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界喰の石  作者: 五葉ノート
オルカとココ
2/17

02

 アルミ暦六十一年。冬に近い秋の夜。

 底王(ていおう)バールの力が影響した大地には、底に住まう、闇の住人が姿を現していた。

 底者に遭遇した者は、魂を食われ、肉体を奪われるというこの世界で、オルカ・シルフィード・フレニスは、三匹の獣に追われていた。

 肩にかかる群青色の髪は、闇夜ではよく目立っていた。

 桜花の紋様が描かれた黒い羽織の中で、一繋ぎの着衣の袂が激しく揺れていた。強く締められた細い帯には、一本の扇が挿されている。

 泥濘に足を取られ靴が悲鳴を上げたが、オルカは構わずに走り続けた。

 袖からは小さな石が二つこぼれ落ちたが、オルカはずっと後方を気にしながら、向かう木々の枝を器用にかわした。しかし、地を這う追っ手からは逃げられそうにない。

「グルルルルッ!」

 狼の低い鳴き声が小さく聴こえた。底者に魂を喰われた狼の目は赤く染まり、銀毛は異常なまでに逆立っていた。鋭い牙を剥き出しにして獲物を追う姿は、理性の欠片も持ち合わせていない。

「くっ……やっぱり夜の森は危険過ぎた」

「ワォォォォォォォン!!」

 狼の雄叫びが、暗い森の中で大きく響いた。

 距離は少しずつ縮められている。オルカは逃げるには限界があると感じ、早々に戦う決心をつけると、三匹の狼を正面に捉えられる広い場所を探した。

 開けた場所を見つけると、オルカは帯に挿していた扇を抜き、素早い所作で留めの()めを外した。

 漆黒の親骨を指で弾くと、極彩色の地紙(じがみ)が姿を現した。扇骨を纏める(かなめ)が赤い輝きを放ち、何度も明滅した。

 草影から飛び出した狼は、対峙する人間を確認すると、臨戦を取るべく姿勢を低く構え、静かに動きを止めた。

「これだけの凶暴性……下手に噛まれると厄介だな」 

「グルルルッッ!」

 狼は再び唸り声を上げた。三匹の視線は一点に集中し、いつ飛び掛かってきてもおかしくない状態だった。

 オルカの指が扇骨に触れると、僅かな動きに反応した一匹が、突然鋭い牙を剥き、オルカに向かって飛び出した。

 オルカは狼に対し扇を一閃したが、狼は瞬時に危険を察知し後方へと退いた。

扇は空を斬ったが、次の瞬間、狼の二肢が刃物で裂かれたように両断され、宙へと飛んだ。

「ギャゥゥゥン!」

 悲鳴を上げながら、二肢を失った狼が地面に倒れた。悶え苦しむ狼に対し、オルカは再び扇を振り上げた。

「舞え、花散里(はなちるさと)!」

 扇の動きに合わせ無数の風の刃が飛び、倒れた狼の体を無残に引き裂いた。冷たい土を赤に染め、狼は一瞬のうちに絶命する。

 一瞬の出来事に危険を察知した狼は、警戒した様子で後ろへと退いたが、もう一匹は闘争本能を露にし、一歩前へと踏み出した。

 狼は尖った両爪を地面に食い込ませると、姿勢を落としてその身を跳ねさせ、オルカの喉元目掛けて飛び掛かった。

「くっ!」

 オルカは咄嗟に屈み、狼の腹を蹴り上げたが、放った蹴りは浅く、狼の腹を掠めるに留まった。バランスを崩した狼は横へと逸れたが、しなやかに着地をすると、すぐに牙を剥いて反撃を行う。

 オルカは再び襲ってきた狼を避けることが出来ず、咄嗟に扇を前に構え、尖った牙を正面で受け止めた。

「ぐっ……」

 狼の赤目からは強い殺意が伝わってくる。

「グルルルッッッ!」 

「強引だなっ……だけど!」

 オルカが親指を(かなめ)に置くと一本の扇骨が暗紅色に変わり、狼の口内で小さな爆発を起こした。

 炎が弾け、辺りに火花が飛び散った。狼は四肢を広げ、かろうじて倒れる事は防いだが、口からは煙を噴き、意識は朦朧(もうろう)とさせていた。

 オルカは狼の視線が定まらぬうちに扇を躍らせると、暗紅色の扇骨の先からは、陽炎が揺らめきはじめた。

「燃え尽きろ……紅葉賀(もみじのが)!」

 オルカが叫ぶと、揺らいでいた陽炎は炎へと変わり、扇を翻すと同時に、火炎が矢の如く狼を射抜いた。

「ギャォォ……ォォ……ォォォ……」

 燃え上がる炎に包まれた狼は、短く叫び声を上げて息絶えた。

 その光景を目の当たりにした最後の一匹は、恐れ慄き、脱兎の如くその場を立ち去った。

「ふぅ……随分と凶暴だった」

 オルカは扇を閉じて責めを嵌めると、一振り払って帯の中へと仕舞いこんだ。

 手近な小枝を拾うと、小刀で先を二つに割り、袖から取り出した小石を枝先にはめ込んだ。

 指で石をなぞると小石は白く発光し、松明のように辺りを照らし始めた。

「村はもう近いはずだ、夜明けまでに辿り着ければいいのだけど……」

 静けさを取り戻した森の中で、秋の虫が涼しげな音色を響かせた。

 冷たい風と共に、オルカは森の奥へと消えていった。


 トレマーク地方は、古くから炭鉱の町として栄えていた。北部のノアレスト鉱山とは一・ニを争うほどの石炭の採掘量があり、炭鉱の村アルフや鉱山の町ベンネには、キャラバンの商団や仕事を求める来訪者が訪れ、トレマークの土地は活気に満ち溢れていた。

 だがそれは二十年も昔の話。行路整備や移送技術が発達した昨今では、王都との距離が近いノアレストに人は集中し、トレマークはかつての賑わいを失っていた。

 鉱山は廃坑となり、一時は二十を越えていた村々も消え、僅かに残った炭鉱夫は農夫に変わり、狩りや農業などで自給自足を行いながら、細々と暮らしを営んでいた。

 アルフ村に住む狩人の娘、ココ・アルシャーナは今日も森に入り、狩猟の準備を始めていた。

 冬になると食物の収穫も減る為、狩人は、秋が終わる前に冬支度を整えなければならない。

「よっと……これで仕掛けは終わりかな?」

 ココは早朝から続けていた、仕掛けの設置を終えたところだった。

「今年はたくさん捕れたらいいけどなぁ……」

 ココは膝についた草を両手で払うと、ぐっと腕を伸ばした。

「はー、お昼からは農作業か、今日も忙しいや」

 面倒臭そうにひとり呟くと、仕掛けを避けるためぐるりと大回りに歩き、近くの岩へと小さく跳んだ。

 綺麗な着地のはずだったが、ココの足元には柔らかい感触が伝わり、思わず声をあげてしまう。

「きゃぁ!」

 暗くてよく見えなかったが、おそるおそる足元を確認すると、石に抱きつく形で、一人の男がうつ伏せになって倒れていた。

「え……あ、あなた大丈夫!?」

 ココは慌てて男を起こすと、何度か頬を叩いて意識を確認した。

「大丈夫? しっかりして!」

 体を揺さぶってみたが、男は小さなうめき声を出すだけで、反応は鈍い。

「怪我は……無いようだけど、どうして目が覚めないのかしら」

 ココが辺りを見回すと、近くにはツガの木がいくつかあり、木の根元には毒の成分があるツガモトタケが生えているのを見つけた。男の手には、僅かにツガモトタケの欠片がついていた。

「これを食べちゃったのかな……待ってね、すぐに治してあげる」

 ココは革袋から水の入った筒を取り出すと、男の頭を少し上げ、口元に当てた。

「十分な水分を含めば毒は分解されて薄らぐはずよ。ほら、飲んで」

 ゆっくりと水を流し込むと、ココはその場で正座をし、男の頭を膝に乗せた。

「これで一安心かな。それにしても変な服装の人ね、なんでこんな所にいるんだろ?」

 ココは不思議そうに首を傾げ、男の顔をまじまじと覗き込んだ。


 白昼の太陽が木洩れ日となって森に差し込んだ。オルカが眩しそうに薄く目を開くと、焦点のはっきりしない視線がココの瞳を見つけた。ココはずっとオルカの寝顔を眺めていたので、意識を取り戻したのを確認すると、小さく笑みを浮かべた。

 栗色をした長い髪の先が、オルカの頬をかすめた。金木犀の甘い香りが漂い、妙にくすぐったく感じる。

「よかった、やっぱりキノコのせいだったのね」

「ここは? 僕は一体……うっ、気持ち悪い……」

 込み上げてくる吐き気に、オルカは思わず口を押さえた。

「あなたツガモトタケを食べたのよ? 食べたら死んじゃうって訳じゃないんだけど、体を麻痺させる毒があるの。でも無事でよかったわ」

「あぁ……あれ有毒だったのか。前に似た物を食べたから大丈夫だと……君が、助けてくれたの? ありがとう」

 オルカは頭をココの膝に預けたまま、礼を言った。

「ううん、でもびっくりしたわ。こんな森の中で人が倒れているんだもん」

「二日も森を彷徨って……食料は尽きるし……こんな有様に」

「見た事のない服装だし、やっぱり旅の人だったんだね。よかったらあたしの村においでよ。行き倒れの人をこのまま見過ごす訳にも行かないでしょ?」

「はい……助かります……」

 オルカは再び礼を言うと、ゆっくりと体を起こした。

「大丈夫? 毒気はすぐ消えるだろうけど、無理はしない方がいいわ」

「いえ、なんとか立てそう……うあっ!」

 バランスを崩したオルカに、ココは慌てて肩を貸した。

「ほら掴まって。村まではそう遠くないから、ゆっくり行きましょ」

 ココが優しい笑顔を向けると、オルカは小さく頷き、肩を預けたまま一歩足を踏み出した。



 アルフ村に隣接する森の中央には大きな湖があった。穏やかな湖面には、青く透き通った空が映し出され、地元の者からは『空の泉』と呼ばれ親しまれていた。

 乱反射する光が青色の水を細かく刻み、空と湖との境界を取り払ったように、湖は白郡の世界を広げていた。

 溢れるように流れ出た無数の小川が、行き場を失いあちこちで浅い水場を生み出していた。

 水場では、梅花藻の葉が水面を若草色に染めていた。梅花藻の小さな白い花が並ぶように咲き誇り、白と緑の世界を作り出していたが、そこには一箇所だけ、他とは違う雰囲気を持った場所があった。

 水場の中央には、人の身長よりも高い大きな石があり、その中で咲く梅花藻は、一際大きな花を開かせていた。煌く水面は光の反射ではなく、花自身が発光し、石の周りを白に彩らせていたが、中央の石は対照的に暗く、濡れた石肌からは紫紺の艶を見せていた。

 人の踏み入れない世界の傍では、フードを深く被った男女が話をしていた。

「……後はお任せ下さい。数日後には、この地も世界へ還す事が出来るでしょう」

 女は着衣が水に浸かることも気にせず、膝を落として深々と頭を下げた。

「闇は魔の力を増長させる、底の者に気取られる事は決して無いようにしろ。我はこれより西の地へと向かう。全てを制するには時を要するが、我らが失した時間を思えばそれも僅かなものだ。お前の友が世界へと戻る日も近いだろう」

 男は一度女に目をやると、ローブを翻し、腕を伸ばして虚空で何かを握り締めた。

 指の隙間から雷が迸り、雷が長柄を形成すると、男の手の中には、穂先が五つに分かれた槍が姿を現した。

 女は立ち上がって離れると、右手を胸に当て顔を上げた。

「ラグエル様も、どうかお気をつけて」

 男が帯電する槍を一閃すると、空間が裂けて開き、一瞬のうちに輪となって拡がった。男は女に言葉を返す事無く輪の中に入ると、空間は雷を放って収束し、ゆっくりと閉じていった。

 最後の雷が弾けると、幾重にも重なった波紋が、静かに水場の縁に飲み込まれていった。

 小さな風が女のフードを落とすと、首元から落ちた漆黒の髪が腰へと流れた。

 石を見つめる女の右目は、紅く輝いていた。


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