億万長者になれるセミナー 7
億万長者になれるセミナー 7
子供のころはなんにでも『むき』になれた。『むきになる』ということは、『本気になっている』ということである。自分の本気がどれだけ出せているのか。今の生活の中では、良い結果も悪い結果も予定調和のなかの一つでしかなく、いちいちそんなことに一喜一憂していても疲れるだけである。それを達観といえばそうなのかもしれないが、ともかく私は大きな声でわめき散らすことは好きではないというか、どこか『大人気ない』と思う節があった。「ジャンケンというシンプルな勝負事にどれだけ本気になれるか」という試みは、自分が無意識にかけていたリミッターを開放する働きがあるようで、『勝ってうれしい』『負けて悔しい』という直接的な感触には思った以上の爽快感があった。
なるほどこれは面白い。
しかし、『なるほどな』と思うことの連続の果てに、普段であれば『否』と答えるはずの質問が必ず用意されていることを私は知っている――いや、思い込んでいるといったほうがいいか。そもそもそんなふうに思い込んでいなければ、警戒心というものはフラットな状態で発動することは難しい。案の定――といってしまえばそれまでなのだが、2~3個の『なるほどな』の次には、即決できないような判断を迫られるのである。いや、『迫られる』というのはそもそも、不公平な発言かもしれない。このセミナーの意味を考えれば、なおのことそうである。億万長者になる方法をただ同然で教えるような人が、億万長者になれるわけもなく、また、その方法を知るはずもない。
だからなのだ。
だから、このようなセミナーに参加するには『それ相応の覚悟』あるいは『鉄のような心』『ゆるぎない価値観』を携えていなければ、まず太刀打ちはできない。そう、私は太刀打ちをするつもりでここにきている。だが、ほかの三人はどうなのか。そもそもこのセミナーに参加しろと命じた人間の真意はどこにあるのか?
まぁ、いい。あと一日で終わるのだ。いざとなれば……
翌日もセミナーは同じようなペースで……いや、もう少し具体的に『自己投資』についての積極的な『勧誘』といった色合いを強めていった。
「億万長者になりたいですか?」
「Yes!」
「私は、そのためにはいかなる努力を惜しまない」
「Yes!」
「私は、そのためにはどんな課題にも挑戦する」
「Yes!」
「私は、そのために自己投資を惜しまない」
「Yes!」
「私は、それが必要だと理解する」
「Yes!」
ある瞬間から私の中の『自己防衛装置』のアラーとが激しく鳴り響き、『次の段階』まできたときには、『速やかに行動に移るべし』という警告メッセージが脳内を駆け巡るようになった。それはお昼を前にして、『小さな買い物』を塚原 昇が強く勧めてきたときだった。会場には自ら進んで購入申し込み用紙に必要事項を記入し、我先にと受付に殺到するものもいたが、明らかに『まるで買わなければならない』という空気に耐えかねて『このくらいなら……』と不本意ながら用紙とにらめっこをしている者もあちこちに見られた。
「社長、ちょっとトイレに行きません?」
「ああ、行こうか」
私は社長をトイレに誘い、そこでこれ以上ここにいるのは危険だと正直な気持ちを話した。社長は二度うなずき、「俺ももう限界だ。これ以上つきあうこともないだろう」とほとほと疲れたような表情で吐露した。私は部長と専務に声をかけ、刺さるよな視線の中、すごすごと――彼らにはそう見えたのだろうが、堂々と、あるいは、颯爽と会場をあとにした。
帰り道――
どういうわけだか私たちはとても清々しい気分だった。それは『出て行け!』といわれて「あいわかりました。でていけばよろしいのですね」と普段であれば絶対にできない――そう、たとえるのなら無理難題ばかりをおしつけるクライアントに『あっかんべー』をして立ち去るような後ろ向きな爽快感である。
「あのままやっていたら洗脳されてわけのわからないものを買わされていたな」
社長の言葉に常務が付け加える。
「本当だよなぁ。1万2万のつもりが、気がついたら数十万単位で金を使うやつもいるんだろうな」
部長もそれに続く。
「隣の人なんか、プルプル震えながら申込書に書き込んでいたからなぁ。あれは一人で行ったら買わないわけにいかなくなるよなぁ」
私は思った。
『お前が言うなよ。お前が!』
しかし、そう思いながらも、どちらかといえば後ろめたい爽快感のほうが私の大部分を占めていたので、そのときには今ほどに部長に対してそれほど強く不快感を覚えていたわけではなかった。
「腹減ったなぁ。昨日はぜんぜん食欲なかったけど、なんだかほっとしたら急にお腹がすいてきたよ」
社長の意見にみんな賛成した。私たちは4人で少しばかり贅沢な昼食をとることにした。ここまで耐えた自分たちへのご褒美、あるいはリハビリテーションである。
「でも、まぁ、全部が全部嘘というわけでもなかったなぁ」
社長の言葉にすかさず専務が自分の知識を疲労する。
「あれは、全体としてはよく知られた成功の秘訣に心理学的な要素を加えたもので、まったくオリジナルなセミナーというわけではないし、あの内容であれだけの人を集めてビジネができるなら、うちでもできるかもなぁ」
私は怪訝そうな顔で専務に釘を刺した。
「冗談なら面白くないし、本気だとしたら、それこそ冗談じゃないですよ」
専務は何か言いたげだったが、社長が私に同調したので、それ以上何も言わなかった。
「本当に無駄なものに時間をとられたよ。やらなきゃならない仕事がいっぱいあるのに」
――だから、お前が言うな。お前が!
つづく