に召喚される前、3人が学校でもよく交わしていたやり取りだ。
「それにしても古代、初日から大変だったな」
「ああ。まさか走り込みでビリになった上に、制限時間を5分もオーバーするなんて、俺でも思わなかったぜ」
太助の言葉に、神影が苦笑を浮かべながら返事を返す。
「しっかし、あの学校最速の古代がビリになるなんて、俺様考えもしなかったなぁ…………古代、念のために聞くが、本当に手ぇ抜いたりしてねぇんだよな?」
「ああ、勿論だ。あれで本気だったよ。結構スピード出して走ってたからな」
幸雄からの質問に真面目な表情で答える神影。
その表情や雰囲気から、幸雄と太助は神影が嘘をついていないと確信する。
彼等が話題にしているのは、今日の訓練での走り込みの事だ。
基礎体力作りとして走り込みをする事になった神影達は、彼等が活動拠点としているこの城の敷地の外周を、20分以内に完走するようフランクに言われたのだが、神影は彼に言われた事を達成出来なかったのだ。
走り込みの結果は、神影が言ったようにビリである事に加え、制限時間を5分もオーバーすると言う結果に終わった。
「私としても、まさか日本に居た頃は学校最速で、誰も追い付けないと言われていた古代を追い抜いた上に、そのまま大差をつけるとは思わなかったな」
腕を組んだ太助が、ウンウンと頷きながらそう言った。
今でこそ勇者達の中で最下位に位置付けられている神影だが、彼は元々足が遅かった訳ではなく、寧ろ学内最速と言える程の俊足の持ち主だった。
高校入学前から、戦闘機やアニメに関するグッズを仕入れるために出掛ける事が多かった神影は、電車賃の節約のために、殆んど自転車や徒歩で10㎞以上離れた店に向かっていたのだ。
加えて高校入学後、電車通学である神影は、降りる駅から学校までを、1日分の教材を詰め込んだ鞄を提げ、軽く走って登校する事が多い。
それによって、神影は足腰や体力面ではかなり鍛えられており、足の速さや持久力においては、運動部員は勿論、勇人や一秋のようなハイスペック男子すら置き去りにしてしまうようになったのだ。
事実、体育祭での徒競走や、体育の授業での持久走において、神影の前に出られた者は誰1人として居なかったのだ。
それで運動部の生徒達が軽く自信喪失したり、自分の趣味を最優先にするために部活に入っていない神影を勧誘する部員が出たりしたのは記憶に新しい。
「(それが今では、この有り様だからな………)」
持ち前の脚力故か、敏捷性においては他の勇者達に劣らないステータス値を持つものの、やはり日本に居た頃は、脚力と並んで学校で自分の右に出る者は居ない程高かった筈の体力面で足を引っ張っている上に、何より"勇者"の称号が無いと言う事が、大きなネックになっていた。
何せ神影は、他の勇者達より成長速度が遥かに遅いのだから。
「(それにクラスの連中の前では、戦闘機の力を使う訳にはいかねぇならな……………そうなると、鍛練で地道にステータスを上げていくしか方法は無いだろうな)」
そう考えている内に、生徒全員が揃った。
神影は一旦考えるのを止め、出された夕食を口に運んだ。
そして食事を終え、食堂に入ってきたフランクから翌日の連絡を聞かされた後、さっさと部屋に戻ってベッドに飛び込み、そのまま眠りにつくのだった。