職員会議
「あったま痛・・・気持ち悪・・・」
昨日は明らかに飲みすぎた。やっと教採に受かった美紀と同期の野原と3人で、合格祝いと称し、木曜の夜なのに飲みすぎた。野原が『白山』なんか持ってくるからいけないんだ。あの飲みやすさ。私は高いお酒です、ということを少しも匂わせない喉越し(!)の良さで、ガンガンいってしまった。野原は今日は午前中授業ないし、非常勤やってる美紀も金曜は授業がない。よって今朝苦しみながらも早くに起きて仕事に行かなきゃいけないのは私だけ。
「やばっもうこんな時間!」
慌てて化粧もそこそこに、適当に服を引っ掴んで着る。
1時間目を終えて、職員室に行く。結局朝礼に間に合わず、授業のある教室に直行したので、少し肩身が狭い。
「朝霧先生。」
「は、はい?!」
早速関田教頭から声をかけられてしまった。教頭は私の全身を眺め回し(特に下半身)、引きつった顔でこう言った。
「とにかく、この事は臨時職員会議で話し合うことになりましたから。必ず出席するように。」
「はぁ・・・」
教頭はそれだけ言うと、すぐに自席に戻った。
真っ先に思い浮かんだのは遅刻のことだった。しかし、授業に遅れない範囲で遅刻する先生なんて、私以外にも時々いる。なんてったってこんな遅刻は、私の教師人生(まだ短いけど)の中でも初めてだった。初めてだから、今後こんなことがないようにって叱られるのかしら?でも校内禁煙なのに、体育館裏で不良生徒みたいにこっそりタバコ吸っている先生だって見て見ぬふりしているのに!あれは校長先生もその一人だから?!一人混乱する私に、職員室内にいる何人かの先生がチラチラと視線を投げかける。そこへ体育の安岡先生が職員室へ入ってきた。連絡黒板を見て、なんだよ、臨時職員会議かよー、試合近ーのにーと言っている。
「お、先生おはよう。今朝遅刻ー?珍しいね」
「大学の同級生がやっと教採に受かって、そのお祝いで飲みすぎちゃって・・・」
「あははー若いねぇ。・・・」
と、安岡先生が私を見た途端、怪訝な顔をして、会話を打ち切った。そして次の授業~と独り言ちてすぐに職員室を出て行ってしまった。どいつもこいつもなんなのよ、一体。心の中で毒づきながら次の授業へ向かおうとしたそのとき、教頭からあるものを手渡された。
「それでは臨時職員会議を始めます。議題は・・・もう申し上げなくても、分かっている方が多数かと思いますが」
「これって服務規程違反になるんですか?」
「そこまで細かいことって書いてないはずでは」
「そもそも服務規程に含まれるんですか?」
「問題はそういうことじゃなくて、見ている人に、まあウチで言えば生徒や教職員に不快感を与えているかどうかってことなんじゃないですか?」
何がなんだか分からないうちに臨時職員会議は始まった。私は、関田教頭の隣に座らされた。反対側には校長が座っている。議題はおそらく私に関することなんだろうけれど、釈然としない。
「見た目云々言うんならですよ、もっと一言申し上げたい人は朝霧先生の他にも大勢いらっしゃるんじゃないですか?」
他にも、って。私の見た目が問題だというのだろうか。そりゃ生まれてこの方絶世の美女と言われたことはないけれど、容姿をからかわれたこともない。いたって普通の見た目のつもりなんだけれど?そもそも教員が容姿についてあーだこーだ言ってもいいんですか?いじめじゃないですか?これは。
「どういう意味ですかっ?」
恩田先生がバーコード部分を振り乱しながら立ち上がる。全体的にもっさりとした、洗い立てYシャツを着て、1本1980円パンツを何年も穿きつぶしている先生だ。
「・・・別に恩田先生を名指ししたわけじゃないですよ。一般論です、一般論。こんなことで全職員が雁首そろえることが可笑しいって申し上げているんです」
「こんなことって!服装は大事です。生徒には厳しく指導しているのに、教員がそんなずんだれた格好するなんて、よくないと思います。」
「ずんだれたって、何ですか?」
「鹿児島弁でだらしないっていう意味ですっ」
「あれ、高幡先生、鹿児島出身なの?オレ長崎」
「うそ、ほんと?」
「話ずれてってますよ」
どうやら、議題は私の服装にあるらしい。俯きついでに確認すると、上はピンクのモヘアのアンサンブル、下は・・・ジーンズだ。自慢じゃないが、私のワードローブにあるボトムの中でも一番高いやつだ。ヴィンテージではないけれど、それなりに名の通ったブランドのストレートジーンズ。ははぁ、そうか。これがいけないって話?
「大体、その股の蛇腹部分が汚らしいですよ」
「股って」
「ユーズド加工って言うんですよ。わざと古着に見せる手法ですよ」
「私の蛇腹は自前ですよ、ははは」
「皆さん!!もっと真剣に話し合うべきです!朝霧先生は、いわば作業着で教壇に立ち、授業を行ったのですよ!私はそこが問題だと申し上げているのです!」
関田教頭が怒鳴り、会議室が一瞬シーンとなった。
「もちろん事態をこちらで把握してからは、白衣を着用していただきました。問題の根本解決にはなりませんが」
そっか、だから2時間目の前に白衣渡されたんだ。私、英語なのにどうしてかなあって思ったんだけど。
「しかし教頭、ジーンズはそもそも作業着として生まれたかもしれませんが、現在はセレブが公の場で着用することもありますよ」
「公の場って、レッドカーペットの上とかでしょ。テレビの前を公の場っていうなら、何でもありじゃないですか。パンツ一丁で踊っている人だっていますよ。」
「それは極端にしても、やっぱりジーパンで授業するっていうのは、僕らの感覚からすると、考えられないね。」
「常識だって時代によって変わります。清潔感があるなら、ジーンズだって構わないと思いますよ。私もカラージーンズを穿いてくることがありますし。」
「カラージーンズって?」
「いわゆるインディゴブルーじゃないジーンズのことですよ。」
「それも問題なんじゃないの?」
「生徒はどうなんです?1時間目を受けた生徒は嫌だったって、そう言っているんですか?」
「2の6でしょ?前島なんか腰パンっつって、ほとんどパンツ見せてズボンはいてますよ。あれじゃ尻パンだ、尻パン。」
「裾ひこずってね。」
「“引き摺る”ね。床掃除しちゃってますよ。」
(うそっ“ひこずる”って方言?)(なんだ、知らなかったんですか?)
発言は、ヒソヒソ話と雑談に移ってゆき、臨時職員会議はグタグタとなった。
「で?当の朝霧先生はどうお考えなんです?」
生徒指導担当の体育科、蓼科先生がよく通る大きな声で、場を締めるように言った。もはや関田教頭は私のほうを見ておらず、目を瞑って腕組みしている。ほとんど全ての職員の顔が、正面の私の方を一斉に向いた。仕方なく立ち上がった。
「・・・お忙しい中、先生方にはご迷惑をおかけしました。私としては、これほど多くの方に不快感を与えるとは考えておりませんでした。今後は教師として常識ある行動をとりたいと思っております。・・・申し訳ありませんでした。」
頭を下げながら、私って本当にそこまで言わなきゃいけないことをしたのかなあという思いと、社会ってこんなもんだという思いが静かに混ざり合った。パイプ椅子をガタガタいわせながら座ると、皆白けた様な顔をして、私から目を逸らした。やや間を取って関田教頭が座ったまま、
「それでは臨時職員会議を終了します。先生方、お疲れ様でした。」
と発言し、散会となった。どの先生も、特に私に関心を払うことなく、あさっての会話をしながら会議室を出て行った。
またやってしまった。脳内職員会議。いくらなんでもこんなバカバカしいことやってる時間ないよ、学校ってとこは。完全に遅刻だよー!とりあえず、ジーンズは履き替えよう。