エンディングノート 2
エンディングノート 2
もしもその日に起きたことが回避不能な出来事だったとして、それは『死ぬほど怖い話』あるいは『恐ろしく災難な話』や『世にも奇妙な話』と紹介することができただろう。しかし、やはりこれば、誰にでも起きることではなく、僕だからこそ、僕でなければ起きないようなことであったに違いない。
この事件にさかのぼることひと月前、僕はある興味深い話を聞いて、すっかりその気になっていた。一つには東日本大震災――未曽有の被害を出した近年最大級の災害は、多くの人の命を奪った。そこには様々なドラマがあり、生死を分かつ、些細な出来事の積み重ねに、誰もが心打たれた。何があるかわからない。いつ死ぬかわからない。そんなことが、いつになく身近に感じられる状況の中、僕はエンディングノートというものに出会った。
エンディングノート――ありていに言えば遺言である。
自分の死後、自分はどのように葬られたいか。何をどう処理しなければならないか。遺品をどう管理してほしいかなどであって、お昼どきのテレビドラマに出てくるような遺産相続をめぐって一族が骨肉の争いをするような遺言書ではない。もっと身近で、些細な身の回りの整理を遺族にわかりやすく、迷惑にならないように生前に残しておくというものだ。
たとえば僕には趣味で集めたレコードのコレクションがある。それらは音楽に関心のない妻にはまったく価値がないものであるが、中にはそれなりに価値のある――つまり換金性の高いコレクションアイテムもある。お金が必要であれば、そういうものは捨てずに売ってもらって構わない。ただし、カセットテープやビデオテープの類は、すべて処分してほしい。学生のころに録音した恥ずかしい歌声を聞かれたくはないし、捨てるに捨てられなかったAVをダビングしたビデオは、妻ならまだしも娘たちには見られたくない。
いや、それよりも、今こうしてエンディングノートを書いているパソコンのデータにも、やはり、娘に見られたくないようなものがある。申し訳ないがそういうものは、娘に見られないように、処分してほしい。
などと、気が付いた時には、そんなテキストを作っていたのである。
それは、仕事上の付き合いで出会ったあるコンサルタントの推奨する『生前に死んだときのことをまとめておこう。そうすれば、今何をするべきか。何を捨て、何を保存すべきか。何を所有し、何を使い捨てるべきかがわかり、人生が豊かになる』という考え方に僕は大いに感銘を受けた。それで自分なりにエンディングノートを書き始め、およその大綱はまとまり、『いつ死んでも困らない』という準備が、図らずしも整っていたのである。
もし、そうでなければ、あんな恥ずかしい経験をすることはなかった。死にそうになっても、それは、それだけで済んだはずなのでる。
かくして、エンディングノートは、僕が死んだときに、何をどうすればいいのか。それはまさに人生の恥部ともいうべき告白の、或いは告発の文章として僕が普段、家で使用しているパソコンに厳重に保管されたのである。そしてその仕上げに、封筒にエンディングノートのある場所、開封するためのパスワードを記載したメモ書きを厳重に封をして、あたかもそれが遺書かのように、おそらく僕が突然死ぬようなことがあったら、真っ先に見るであろう、生命保険の証書と一緒に保管したのである。それは、僕にとっては、半分はまじめ、半分は悪い冗談のようないわば『いたずら』の類であった。
さて、この話をここまで、聞いてくれた諸君。いよいよ本編はここからだ。ここまでの話をもういっぺん整理するなら、まず、僕は遺言書にあたるエンディングノートを書き記し、そしてある夜、財布をなくした。そのなくした財布を取り戻そうと、財布がなくなったことを気づいたコンビニからあわてて外に出た。そこまでは、理解していただけただろうか?
なぜ僕がこんな、もったいぶった言い方をするのかといえば、それはひとえに、僕の中でこの事件がまだ進行形であり、気持ちの整理などというものがまったくできていない。つまり、本題をお話しすることを躊躇しているのである。しかし、僕は語るのをやめない。それはなぜかと言えば、このような類の話は、早いところ笑い話にしてしまって、なるべく多くの人に笑ってもらうことこそ肝要なのである。そうすることによって、僕の恥ずかしいという気持ちは、おそらくは少しずつ慣らされて、薄れて、そして願わくは、いつかは忘れてしまいたいのである。つまり僕はこの恥ずべき話を多くの人に知ってもらうことで、夜中に起きて大声を上げたくなるような衝動から抜け出したいのである。
僕は、あのことを思い出すだけで、体温が3度ほど上がってしまう。
しかし、その前に、僕の体温が3度ほど上がる前に、この話を聞いた人の体温が1度下がる話をしなければならない。なんせ僕は、一度死んだ男なのである。いや、死んだと思われた男なのか。違う違う。ほぼ公式に僕はある期間、死んだと思われたのである。
コンビニを出て、やさぐれた中年オヤジと別れた交差点まで多分2分かからなかった。そこから中年オヤジが向かった路地の方角をのぞいてみる。夜中だというのにまだ多少の人通りはある。ともかく、見えなくてもそっちに向かうしかない。注意深く、急ぎながら、懸命に僕は走った。二人ほど人とすれ違い、一人の女性を追い抜いて、僕はようやくそれらしい影を見つけた。別れた交差点から200メートルほど先にいったところ――駅前から離れ集合住宅が立ち並ぶ住宅街へと向かう途中の道に、その男はいた。声をかけるべきかどうするかを考えながら、走る速度を弱めて男に近づいていく。夜中である。僕の足音はおよそ不自然に早く、僕の息は、人に聞こえるほどに激しものになっていた。
男が振り向き、そして向き直って全力で走る。
「おっ、おい、ちょ、ちょっと待てよ!」
完全に意表を突かれた。まさか逃げ出すとは考えもしなかった。そんな露骨なことがあるなどと、誰が想像するだろうか。あろうことか僕は、足を止め、男が走り去るのを一瞬見送ってしまった。こういう時に『泥棒!』と叫べばよかったのか、或いは『財布を返せ―!』と大声を出せばよかったのか。ともかく僕はそのどちらでもない手段。男を走って追いかけたのである。追いかけ始めたらもう、声を出す余裕などなかった。男は今走り出したが、僕はここまで来るまでにすでに数百メートル走っている。僕は普通の中年男だ。普通に運動不足であり、ここまで200メートル以上、全速力ではないにしても、走ってきたのだ。まともに逃げる男に追いつくとは思えなかった。
「見失いさえしなければ……」
ともかく長期戦を覚悟し、男を追い詰めることにした。向こうだってこちらと変わらない――多少やさぐれているにしても、中年のオヤジである。しかも結構な量の酒を飲んでいる。そう、早くは走れないし、そう長くは走れないに違いない。僕は口から二回息を吐き鼻から二回息を吸うリズムを整え、逃げる男を追いかけた。最初、不意を突かれて一気に距離を離されたが、次第にその距離は詰まり始めた。男の走り方はめちゃくちゃで、体が上下左右にぶれていた。僕はこれでも学生のころはそれなりに長距離走で上位を争う――だが3位以内に入ったことはないのだが――脚力を有していた。どうやら走ることに関しては一日の長があるらしい。
「とっ捕まえたらただじゃおかないぞ、あのくそオヤジ」
もしあの男にある程度の知恵か、或いは冷静な判断力があったのなら、たぶん逆方向に逃げていただろう。逆方向というのは、つまり、もっと人がいて、ごみごみとした場所に逃げ込み、僕の目をくらますことを優先するべきだったのだ。しかし、男はそのうしろめたさからなのか、人気のない方ない方へ走って行った。人気のない方角――それは駅から西の方角であり、荒川という大きな川がある土手の方角である。あるいはその方角に行くことで男に何かしらの勝算があるのかもしれない。しかし、そんな用意周到に男が僕の財布を掏ったようには思えなかった。掏られた僕も悪いが、掏った男も、どうにも素人くさいのである。
「僕がいけないのか。僕はそんなに隙だらけで、素人に掏られるような間抜けだったのか」
どうしようものない嫌悪感を自分とやさぐれたように見えた中年オヤジに向けながら、とうとう僕は目的を達しようとしていた。中年オヤジの激しい息遣いが聞こえる距離まで追いついたのである。そこはもう荒川の土手であった。
つづく