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パンツを被る男 2

パンツを被る男 2



 大通りから一本横道に入っただけで、こんなにも雰囲気が変わるものなのか。人が4人並んで歩けば道をふさいでしまうような狭い路地。両側を高いビルで囲まれ、空がほとんどみえない。一歩その路地に踏み込んだ瞬間、時の流れがいい加減になってしまうような妙な感覚に襲われる。

「めまい……か」

 地震でもあったかのように足元から体が揺れるような感覚のあと、路地の風景が一瞬かすんで見えた。しかし、それは取るに足らないほんの一瞬の出来事であり、鏑木はすぐさま永田の姿を路地の向こう側に探した。

「やべぇ。見失ったかな」

 ともかく鏑木は路地に入り、注意深く店の入り口や窓から見える客の姿を確認した。店はどこも繁盛しているようで、騒がしい声が聞こえる。50前後の年配のサラリーマンが一番多いように思えたが、それに混じって若いOLの姿もちらちら見えた。およそ自分の今の生活とはまったく世界が異なる『普通のサラリーマン』や『普通のOL』が集まる場所のようだ。鏑木は少しだけ疎外感を受けた。


「さて、困ったぞ。手当たり次第というわけにはいかなし、一軒一軒除くのは非現実的だ。第一、人違いの可能性が極めて高い。引き返すか……」

 それも妥当な選択である。しかし、せっかくの機会である。こんなことでもなければ、慣れない場所で新しい店にひとりで入るなどということはなかなかしないだろう。ともかく、気に入った店があったら、そのまま入ってしまおう。幸いここには、肩ひじを張って飲まなきゃならないような店は、この路地にはないように思えた。

「そうか。永田さんならどんな店に入るかとか、そういう発想で店を選んでみるか」


 路地に入って3分ほど歩いた。これといって気に入った店も見つからず、かといってこのままどんどん奥に進むのもなんだか気が進まなかった。

「この路地はどこまで続いているのだろう。えらく長いよなぁ」

 路地は微妙に左にカーブしており、したがって路地の出口が見えない。いや、もちろんある程度先まで行けば必ず大通りに抜けるはずであるが、どうにも少し不安になり、鏑木は古びた雑居ビルの前で足を止めた。1階には店がなくエレベーターとポスト、それに看板が並んでいる。2階から上はカラオケスナックやらカウンターバーのような店があるようだ。それと地下に続く通路がある。壁にはやたらとチラシやビラが貼ってある。ライブハウスか?


 その時であった。その階段から季節外れの恰好をした女性が駆けあがってきた。季節外れというのは、サンタクロースのミニスカートの恰好であり、クリスマス以外に見ることは基本皆無のよくあるそれである。

「お待ちしてました! お連れさんがお待ちですよ! 多分店の場所がわからないだろうからって、迎えに行ってくれって頼まれちゃいました。でも、すごいわ! 階段から上がってすぐに鉢合わせなんて運命的なものを感じちゃう!」

「はぁ? 何を……」

「いいから早く! もう始まっちゃうんだから!」

「は、始まるって、い、いや、何かの間違いじゃ……」

「もう、そんなとぼけたこと言いっこなしよ! ほら!」

 そういうと彼女は鏑木の腕をつかみ、しがみつくようにして地下に降りる階段に引っ張り始めた。髪の毛は短く、金髪に染めて色が白く、目がパッチリして快活。胸は大きくしがみついた腕に柔らかな感触がダイレクトに伝わる。鏑木は完全に不意を突かれた。

「ほら! 急いで!」

「ま、まぁいいか」

 鏑木は至福の瞬間をしばらく堪能した。


 頑丈なつくりのドアを二つほど開けて、二人は店に入った。もっと音楽がガンガン流れている様子を想像していたが、思いのほか静かな店だった。店に入るとすぐにそこがライブハウスだとわかった。入り口からみて左側に小さなステージ。ドラムセットとギターアンプ、ベースアンプが並んでいる。右奥にカウンターがあり、そこに簡単なPA装置がある。カウンターにはいかにもこういう店のマスターといった感じの長髪のおっさんがいた。彼の髪に毛はすでにグレーから白に染まっており、服装はアロハシャツ。人当たりのよさそうな音楽好きのおっさんといった感じだ。その横におそらくは調理を担当しているがたいのいい――というかデブの男がお酒を作っている。カウンターにはまだ客はいないが、テーブル席はそこそこ人で埋まっていた。


「こっちよ。この席」

 サンタクロースの彼女が案内してくれた席は6人掛けのテーブル席で、先に3人の客が座っている。案内された席の正面には飲みかけのウイスキーと空になったコップ……おそらくチェイサーだが、その椅子の背もたれにはMR-1がひっかけてあった。

「な、永田さん?」

「あれー、お連れの方、どこ行っちゃったのかなぁ。トイレかな?」

「あ、あのー。この席に座っていた人って、よくここに来られるんですか?」

「うーん。どうだったかなぁ。初めてではないのは確かよ。この店は初めての方は入れない店だから……」

「はぁ」

 さて、どうしたものかと鏑木は考えた。これで、このMR-1の持ち主が戻ってきたとして、それは間違いなく赤の他人である。永田であるはずがない。もし、そんなことが世の中にあるようなら……


「ご注文は何にされますか?」

「え、えーっとおおお、ソフトドリンクを。」

「あれー、お酒飲まれないんですか?」

「えー、今ちょっと酒断ちしているもので」

「そうなんだ。ウーロン茶とコーラとオレンジジュースとかしかないけど、あー、あとコーヒーかな」

「じゃぁ、ウーロン茶で」


 サンタクロースの彼女はカウンターにオーダーを伝えに行った。マスターが彼女に何か話しかけている。まずいな。人違いというのがばれたかな。デブッチョがウーロン茶を用意し、サンタクロースの彼女がニコニコしながらそれを持ってきてくれた。そして彼女が耳元で囁いた。

「すいません。お連れ様は急用ができたとかで、それが済み次第戻ってくるとか……お客様、こちらのお店は初めてだと、お連れ様から伺っておりますが」

「あ、は、はい。そうなんです。全然初めてです」

「わかりました。当店はほかのお客様のご紹介であれば、初めてでもまったく問題はございません。お連れ様曰く、この店のシステムのことは何も教えてないから『ヨ・ロ・シ・ク』とのことでしたので、随時私から必要に応じてご説明をさせていただきます。それから、御代はお連れ様がお支払いになるということで、存分に遠慮なく飲み食いをしてくださいとご伝言をいただいております」

 まさにキツネにつままれたような話である。鏑木はカウンターのマスターのほうに目をやった。マスターは品よくこちらに挨拶をしてくれた。どうやら話は本当のようだ。


 しかし――


 これは何かの間違いだ。そうに決まっている。


 意を決してカウンターのマスターに話しかけようと席を立ちかけたとき、新しい客が現れ、鏑木の横に通された。鏑木は出口をふさがれた格好になってしまった。これでは席は立てない。周りを見渡すといつの間にかほとんどの座席は埋まっている。そうこうしているうちにステージにサンタクロースの彼女が現れた。どうやらライブが始まるらしい。


「みなさーん。お待たせしましたー。いよいよショーを始めたいと思います。ショーが始まりますと、しばらく店の出入りはできなくなりますので、外に用事がある方は、スタッフに声をかけてくださいねー。では、トップバッターの登場です!みなさん大きな拍手でお迎えください」


ショーの始まりだ。



つづく


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