09
「リビア隊長、昼間から魔族が出ると言うのは本当の話でしょうか?」
ヴィレントラ第三騎士隊の一行は、街の北にあるゴルテアの森に到着したところだった。
巨大な馬に行商が襲われたとの情報があり、魔族の可能性があるかを調べる為、城からは調査隊が派遣されていた。
「さぁ、どうだろうな。野生の馬に尻でも齧られたのかもしれないぞ?」
リビアが冗談交じりに答えると、騎士達は声を上げて笑った。
「そうですよね。魔神バラムの加護があるこの土地で、魔族が暴れるなんて有り得ないですよ」
「さっさと調べて城へ帰ろう、二日も馬に乗りっ放しで、腰が痛くてしょうがないよ」
騎士達は愚痴をこぼしながら、ゴルテアの森を見上げた。
ゴルテアの森は、ライデの樹と呼ばれる一本の大木が成長して出来たものだった。
巨大な樹は無数の根を張り巡らせ、波状に伸びる枝は複雑に絡まって、何本もの木が生えているように錯覚をさせている。
小さな村なら覆ってしまいそうな巨大な森の中で、先頭を歩いていた馬が、ふと足を止めた。
「どうした、手綱は引いていないぞ」
リビアが腹を蹴ると、馬はゆっくりと動き出した。
後続の馬達も、何かを感じて一度止まったが、騎士達は隊長と同じように腹を蹴り、馬の足を進めた。
鬱蒼と茂る枝が消えたかと思うと、騎士達の目前にはライデの樹が現れた。
幹から伸びた枝は空へと昇り、半円形に孤を描いて地に落ちると、根に返り、森の中へと続いていた。
幹の中心には巨大な菱形の石が埋まっていた。まるで石が樹を育てているかのように、精気を帯びて光輝いていた。
樹の袂には銀の毛色をした馬が石を見つめたまま立っていた。それは遠くの距離からでも確認できるほど、巨大な銀馬だった。
「隊長……どうやら話は本当だったようですね」
その場にいた全員が息を呑んだ。
銀馬の頭には一本の長い角が生え、角の先端は鈍く輝いていた。
「全員戦闘態勢を取れ、距離を保ったまま、まずは弓で狙い撃つ」
リビア達が慎重に前へと進むと、銀馬がゆっくりと騎士達の方へ振り返った。
銀馬は騎士達がいることを初めから知っていたかのように落ち着き払い、堂々とした様子で一度低く唸ると、前足を高らかに上げて咆哮した。
「フォォォォォォォォォォン!」
銀馬の咆哮に恐怖を感じた馬達が、一斉に身を背け出そうとした。隊長のリビアは何とか馬を制したが、数名の騎士は落馬してしまい、慌てて身を起こそうともがいている者もいる。
銀馬が足を着けると同時に、角の先端から閃光が迸った。収束した雷が馬と騎士達を貫き、一瞬のうちに全てを焼き尽くす。
「ひぃぃぃぃっ!」
一番後ろにいた騎士のランバートだけは、落馬の衝撃で枝の隙間へ転がり込み、体に僅かな雷を浴びる程度で済んだ。
ランバートは必死でその場から逃げ出したが、銀馬は騎士の後を追うことも無く、何事も無かったかのように元の場所へと戻っていった。
森の片隅ではいくつもの黒い塊が燻り、灰色の煙が音も無く静かに漂っていた。
オルカ達に経緯を聞いたアルガナムは、魔神バラムと会うことを許可し、二人を城の地下へと連れていった。
地下への入り口には、アルガナムと同じ装束を着た祈祷師が四人並んでいた。祈祷師の一人がアルガナムに気付くと、一礼をして扉に掛けられた鍵を外した。
階段を下りると長い廊下が続いていた。両脇には本で埋め尽くされた書棚が並べられている。
「これよりの事は口外しないで頂きたい。魔神バラムのこともそうじゃが、それよりも世界の歴史についての方が重要なのでな」
アルガナムは薄暗い通路にランプを灯しながら、真剣な様子でオルカ達に言った。
「わかりました」
アルガナムの言った意味は判らなかったが、オルカは一言返事をするだけに留めた。
しばらく廊下を進むと、地下室へ入る扉が見えた。
扉には先程とは違う魔法の鍵が掛けられており、アルガナムが鍵を解くと、地下へと続く階段が現れた。さらに進むと地下室とは思えないほどの空間が広がり、巨大な柱が何本も連なっていた。
部屋には明かりが灯されていたが、一部だけ黒い霧に包まれた、様子の伺えない場所があった。
「この魔障壁の奥にバラム様がおられる。では、心の準備は宜しいかな?」
「は……はい!」
ココが緊張した面持ちで返事すると、アルガナムは静かに詠唱を始めた。
黒い霧が薄らぐと共に、強い魔気が辺りを包み始めた。
「七十二神の一柱、序列五十一番の魔神。三頭王、バラム様にあられる」
アルガナムは静かな声でバラムの名を告げた。
魔神バラムは、その名の通り三つの頭を持っていた。百獣を合わせた様な体からは、人、羊、牛の頭が生え、三頭の六つの目は、どれも違う色をしていた。
手足は左右に並んだ柱よりも太く、二股に分かれた蛇の尾は、石畳みを軋ませながら地面を這わせていた。
ココは異形の者の姿に思わず後ずさり、オルカの背後へと身を隠した。
「待っていましたよ」
オルカが声のする方を向くと、バラムの足元には椅子に腰掛けたセーレがいた。
「セーレ? いつの間にヴィレントラに」
セーレが椅子から立つと、牛の頭が低い声を発した。
「待っていたぞ大地の者よ、話はセーレより聞いた」
牛の頭が言葉を発したのでオルカの影に隠れていたココは、恐る恐るバラムを覗いた。
黒毛をした牛頭は、村で飼っていた乳牛に良く似ていたので、ココは思わず笑みがこぼれ呟いた。
「あの毛並み、チコちゃんに似てるかも……」
セーレはアルガナムに近付くと、深々と頭を下げた。
「初めまして、ノーム・アルガナム。私はナホ国を加護する魔神、セーレと申します。訳あってバラム様の力をお借りし、実体意識としてこの場に同席させて頂いております」
「おおぉ……序列七十の魔神、セーレ様とな。魔神が二柱も揃うとは、これは驚きましたぞ」
セーレはアルガナムと挨拶を済ませると、オルカの元へ寄った。
扇と石の入った小袋を取ると、バラムの前に出るよう指示を出した。
「抵抗の強い魔力の品は、外させて貰いますよ」
オルカがバラムへ近付くと、蛇の尾がオルカを囲うように這いだした。
「天についての話であったな。我はバラム、魔底五十一の魔神である」
「お会いできて光栄ですバラム王。この度は――」
「人よ、言葉はいらぬ。我が計りにより、時を触るとしよう」
牛の頭が言うと、中央の人頭の目が青く光った。這った蛇が円を作ると、石畳の色が赤色に変わり、オルカの体は動かなくなってしまった。
地下の部屋が赤い世界に包まれ、水の中に沈んだように上下の感覚を失ったが。二つの目がこちらを見つめていた事に気付くと、すぐに体が動くようになった。
自身を確かめようと視線を下ろすと、辺りを包んだ赤は消え、先程と変わらない地下室の石畳が広がっていた。一瞬の出来事だった。
「シルフィード殿、ご安心下され。今のはバラム王の記憶を読む術ですぞ」
アルガナムが説明をしてくれたが、オルカは耳鳴りが残っていたので、返答出来ずにいた。
「頭の中に……何かが入ってきた……ような」
蛇の尾が元の位置へ戻ると、中央の人頭が怒りの感情を露にして声を発した。
「天神め、大地への行為が許されると思っているのか。そのような事を成すとは、魔底も黙ってはおらぬぞ!」
セーレは扇をオルカに返すと、自分が座っていた椅子を差し出し、少し休むように言った。
人頭が怒りに身を震わせていると、オルカを見下ろしていた羊頭が、人頭とは対照的に女性の声で優しく語りかけた。
「娘を助ける方法が知りたいのですね。そして世界への疑問。まずはその全てを語りましょうか。そして人がすべき事を……」
「人がすべき事……?」
バラムは背中の翼を大きく開いた。再び人頭の目から青い光が放たれると、前方から風が吹き荒み、砂煙を上げて、地下室を乾いた大地へと変えた。
「記憶を辿る術もあれば、共有する術もまた然り。創世記は一人の神の誕生により始まる」
バラムの人頭が物語を語るように、ゆっくりと口を開いた。
遥かなる太古。大地には様々な生き物が生を受け、そして死んでいった。人もまたその流れの一部に過ぎず、悠々とした輪廻が繰り返されている。三世界も無く神も魔族もいない、人がまだ世界の頂点に立っていない時代の話だ。
ある日、この乾いた大地で少年は獣に襲われた。獣の爪は鋭く少年は生死の境を彷徨っていた。少年の名はフェニックス、どこにでもいる凡じた存在だった。
フェニックスの体からは大量の血が流れ出し、空の青が灰色に霞むほどに弱っていた。
息が途切れて意識が薄らいだ。死がもうそこまでと迫っていた時、一匹の鳥がフェニックスの額に止まった。
フエニックスは死肉となり鳥の糧となるのを覚悟して目を閉じたが、鳥が羽を広げると、一瞬にしてフェニックスの傷は癒えていった。
ひとつの小さな存在が死の世界から戻ると、鳥はいつのまにか羽ばたき空へと消えていた。立ち上がったフェニックスは、自分の中に特別な力が生まれたのを感じ取った。
鳥が与えたのは不老不死の力だった。フェニックスは自身が不死となっただけではなく、不死を分け与える力を得ていた。
フェニックスは力を使って様々な生き物に不老不死を与えていくと、この世界で取るに足らない存在であった生き物達は、不死の力により大きな存在へと変わり始めた。
不死によって知恵を得る者、力を得る者、不老不死に悩み精神がおかしくなった者もいたが、不死者達は何百何千年と生き続け、世界の頂点に立つ全知全能の存在となっていくようになった。
その中でもミカエル、バール、マグナの三つの存在は、非常に強い力を持った者として、世界から一目を置かれるようになっていた。
長い年月が過ぎ、力のある者を中心に世界は回り始めていた。だが、大地には不老不死の力を得た者達で溢れ、大地は増えすぎた生物で埋まりつつあった。大地を手に入れるための争いが起こり、世界は混沌へと進もうとしていた。
ありとあらゆる者に不死を与え続けてきたフェニックスは、自らの行いを嘆き苦しみ、悲しみと苦悩の中、自らを炎の鳥に姿を変えると、世界から逃げ出すように飛び立ち消えていった。
その後、不死の者が増える事はなくなったが、生まれ行く生き物の数は増える一方だった。不死の者は不死でない生物を次々と殺して回った。これ以上、大地に生き物が増えないようにと。
あらゆる生物を殺し続けたせいで、大地は不死者の世界に変わろうとしていた。
不死者は世界を確立していたが、世界では異変が起こり始めていた。生態系のバランスが崩れ、草木は枯れ、空や海の色は濁っていった。この頃には既に、世界は限界を迎えていた。
不死の者たちは美しい世界を取り戻すべく動き出し、世界を三つに分け再生を行う事を決めた。
地底、天空、大地。自らを精神存在と変え、不死の者達はそれぞれの世界を作り散って行った。
大地にただ一人残ったマグナ・マテリアは、五百種の生き物を作りだすと、大地に住まわせ世界を見守った。時には知恵や力を与え、マグナはゆっくりと大地を育て始めた。
いつしかマグナ・マテリアは、人々から母なる女神、大地の神と呼ばれるようになっていった。世界は美しい姿を取り戻し、マグナは神々の願いを適えた存在となった。
神の創り出し永劫の出来事。それは世界の創世。