08
王都ヴィレントラは、アルミ大陸にある三都市の中で、最も大きな都市だった。
アルミ暦制定以前の大陸は、戦の耐えない土地であったが、先代の王、アルファ・クレセント・レォンタスは、大陸の統治を図る為、諸国を武力ではなく言葉で説き廻り、現在のアルミ大陸を作り上げていた。
アルミ暦元年の「クレセント(三日月王)の説渉」は、史書に記された一番新しい歴史で、新暦制定以降はアルファ王が中心となって、各国は目まぐるしい発展を遂げていく事となる。
アルミ暦七年、大陸にあった全ての国境が取り払われ、ヴィレントラはアルミ三十五国の加盟国を取り纏める先導的な存在となると、王都を中心とした貿易が始まり、この頃からヴィレントラは平和の象徴の国と呼ばれるようになっていた。
アルミ暦六十一年の現在では、先代アルファ王の子息、ベクトル・クレセント・レォンタスが国を治め、アルミ大陸の統治、発展に心血を注いでいた。
ヴィレントラは王城を中心として街が作られていた。東の山から西の海へ流れる川は王都を通り、いくつもの水路と数百の橋から成る街は、水の都市とも呼ばれている。
街の周りは全て壁で囲われており、東西南北の四つの門と、二つの水門が街への出入り口となっていた。
オルカとココが王都についたのは、日が落ちて間もない頃だった。
南西の大きな壁にぶつかり、壁伝いに歩く羽目になったおかげで、西門へ着いた頃には辺りは既に暗くなっていた。
西門は丁度門が閉じられた直後で、二人は夜間用の小さな扉から街に入る事となったが、この時間でも旅行者や行商者は訪れるようで、後ろには三組の一団が順番を待っていた。
二人は宿場がある繁華街へ向かおうとしたが、しばらくは水路と橋が続き、橋を五つ超えたところで建物が並び始めたので、二人はようやく街に入ったのだと実感した。
歩いているだけで、ヴィレントラはとても大きな街なのだと理解したが。ココは驚いた様子も見せずに、ただ歩みを進めていた。
あれ程までに切望したヴィレントラの街であったが、ココが兄に会うと強引に両親を説得してから六日。一日の殆どを移動に費やし、野宿を何度も繰り返していたせいで、ココは心身共に疲れきった様子だった。
やっと辿りついた宿に着くと、二人は食事も取らずに寝床に入り、すぐに眠りについた。
宿の二階の部屋には一階の酒場から聴こえる喧騒や、街に灯る明りも差し込んでいたが、それらを気にすることもなく、二人の意識は深い闇の中へと消えていった。
翌朝、窓に張った薄い布の隙間から朝日が漏れた。
寝返りを打った拍子に、顔が日差しに晒されココはふと目が覚めた。瞼が開くと同時に腹の音が鳴り、強い空腹感に襲われる。
「う……ん、もう朝か……お腹、空いたなぁ」
宿を取った時間が遅かった為、空いていた部屋は四人部屋しか無く、仕方なく二人は大きな部屋を取り、空のベッドを挟んで寝ていた。
オルカはまだ寝ている様子だったので、ココは静かにベッドから降りると、暖炉に火を入れ、鍋の水を沸かし始めた。
沸かした湯を桶に張ると、ココは布を浸しながら、オルカに目をやった。
オルカが寝ているのを確認すると、ココはおもむろに服を脱ぎ、温かくなった布で体を拭き始めた。
「……ずっとお風呂入ってなかったからなぁ、んーーっ、気持ちいい」
小声で独り言を呟きながら、髪を湯につけ、指で梳かした。
自然に鼻歌が漏れた。暖炉の火が歌に合わせて踊っているようにも見える。
「ふぅ、とりあえずはこれでいっか」
ココが布を頭に巻き、服を着ようと後ろを振り返ると、目を覚ましたオルカが起き上がった。
「……ん、もう朝かぁ。あれ、ココもう起きて――」
オルカが眠い目を擦っていると、視線の先には裸のココが呆然として立ち尽くしていた。
窓から漏れる朝日に照らされ、美しい曲線を描いた肢体は、朝露に濡れた一輪の可憐な花のように輝いていた。突然の出来事にココは胸を隠す事も出来ず、露になった白い肌を見たオルカは、一瞬にして顔を真っ赤にさせ、ばたばたと手を振り、慌てふためいた。
「え……その、いや、違う、僕はその、えっと……あの……」
「――――っ!」
ココは手近にあった桶を掴むと、力一杯にオルカへと投げつけた。
「こっち見ないでよぉぉぉぉぉ!」
「がはっ!」
桶は顔面に激突し、オルカは鼻から血を噴出すと、そのまま意識を失った。
ココは我に返って慌てて駆け寄ったが、オルカは頭からベッドに落ち、昏倒してしまった。
「わわわっ、ごめんなさい! あたしったらつい……」
しばらくして目を覚ましたオルカは、ココを連れて、宿の一階にある食堂へと来ていた。
一階は酒場になっていたが、朝は宿泊者が食事を取るスペースに変わっており、宿泊者以外の街の住人も利用出来る様子だった。
街でも一・二を争う人気の宿だと聞いていたが、早朝にもかかわらず、席の全てが埋まっていた事には驚いたが、丁度食事を終えた一行に席を譲って貰えたので、二人はすぐに席に着くことが出来た。
二人は給仕からメニューを受け取ると、内容も見ずに端から順に注文をした。あまりに大量の数だったので、給仕は驚きながら再度確認をしたが、二人は問題なさそうに頷いたので、慌てて調理場へと駆け込んで行った。
「まったく。同じ部屋にいるのだから、もう少し気を使って欲しかったよ」
オルカは鼻に詰めた綿を気にしながら、少し怒った様子でココに言った。
「だってー、お風呂に入りたかったんだもん。女の子なんだから仕方ないでしょ?」
「この宿には大きな浴場があるそうだよ。そこへ行けばよかったのに……」
「あら、そうなの? 早く言ってよー」
「はぁぁ、朝から災難だよ僕は」
「そんな事言ってぇー、オルカの顔、真っ赤になっていたよ?」
ココはくすくすと悪戯に笑うと、オルカは顔を赤く染めながら、肘をついてそっぽを向いた。
「きゃはは、オルカ照れた」
「照れてないっ!」
両手でテーブルを叩いて立ち上がると、その拍子に、鼻に詰めた綿が、ぽん、と飛びだした。
「あ……」
一筋の血が流れるのを見たココは、小さな子供のようにはしゃいでいた。
オルカは怒るのが馬鹿らしくなり、静かに席に着くと、見計らったように料理がテーブルの上に置かれた。
「おまたせしました! 当店自慢のクリームスープです、おいしいですよぉ」
コックの格好をした女性が、調理場から直接出来たての料理を運んでくれた。二人とも昨日の昼から何も口にしていなかったので、すぐにスプーンを手に取り、器の中に沈ませた。
無言で一気にスープを飲み干すと、二人は落ち着いた様子でため息をついた。
「ふぅ、生き返った気分だ」
「うん! すごくおいしい」
あっという間に平らげた器を横に置くと、二人は次の料理を待つ間に、予定を立てるべく、気を取り直して会話を始めた。
「ココ、君のお兄さんがこの街にいるそうだけど、どこにいるか分かるの? 騎士って言っても、確かヴィレントラには二十の師団があるはずだけど」
「え、そんなに多いの? あたし、兄さんがこの街で働いているって事ぐらいしかしらないんだ。すぐには会えないかな?」
「どうだろう、一応王城の方で聞いてみようか。でも僕たちの目的は、バラム王に会うことだから、まずはそこからなんだけどね」
「うーん、そうよねぇ。こんなに広い街じゃ探すのも大変そうだし、もっと詳しく聞いておけばよかったね――おいしそう!」
二つ目の料理がテーブルに置かれた。薄く切った肉のスライスは野菜と交互に並べられ、四角いプラターの中央には、小鉢に入ったソースが添えられていた。花の形に切られた瓜が両端に飾られ、朝に食べるというよりは、夜に食べるメインの料理のように見えた。
ココは無造作にフォークを握ると、一度に三枚の肉を串刺しにして口に運んだ。オルカも負けじと残りの肉を串刺しにすると、二つ目の料理は、僅か二手で平らげられてしまった。
一瞬にして料理が無くなったので、隣で食事をしていた子供が驚いて目を丸くしたが、すぐに楽しそうに笑うと、期待した様子で二人を眺めはじめた。
「ココ、体の方は大丈夫なの? 変わった様子は見えないけど、どこか痛むとかは無い?」
「あたしも少し心配したのだけど、まったく平気だよ。本当に『じゃし』があたしの体にあるのかなって思うぐらいだもん」
「大丈夫ならいいのだけど、セーレのいう事は間違いないだろうし……食事が終わったら城へ行って見ようか」
「うん、そだね」
三つ目の料理は白身魚の香草蒸しだった。
二人が同時にフォークで魚を一突きすると、漂う湯気の向こう側で、期待に胸を膨らませた子供が、嬉しそうに料理を見つめていた。
食事を終えると、二人は商店が並ぶ通りに向かっていた。
宿の主に城へ入る中央の門が開くのは昼からだと聞いたので、ココの強い希望もあり、それまでの時間を使って、街の見学をする事にした。
年頃の女の子が喜びそうな、宝石店や洋裁店の前を通ったが、ココはそれらの店を素通りし、隣にあった武器店や防具店の陳列棚に興味を示していた。
オルカは釘を打ったように動かないココを、無理やり店から剥がすと、書店に立ち寄って自身の買い物をした。書店では比較的長い時間滞在したが、ココは見るもの全てが珍しいようで、料理本や大陸地図など、様々な本を開いていた。
商店の筋を越えると、通り沿いでは行商のバザーが開かれていた。各地で採れた野菜や魚が並び、買い物を楽しむ人々で溢れかえっている。
バザーでは、ヴィレントラ名物の『パスハフ』と言う焼き菓子を買い、二人して頬張りながら街を散策した。
街の中心近くにある噴水広場で休憩をした後は、先程通り過ごした洋裁店へとココを連れて行った。長旅で着ていた服が随分と汚れてしまったので、オルカはココに新しい服を買ってやろうと考えていた。
一際大きな看板を掲げた小奇麗な洋裁店に入ると、様々なドレスや旅の服、寝巻きや下着類までもが所狭しと飾られていた。ガラス棚の中には貴族の紋章が入ったメダルがいくつも飾られていたので、貴族専属の仕立師がいる様子も伺える。
ココが一度でいいからドレスを着てみたいと言うので、店の者は淑女が着るような真っ赤な薔薇色のドレスを用意してくれた。
赤のドレスを着たココはとてもよく似合っていた。鏡の前で佇む姿は、見事に咲き誇る一輪の薔薇そのものだったが「これ、綺麗だけど動きにくいわね」の一言で、美しい薔薇の花は無残にも散ってしまった。
店の者は苦笑いを浮かべながらドレスをしまうと、動きやすい、いくつかの旅の服を勧めてくれた。その中からココが選んだのは、薄い水色をした丈の短いワンピースと、白に赤のラインの入ったジュストコールを合わせた服で、胸元には小さなリボンの飾りが着いている、かわいらしいデザインの服だった。
最近流行している街着のデザインで、人気の衣装室、ロザリエロザリオから取り寄せられた服だと教えてくれたが、試着を終えたココは、トントンとその場で飛び跳ねると、動きやすさを確認したいのか、おもむろに踵を返し、店の天井に向かって回し蹴りを放った。
「うん。これ、動きやすい!」
オルカは呆れて物も言えず、無言のまま立ち尽くし、いつしか店の者からは笑顔が消えていた。
ココは嬉しそうにワンピースの裾を掴み、鏡の前でポーズを決めていたが、オルカは申し訳なさそうに何度も頭を下げ、早々に支払いを済ませて店を後にした。
城に着いたのは、丁度王城への門が開かれる時間だった。城へ伸びる桟橋は下ろされ開放感はあったが、見張り台に立った騎士が厳しい表情でこちらを見下ろしていたので、オルカは重圧的な雰囲気を感じていた。
ココはそんな様子を気にする事無く、護衛の騎士に気軽に声を掛けた。
「すいませーん! あのぉ、ちょっとお尋ねしたいんですけどー」
「ん? 何かね、王城へのお約束かい?」
橋の前には二人の騎士が立っていた。鎧の胸元には騎士の象徴である剣と盾が描かれており、第五騎士団を表す五つの星と、ヴィレントラを表す記章が襟元に着けられていた。
「えーと、あれ? オルカ、あたしたち誰と会うんだっけ?」
ココは騎士に尋ねてはみたものの、すっかり目的を忘れてしまい、買ったばかりの服の裾を翻し、オルカに訊いた。
「どうして先走るかな――私は第三加盟国、ナホ国より参じました、調査官オルカ・シルフィード・フレニスと申す者で御座います。突然の訪問で申し訳ないのですが、火急の用件がありまして……こちらの騎士隊の隊長様か、魔道師長様にお目通り、もしくは御伝達を願えませぬでしょうか?」
二人の騎士は改まった様子の若者に驚き、思わず顔を見合わせた。
「あなたが、かの有名な東の精霊?」
若い騎士が幾分不審そうにオルカを眺めたが、間違いがあってはいけないと思い、隣にいた老齢の騎士に確認を求めた。
「エディオムさん、如何致しましょうか」
オルカは一歩前に出ると、懐から黒い木板を取り出した。そこには金の蒔絵で彩られた風の精霊が描かれており、裏には螺鈿と象嵌の細工で、ナホ国を現す桜花の紋が記されていた。
「確かにこれはナホ国の証……わかりました、すぐにお伝え致しますので少々お待ち下さい」
エディオムが目で合図をすると、若い騎士はすぐに頷き、王城へと走っていった。
「東の精霊? オルカってそんな肩書きがあったの?」
一連の様子を見ていたココが、驚きながらオルカに問いかけた。
「まぁ……ね。石についての研究論文のおかげかな」
「そうなんだ、じゃあオルカの名前を使えば、兄さんもすぐみつかるかもね? ふふっ」
「城に入ったら探して貰えるようお願いしてみるよ」
しばらくすると、城からは先程の兵が戻り、二人に声を掛けた。
「失礼します、シルフィード様。ヴィレントラ騎士隊大隊長、ファルコン様をお連れ致しました!」
開かれた大きな鉄扉からは、三人の男が向かってくるのが見えた。
両脇の騎士は重苦しい甲冑を着ており、表情までは読み取れないが、中央の青年より頭一つ高く、力強い出で立ちが威圧感を与えていた。
それとは対照的に、騎士を従えた中央の男は若かった。整った顔立ちは、一目で人々を魅了させる美しさを持っていたが、誠実そうな印象を持ち合わせる青年だった。
鎧は纏わず軽装であったが、腰には一本の刀を携えていた。騎士の剣を持たず、ナホ国の刀を持つ様子に、オルカはどこか懐かしさを感じた。
「わぁ! 兄さん、久しぶりね!」
ココが突然声をあげると、嬉しそうに男達の元へと駆け寄っていった。
「お、おい! 君!」
騎士がココを止めようと動いたが、中央の男は軽く手を振りそれを制した。赤毛の男は温和な表情を浮かべながら、ココへ声を掛けた。
「ココなのか? 驚いた、どうしてお前がヴィレントラに? そちらの方とはお知り合いなのか?」
ココは久しぶりに見る兄の手を取ると、嬉しそうに笑い声をあげた。
「うん、そうだよ! あたしを街まで送ってくれたの」
「初めまして大隊長様。私はオルカ・シルフィード・フレニスと申します。お呼び立てをしてしまい申し訳ありませんでした」
「これはまた珍しいお客様ですね……グレミー・ファルコン・アルシャーナです。東の精霊と呼ばれるお方が、当王城に御用とは何事でしょうか?」
グレミーは深く頭を下げ、ナホ国流に挨拶をした。
「すみません。色々とご相談があり、こちらの城に用があったのですが、まさかココさんのお兄様が来られるとは、思ってもみませんでした」
「そうでしたか……偶然とはいえ、私も驚きました」
「兄さん兄さん、今日は話が合って来たのよ。色々と聞きたい事があるの」
「話? 何かあったのか」
「グレミー様、少し重要なお話になります。どうかお時間を頂けませんでしょうか」
「わかりました、では城の中で伺いましょう。どうぞお入り下さい」
グレミーは騎士達に合図を送ると、二人を城の中へと案内した。
ぐるりと王城を囲うように続く中庭を抜けると、大広間へと続く通路が見えた。通路を抜けた先には二階へと続く大階段があり、両脇には螺旋階段が上下に伸びていた。大広間では城の者達が忙しく働き、活気を見せていた。
「とても大きなお城ですね、私もナホ城で生活をしていたのですが、ここは何倍も大きくて迷ってしまいそうです」
オルカは吹き抜けを見渡し、天井に飾られたステンドグラスを、関心した様子で眺めた。
「私もヴィレントラに来て四年になりますが、今でも時々部屋を間違えてしまいますよ。王を守る城として軍事的に複雑に作られた建造物だそうですが、平和な今となっては無用の物かもしれませんね」
「大陸を統治されたクレセント王は本当素晴らしいお方です、一度拝謁したいと願っていたのですが、今は病に伏せっておいでとか?」
「先代王も今ではお年で……宜しければ二代目クレセントであるベクトル王にお会いになられますか? シルフィード様のお噂はこのヴィレントラまで届いておりますので、王も喜ばれると思いますよ」
「それは是非ともお目通りを願いたい限りです。ベクトル王の外交手腕、他大陸の支援援助などは、ナホの女王も見習いたいと申しておりました」
二人が外交的な会話を続けるので、ココは不満そうに言葉を漏らした。
「ねぇねぇ、せっかく妹が会いに来たって言うのに、なんでさっきから二人で喋っているの。あたしの事はおいてけぼりですかー?」
ココは不機嫌そうに口を尖らせると、オルカとグレミーの顔を交互に睨みつけた。
「あぁ、すまないココ。後でゆっくり話す時間を取るからちょっとまってくれ。あぁ、そうだ。城で使っている剣を一本用意してあげるよ、前から欲しがっていただろう?」
「わ! 兄さん話が早いわね。いいわよ、あたしは大人しくしてるから、好きなだけお話をしてちょうだい」
剣が貰えると聞いたココは、調子よく態度を変えた。
「ではシルフィード様、こちらの部屋を使ってください。ミスティさん、お茶を用意してもらってもいいですか?」
グレミーは部屋の前で待機していた、メイド長のミスティに声を掛けた。
「かしこまりましたグレミー様。すぐご用意いたしますわ」
ミスティは二人に会釈をすると、静かに部屋の扉を閉めた。
部屋には真っ白なクロスが掛けられた円卓がいくつも並んでいた。豪華なシャンデリアが奥まで続き、飾台には大きな花器やガラスの置物など、多くの調度品が並んでいた。
オルカが興味深く眺めていると、この部屋は、舞踏会など客人を招き入れる時に使うホールで、普段はあまり使われない場所だとグレミーが教えてくれた。
ココは部屋に入った瞬間から走り出し、気付くと奥にある舞台に上がってしまっていた。
「ココ! あまり動き回るな! すみませんこのような場所で……今は各騎士団の定例会議が行われていて、議室が空いていないのですよ……それでシルフィード様、お話というのは?」
グレミーは随行した騎士に人が入らないように指示を出すと、手近な椅子に腰掛けた。
「私の事を知っているという事は、各地で石の調査をしている事もご存知なのだと思います。先日、私はココさんの村の近くで石の調査を行っていたのですが、その時にご家族にはお世話になりまして、成り行きではありますが、ココさんにも石の浄化に協力して貰ったのです」
オルカは丁寧に言葉を切ったが、グレミーは笑って言った。
「シルフィード様、国の外交としてこられたのではありませんよね? ココともお知り会いのようですし、私は個人的な客人としてお迎えしたいと思っています。せっかくですから作法はやめにしませんか? 私とシルフィード様は年もそう変わらないようですし、ココとは田舎の言葉の方が楽です。どうせココの事……無理やりについて行ったとか、そんな感じではなかったですか?」
「あ……あはは、よくわかりましたね。流石はご兄妹です……それでは、僕も遠慮なくさせて貰いますね」
ヴィレントラ大隊長の肩書きとは裏腹に、グレミーは気さくな一面を持っていた。オルカも一息つくと、緊張の紐を緩め、普段どおりの言葉で会話を始めることにした。
「一週間程前の事ですが、僕達は空の湖である石を見つけました。そこは魔力の集まりやすい場所で、見つけた石はかなり危険な状態だったんです」
「時折騒がれる暴走の石か、村の近くにそんなものがあったとは……」
「石には膨大な魔力が蓄積されていました。そのような石は、魔力の蓄積量を超えると、暴走し巨大な爆発を発生させると言われています」
「ナホ国の領土では数十年も前から石の被害に遭っていたそうですね。ナホの研究家が魔力蓄積と暴走の論を立てたのが二十年ほど前……それ以降、石の暴走を防ぐ為に、各地へ専門者が派遣されたと聞いています」
「そうです。僕もその調査官の一人なのですが、実際の所はまったく違っていました。石の暴走は他者の介入により行われていた事だったのです」
「……それはまた突拍子も無い話ですね。何十年もの間、誰かが世界を破壊しようとしていたと?」
「グレミーさん、単刀直入に言います。実際に僕らはその者に襲われ、それにより、ココは危険な状態にあります。詳しい事は僕にも判りませんが、ナホ国と契約を結んだ序列七十一の神、魔神セーレの言葉なので間違いはありません。そして、ヴィレントラには序列五十一番の魔神、三頭王バラム様が居られると聞いて、助けを求めて参りました」
「ココが危険な状態?」
グレミーは驚いた様子でココを見たが、ココは大きく口を開き欠伸をした。しばらく様子を伺ってみたが、髪を気にしたり、辺りを見回したりするだけで、暇をもてあましているだけだった。
「…………大変な状況には見えない」
グレミーはココへ疑いの目を向けた。
「何よ兄さん、人の顔をじろじろ見て」
「お前が大変な目にあったのかと、心配しているところだよ」
「うーん、それがあたしにもよくわかんないの。でも命の危険を感じたのは本当よ。その時はセーレさんが助けてくれたけど、完全に治った訳ではないみたい」
グレミーは椅子の背にもたれると、顎に手を当て黙り込んだ。
「グレミーさん、いきりな魔神に会わせろというのは無礼な事だと承知しています。ですがココに危険があるとすれば、僕達は何としてもバラム様にお会いしなければならないのです」
「ふぅむ……」
静かな部屋に扉を叩く音が響いた。メイドのミスティが扉を開くと、軽く一礼をし、茶器が置かれたカートを引いた。。
ミスティはクッキーの入ったガラス皿を円卓の中央に置き、白磁の茶器を三人の前に並べた。茶葉が入ったポットから茶を注ぐと、ふんわりと紅茶の香りが部屋中に漂った。
三人は沈黙していたので、茶を注ぐ音だけが聴こえた。ココはそわそわした様子で二人を交互に見つめ、円卓の中央に置かれたガラス皿に目をやった。それを見た二人が声を揃えて言う。
「食べていいよ」
「えへへ、いただきまーす」
ココはクッキーを掴んで口の中に放り込んだ。小さく歓声を上げると、続けて二枚、三枚と口に運んだ。
「そんなに慌てなくても、お菓子はまだまだありますわよ」
ミスティはココが食べる姿を楽しそうに見つめると、優しく微笑んだ。
グレミーはミスティが茶を注ぐのを見計うと、思い立ったように声を掛けた。
「ミスティさん、祈祷長を呼んできて貰えますか」
「かしこまりましたわ」
「オルカさん、私だけの判断で事を決めるのは難しいので、祈祷団の長を呼んできます。あの方なら魔道についても詳しいと思いますので」
「祈祷師の方ですか?」
「ええ、城の中にいると思うので、すぐに来られると思いますよ」
祈祷とは魔神への信仰により魔道の力を操る西部独特の魔導法だった。祈りは二人以上の人数で行うのが常套で、儀式により大きな魔力を操る事が可能とされていた。上位の祈祷師になると魔族を召還する魔召還を扱う事も出来ると言われているが、一人前の祈祷師になるには数十年の修行が必要で、現役で活躍する祈祷師には比較的年配者が多いのも特徴だった。
「ねぇ兄さん、兄さんの分のお菓子も食べていい?」
ココはいつのまにか皿の上の菓子を三等分に分けていた。自分の分は残り一枚になっていたようで、グレミーの菓子を狙って指差した。
「はぁ、まったく、お前は緊張感ってものが……」
グレミーは面倒そうに手を振ると、ココはあっというまにクッキーを口の中に入れてしまった。グレミーの菓子を食べ終えたココがオルカの菓子を狙おうとした時、男の声が聞こえた。
「隊長殿、ワシをお呼びですかな?」
祈祷長は祈祷師が身に付ける白の装束を着ていた。頭には銀色のサークレット、胸にも同様のデザインのネックレスが提げられ、手には樫の木で作られた細長い杖を持っていた。落ち着いた物腰で、穏やかな表情が印象的な老人だった。
「アルガナムさん、すみませんお呼び立ててしまって」
「いやいや構わんよ、ところでシルフィード殿がこちらにおられるとか?」
「さすがにお耳が早いですね。紹介します、こちらがナホ国の調査官。オルカ・シルフィード・フレニス様と、私の妹ココ・アルシャーナです」
「はじめまして、お会いできて光栄です」
オルカは席を立って握手を求めたが、ココは座ったまま片手を挙げ、軽く挨拶をした。
「こんにちは、ココ・アルシャーナです」
「ほっほっ、お二人とも随分とお若いようですな。ワシはアルガナム・ノーム・ペトリー。西の精霊などと呼ばれることもあるが、見ての通りただの年寄りじゃよ」
「あなたが西の精霊アルガナム様ですか!? うわぁ、光栄です! 五十七年発表の『ロンドラストの夢』はとても楽しく拝見させて頂きました『イヤッカラト海の果て』の下巻も楽しみで楽しみで……執筆に熱心で、各地を旅していると聞きましたが、ヴィレントラにいらっしゃったのですね!」
オルカはノーム・アルガナム名を聞くと、高揚しノームの本について饒舌に語りだした。
アルガナム・ノーム・ペトリーは、四精霊である土精霊の伯名を持つ一人だった。戦時は数々の魔族を操り、召還士としての名を大陸中に轟かせていたが、執筆家という別の顔も持っており、今では大戦の英雄ノームの名よりも、作家であるノームの名の方が有名になっていた。
「はっはっは。ワシの本の愛好者に出会うとはな。それも東の精霊とは、ワシも鼻が高い。聞いたか隊長さん、ワシは嬉しいぞ!」
アルガナムは嬉しそうに笑うと、愛好者の為にと次回作のあらすじを話し始めた。
オルカも興味深そうにアルガナムの元へと寄ったが、それを見たグレミーは慌てて間に入り、二人の会話を止めた。
「お二人とも、今はそれぐらいで……」
アルガナムが席に着くと、ミスティがカップに紅茶を注いだ。
オルカとグレミーがアルガナムに話の経緯を語ると、アルガナムはゆっくりと茶を啜り、静かに口を開いた。
「複雑な話になりそうじゃな」