桜の過酷な運命
――氷の王子に熱愛の嵐!
朝刊にドバーンと大見出しが踊っている
もっとでかでかと紙面の全面ぶち抜きで陣取っているのは、カメラに切り抜かれたキスの写真
「はっは、朝刊のトップニュースにすっぱ抜かれるとはやるな弟よ!はっは」
ぱしーんと食卓に新聞を広げて、王様が真っ白な歯で笑う。
ううう、登校したら黒板に相合傘……どころか号外まで出るとは
公開処刑のスケールが国家規模だ
「お相手にブチ切れられて泣き伏してなければ、もっとクールだったね」
ユーリが皮肉に笑ってスープを掬う
優雅な所作で匙を唇に当てているが、そのスープは実は麦茶なのだ。
さっき割とカルチャーショックを受けたのだ
「で、トップニュースの王子様、何か姫に言うことは?」
「……ありません」
胡乱気なディルにぷいっと顔を逸らされる。視線も合わせてくれない
一夜明けて冷静になり、無礼な私に怒っている……のだろうか
視線も合わせてくれない割には、ふと逸らした瞬間に猛烈に盗み見られている気がする。
そして、たまに「ううう」「サクラ……」「今日も世界が滅びそうなほどかわいい……」などと呻きともつかない呟きが漏れるのである。そしてその声が妙に色っぽい熱を帯びているのである。
落ち着かない。
香り豊かな食後のお紅茶も、華やかなヴァイオリンの調べも吹き飛ばして落ち着かない。
落ち着かないまま食事終了
遂に仲直りのきっかけすらつかめなかった
ため息をつきながら一人寂しく廊下を歩く
ひた……ひた……
ついてくるー!?
何か、付いてきているんですけれども!うなじのあたりにぞわぞわ熱視線を感じるんですけれども!!!
くるっ
しゃっ
なにか青い影が素早く柱の陰に隠れた。だがしかし大きくたくましい身体は隠れきれていない。
ディル……
暫く呆然と立ち尽くしていると、そろーーーっと柱の影からにょっきり頭が生える
じとー。
目が合う
「はぅ!」
しゃっ、と頭が引っ込む
猫か。
「……」
くるっと方向転換して、エントランスへ向かう。シンメトリの階段を下りる
そのまま中庭へ
「ああっ、だめだサクラ、そっちへ行っては、私の隠れられる場所がない!」
柱の陰から非常に焦ったつぶやきが漏れる
当たり前だ、いぶりだすためなんだから。
桜はさわさわと春の風に緑の揺れる中庭へ出た
ここまで来れば隠れられまい
「ディル……お願い出てきてお話ししましょう。」
エントランスから植木の影へ、いかに飛び移ろうか画策しているらしきディルに話しかける
「サクラ!……い、いいのか。口を聞いても」
ぱああ!! っとディルが輝いて瞳を上げかけて、さっと顔を伏す。
どうしちゃったの!?
「ディル、怒ってるの?……やっぱり、私のこと嫌いになっちゃったの? 口もききたくないの?」
「誰がサクラ嫌うですって?どうやったら愛らしいサクラをきらえるというのか。サクラのこと嫌う奴なんてこの世に存在しませんさせません。いたらすぐさま叩き潰します。」
途端に凄まじい勢いでまくしたてるディル
ええー。目がマジだ
「でも、目も合わせてくれないし、近くでお話してもくれないわ……」
「違うのです。合わせられないのです。あなたの愛らしいお顔を見ると私の身体は勝手に動いてあなたを抱いてしまうから。いとしさが私の理性を溶かしさってしまうのです。」
ディルが柱の陰から姿を見せる。だが、桜の瞳を見てはくれない
ぐうっとあごを引いて、悔しげに歯を食いしばる
まるで思い切り「待て」を命じられた犬のよう
「気がついたのです、私は、張り切りすぎていたのではないのかと…!張り切りすぎてちょっと、サクラとの距離を詰めすぎたのではないかと…!!」
おおう、やっと気づいてくれたか、そこに気づくとはえらい
「私は桜がこの世界に来る前に、万全に受け入れられるよう、サクラの世界のガイドブックを熟読したのです」
ああ、あの過激なイタリアの本を
「それはもう熟読したのです。あまりの過激さに凄まじい衝撃を受けましたが、多少鼻血もでかかりましたが、これがサクラの世界の文化なのだと言い聞かせて懸命に理解に努めたのです」
まて、あのガイドブック何書いてあったんだ? どんだけ過激だったんだよ
「そうして熟読するうちに感化されてしまって、完全に浮き足立ってしまったのです。もうあなたの愛らしい姿を見ただけで私の頭はいろいろ大変なことに」
ちょっと待てー、なんだその、エロ本で興奮した思春期男子みたいな状況は。私で卑猥な想像をするのはやめてくれ!
「けれども、あなたが慎しみ深い乙女と知ったとき、私は歓びで舞い上がってしまいそうでした。サクラは口づけをしたことも無くて、初めてを奪ったのはこの私。もう嬉しくて嬉しくて。それで逆にどんどん歯止めが効かなく……」
一応歯止めをかけようとはしてくれてたらしい
「でも、それは、きっとあなたも私と同じ気持ちだと思っていたからなのです。私と同じように、一目で私に惹かれてくれているとばかり。私の心が燃え上がったように。ですが違いました。私はサクラに無理強いをしなければならない。それが辛くてたまらない」
ぱちん
ディルが指を鳴らす
と、どこからかひらひら舞い降りた花びらが、桜の身体を包む
さくらの花びら
よく見れば、本物の生花じゃない。光の花びらだ。かざした手のひらを透けて抜け落ちていく。
淡い光の花びら
「この花の渦に巻き込んで、あなたを元の世界へと返してあげられれば良いのに。あなたの幸せこそが、私の至上の幸福なのだから」
花渦の中で佇んで、静かにディルがほほ笑む
花吹雪の中で笑う青い王子様
寂しげに笑う瞳も、ぞっとするほど整っていて、思わず息を忘れてしまいそうになる
「未練がましく取りすがる私を、許してくださいサクラ。美しいあなたの名を宿した花の精の力を借りて、私の想いを伝えたい……あなたに大切なことを伝えなければならない。とても残酷な事を」
光の粒がディルの青い目に乱反射して、暗い瞳の底をあらわにする
「本当はあなたにも、この世界にお呼びした使命があるのです。あまりに過酷なので申し訳なくて言い出せなかった。」
そ、そんなに過酷なの?
ゆっくりと近づいたディルが、そっと桜の肩に触れる
いままでに無いほどそっと抱き包む。小さな獲物を逃がさぬように。
青いぬくもりに包まれる。なぜか切なくなる香で胸がいっぱいになる
「心のとらえかた次第です。人によっては、至上の幸せでしょう。だが、どうやらあなたにはとても過酷な運命となってしまうようだ」
とっても悲しそうなディルの声。悲嘆に瞳が揺れている。どうしてだろう、ディルが悲しそうだと私も悲しくなる。
真っ青な夜の海に一人で佇んでいるような気持ち
「言ってみて、私にできることならする」
「うう、サクラ、そんなに簡単に安請け合いしたらいけない」
諭すように囁かれてしまう。だが、その声は苦し気に落ちてかすれている
「ディルのお願いだから受けようと思うのよ」
「ひぐっ、だからそういうことを軽々しく言っては…ダメ、サクラ。きっとあなたは泣いて嫌がるでしょうから。」
そんなに過酷な使命なのか!?
過酷な運命に放り込むためにみんな優しくて甘々だったのか?
何だか怖くなってきた。
「……こ、断れる?」
「前例はないですが、断れます。…多分断られたら私の心臓は潰れてしまうと思うが」
苦しげに眉を歪めて胸を抑えるディル
デ、ディルの体調まで左右してしまうのか?責任重大そうだ
「い、いいですか?言うぞ、桜の使命は……まって、ちょ、ちょっと深呼吸させて」
「う、うん、私も」
すーはーすーはー
互いに肩を支えあって深呼吸する二人
ひらひら笑うように光の粒が舞う
意を決したディルが口を開く
「あなたの定め…それは、」
それは?
「私の妻となること!」
……へ?
つま?
ディルのお嫁さん?
それってそんなに過酷かなあ?
むしろとっても、物凄くうれしいのですが
「大嫌いな私の妻になるなど、サクラにとっては辛く過酷な地獄そのものだろう?」
ぷるぷる震えるディルの目には、若干涙がにじんでいる。自分で言って悲しくなってしまったらしい。絶望の表情だ
「サクラ、どうして姫と呼ばれるのか不思議に思わなかった? 私と結婚するからです。あなたは私の運命の婚約者として、この世界に召還されたのです。」
さああ
光の花森の満開の渦にのまれて頭が真っ白になる
「……私が、ディルの運命の婚約者?」
信じられない思いで確かめる
「そうです」
「……それでディルはいいの? ディルは私なんかと結婚したいの?」
「何を言う! あなた以上に可憐で可愛くて愛しくて愛らしい方はどんな世界にもいない!一目でわかった、サクラこそが、私が長年思い描いてきた運命の人だと!!! いや、私の想像など遥かに超えて貴方は素晴らしかった!」
ぎゅうっと一層力強く、ディルの腕に力がこもる
痛いほどの情熱をたたえて、桜の瞳を射貫いたまま
美しい夢のよう。
この胸の痛みが無ければ、幻だと思うだろう
青く染まった桜の世界が、ぼんやりとほどけて滲む
嬉し涙
「!……サクラ。すまない。やっぱり泣いて嫌がらせてしまった。…大丈夫、この私が貴方にふさわしい伴侶を見つけて見せる……きっと、運命の神も何か間違えたんだ、……何も、心配しなくていい」
桜の涙を拒絶と勘違いしたディルが、慌てて言葉を紡ぐ。
その顔は苦悶そのもので、声をひりだすのも苦しげだ
違うの、ディル以外の伴侶をあてがわれるなんて絶対嫌だ。ディルはいつも努力の方向音痴だ。でもそれが愛しい。ディルの優しい思いやりがまた嬉しくて、滲んだ涙は止めようもなくなってポロポロ号泣してしまう。
何とか息を吐く
「無理よ…ディル以外の伴侶何て、見つけられないわ…」
「サクラ?」
「ディルのお嫁さま、これ以上の幸せってないとおもうもの!」
桜の顔に満開の泣き笑いが咲いて、ぎゅうっとディルを抱きしめ返した!
逞しい胸板に、頬を擦り擦りする。
「サクラ……? 私が嫌いなのではないのか?」
信じられないと言った面持ちで、おずおず背に手を回すディル
「ううん」
その反対なの
「出会って間もないのに、どうしていいかわからないくらい好きなの! 大好き!!!」
「ああ、サクラ! 信じられない! ああ神よ! こんな幸せがあっていいのだろうか!」
花嵐の洪水の中で、硬く抱き合って愛を確かめ合う二人
「ディル……」
「サクラ……私の最初で最後の愛する人」
蕩けて潤んだ瞳で見つめあう。キラキラと輝く瞳に閉じ込められてしまいそう。もしも永遠があるならば、きっとディルの瞳の底だろう
永遠に見つめていたかったのに、美しい瞳がそっと閉じられる
愛しい人の唇を奪うために
三度目のキス
運命の恋人のキス
情熱たっぷり、幸せで弾けそうなキス
ぱちぱちぱち
「おめでとう」
拍手が響く
「ユーリ!」
木陰に背を預けて、白の王子が静かに微笑んでいる。
儚げな容姿に恐ろしいほど光の花びらが似合う
「僕は兄様が幸せで嬉しいよ」
にっこり
陽にさらされてより一層際立つ白い肌
あれ?
それにしたってユーリ、なんで運命の人がディルだって教えてくれなかったんだろう
「何だお前たちもうくっついたのか。運命の相手は出会って三日以内に絶対くっつくって本当なんだな。つまらん」
ひょいと顔をのぞかせた王様が笑う
「賭けていたんだよ。兄様とサクラが三日でくっつくか否か」
ひ、ひどい
抗議したかったが、声を出すことはできなかった
思い切り深く唇を塞がれてしまっていたから
「んんっ、サクラ、愛しくてたまらないサクラと両想い。もう離さない!!!ああっ幸せで死んでしまいそうでも死んだらサクラと離れてしまうから死なない絶対死ねない死んでも離さない可愛いサクラ可愛い愛しい柔らかいいい匂い可愛い可愛いやっぱりサクラが可愛すぎて死にそうはあはあ。サクラ……!」
ヤバい、また感極まっているぞディルさん。全速力で感極まっている。いや、今まで抑えていたというのは、割と本気だったのかもしれないぞ。フルスロットルだ。
桜の身体はとうの昔に逞しい腕にがっしりと抱え込まれてしまい、足は地面とお別れした。激しい口づけに身もだえて、すかっすかっとむなしく宙を蹴る足。
ぎゅむうっと痛いくらいに唇を押し付けられて、熱く大きく柔らかな舌でねぶられる。
――人前!!! 人前!!
一応、たんたんっ!たんっ!と必死に胸を叩いて抗議しては要るのだが、全く効果なし。びくともしない。むしろなぜかどんどん興奮したディルに、ぐぐぐっと押し迫られて、ますます深く沈み込むばかり
抵抗むなしく桜の唇から「んむむ、うむう」などと言う不思議な音がこぼれる
それもやがて力尽き、くたりと墜ちて抵抗を諦めた桜を、思う存分味わうディル。当分手放す気はなさそうだ
「話は全部きいていました!」
「おめでとうございまーす!」
「素敵です!!!感動しました!」
何処から現れたのかメイド、執事、庭師、宮廷楽師、各々自慢の楽器を構えて掻きならす
陽気な音楽も情熱的かつ執拗にこねくり回された桜の頭の中には届かない
「やあめでたい。さあ踊ろう輪になって歌おう。口づけに夢中で歌えないディルの代わりにな……どうしたユーリ、踊らないのか?」
「え、ああ。そうですね」
ぼんやり見入っていたユーリが我に返って王様の手を取る
たっけてー!
踊ってないで助けて!!!
というか私を中心に踊らないで!!!
私を中心に公開処刑ダンスを踊らないでえええええ
哀れ、桜、魂の叫びは、ディルの舌に吸われて「んむむ、んむーっ」という音にしかならなかった。
ついでに言えば余計ディルをきゅんきゅん煽って燃え上らせただけだった
ディルのお嫁さんになれること、世界一幸せだと思ったけど……幸せだけど……
……もしかしたら凄く過酷かもしれない……
白む意識の中でうっすらそう思い至ったときにはもう逃れようもなく
がんじがらめに絡められた腕の檻の中で、熱い愛の宴はいつまでも続いたのだった