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エンディングノート 1

エンディングノート 1



 死ぬほど恥ずかしい思いをするということがある。それは誰にでも一度くらいあるものである。どんなにイケメンの色男でも、どんなにエロかわいいお嬢さんにも、金持ちにも貧乏人にも、それぞれの「死ぬほど恥ずかしい話」というのはあるものだ。僕はといえば、イケメンでもなければ金持ちでも、食うに困るような貧乏でもない。かといって『平凡』をもし絵にかくとしたら、それは僕の人生ではないだろう。それは自信を持って言える。僕の人生は決して平凡ではない。周りはそう思わないかもしれないが、少なくとも僕と、僕の親しい間柄の何人かは、僕の人生を平凡とは言わないだろう。


 だがしかし、それこそが平凡――もっとわかりやすく言い換えるのであれば『普通』なのである。おみくじで大凶を引いたこともあれば、クラスのじゃんけん大会で優勝したこともある。信じられない偶然が重なって妻と結婚することになったり、仕事の関係で1年遅れになった新婚旅行の直前に妻が妊娠したことがわかったりもした。人の一生というのは、それなりの文体で、それらしく書けば、それなりに小説になりうる程度に、いろいろなことが起きるものなのだ。


 だがしかし――


『死ぬほど恥ずかしい思い』という話題に関しては、僕のそれは、およそ誰のどんなエピソードよりも稀有で、死にそうで、しかも恥ずかしい物語なのだ。この話を誰かにするとき、僕は少しばかり得意げになり、そして火の出るような赤い顔になる。あのときの恥ずかしさ、思い出すだけで大きな声を出したくなる。そして穴に入りたくなる。


 いやだ。穴にはもう、入りたくない!


 そう。僕はもう、穴には二度と入りたくない。どんなに恥ずかしい思いをしようが、穴があっても決して入ることはないだろう。そこまで含めて僕の体験した『死ぬほど恥ずかしい話』というのは、本当に恥ずかしくて、本当に死にそうになった話なのである。その日、僕はひどく酔っていた。しかし酒がこの恥ずかしいエピソードの主人公ではない。酔ってやらかした失敗としては、どこにでもあるようなチープな話だ。


 僕は、財布をなくした。


 仕事のつきあいで――仕事の中身については、恥ずかしい話と関係ないのであえてここでは触れないでいただきたい――僕は、すっかりほろ酔い気分のまま電車に乗り、最寄りの駅に着いたころには気が大きくなって、もう一軒行こうということになった。つまりこの時点ではまだ、財布は僕のズボンのポケットに入っていた。僕はいつも右のお尻のポケットに財布を入れている。折り畳み式の革製の財布はしっかりと使い込み、小銭入れのボタンのところがバカになりかけていたが、それはこの際問題ではない。僕は身分証明書の類からクレジットカードや家電量販店のポイントカードまで全部この疲れた財布の中に入れていた。お金も入っていないのにそこそこの厚みと重みを持っている。だからそれが、ズボンから落ちようものなら、どんなに酔っぱらっていようが、気づかないわけがないのだ。


 気が大きくなっているときは、やはり行ったことがない店に入ってみようということになりがちだ。僕は行きつけの店のある方角とは逆――普段は北口で飲むのだが南口で店を探すことにした。しかし、この場合『探す』というのは正確ではない。一応あてはあったのだった。以前行きつけの店で飲んでいるときに、いい店があると、ほかの客から『その店』のことは聞いていた。来る夢――『来夢』と書いてライムというパブは、南口で一番賑やかな通りの、古い雑居ビルの2階に店を構えている。店の扉をあけると店内はすっかり盛り上がっており、まともに話し声が聞こえないほどにカラオケと笑い声が絶えない店だった。店のママは気立てのいい和服の似合いそうな――その時の服装は洋装だったが、あまり詳しくは覚えていない――50代くらいの秋田美人だった。そう、カウンターで話したことで覚えていることといえば、ママが秋田出身、色白で酒が強く、歌も上手だったこと。そして隣に座っていた僕よりも少し年齢が上の――僕は先月、42歳の誕生日を出張先のビジネスホテルで迎えたばかりだ――少しやさぐれた感じの、それでも人当たりのいい、怪しげな中年オヤジのことくらいだった。


 このやさぐれた中年オヤジと意気投合してしまったのが、運のつきといえば、運のつきである。その時は気が付かなかったが、このやさぐれた中年オヤジは、その時僕が来ていたスーツとほとんど同じものを着ており、ネクタイや、縦縞のワシシャツまで、似たり寄ったりの恰好をしていたのである。しかしそれは、『まったくもって偶然』というよりは必然であると言える。このあたりでスーツを買うとなれば、庶民であれば大手量販店のスーツ売り場でセール品を買う。どれもたいして代わり映えのないデザインだ。そして僕はスーツにネームを入れない。彼も入れていなかった。


 だから、それは、偶然といえば偶然なのであるが、必然といっても過言でないくらいの偶然だったのである。


 やさぐれた中年オヤジは、どこにでもいるような印象であり、それでいて話をすると癖のある、かといって飲んだ後に何か覚えているかといえば、ぼんやりとした印象しか乗らない男であった。それはおそらく、ある程度は意図的に、そしてある程度は先天的に、中年オヤジは普通であった。それは僕も同じである。僕はよく、知人友人から、「そういえば昨日、どこどこの町で見かけた」だの、「自転車ですれ違った」だの、はたまた「友人の知り合いがやっている店でアルバイトをしていたことがないか」とか――つまりは、僕のあずかり知らないところで、僕の目撃情報が流布しているのである。


 どこにでもいそうな……そう、僕の見た目はどこにでもいそうな中年のサラリーマンであり、どこにでもいそうな『やさぐれた中年オヤジ』と区別などつかないほどに、普通なのである。


 さて、これといって面白くもない話を、だらだらと続けていたのだが、実はここが肝要なのである。非日常の扉は、まったくもって些細なことのすれ違い、掛け違い、勘違いと、わずかばかりの偶然、それに伴う必然から大きく口を開け、そこに迷い込んでしまう――いわば、犠牲者を待っているのである。話をさかのぼれば、僕がこの『来夢』という店に来たところまでは、なんら変わらぬ日常のイレギュラーであり、たまたま開いていたカウンターに席に何となく、案内され、隣に先に座っていた中年オヤジと、たまたま昔のアイドルや歌謡曲の話で盛り上がり、深夜2時で店が終わったとき、たまたま、その中年オヤジと帰り道が同じ方向だった。ただそれだけである。


 あろうことか、僕はこの中年オヤジと肩を組みながら、千鳥足でもう一軒行こうかと算段をしていた。で、僕はその話を結果的にはことわり、「じゃぁ、またお会いしましょう」と、社交辞令の挨拶をして、家まであと500メートルというところで、コンビニで明日の朝のパンと牛乳を家族のために買おうとコンビニに入ったとき、僕はそのことに気づいたのである。


 財布がない


『来夢』を出るとき、会計はしっかりとした。あの中年オヤジと、のらりくらりしながら少し遠回りをして、何軒か店の前を通って、でも、もうやっている店がないからと、別れた。いや待てよ。あのオヤジ、まさか……


 掏られた?


 いや、人を疑うより、まずは来た道を帰って財布が落ちているかどうか探すのが先決だ……


 いや、ちがう。あのオヤジを追いかけるのが良作ではないのか?


『走って追いかければまだ間に合う!』


 しかし、このことが、まさか命の危険を感じるようなことに発展するとは、まるで考えが及ぶべくもない。


 僕はコンビニを出て、中年オヤジと別れた交差点に向けて走り出した。




つづく


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