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短編集『休日、事務所のソファーにて』  作者: めけめけ
第3章 休日、事務所のソファにて
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億万長者になれるセミナー 6

 億万長者になれるセミナー 6




 すべてその調子だった――言葉は力強く説得力にあふれている。彼に叱咤されると激励されているように思える。時にはストーリー仕立てに、時には自身の失敗談。そして彼がその中から得た教訓は聞くものの感心させるのに十分だった。身体も使う。集中力を保つためには適度な運動が必要だし、水分を十分に補給することでおそらくは乳酸値を抑え、疲労を感じさせない。グループに分かれての手段行動。競争意欲、コミュニケーション、スキンシップ。私が知る限りのありとあらゆる手段を使って、彼は――億万長者になる方法を知る男――塚原 昇は、私たちの深層心理にアクセスをしてきた。


 なるほど――


 6組のグループに分かれたとき、そのなかに妙に手際の良いというか場になじみすぎているリーダー的な役割をこなすやつがいると思ったら、どうやらセミナーの経験者であり、自分もこのセミナーに参加して収入が数倍になったそうだ。名刺を見ると、あまりにも近所だったので「すいません、名詞は持ってきてないのです」と嘘をついたが、宇野部長はしっかり名刺交換をしていた。


 これだから――


 私は宇野部長をにらみつけ、警戒心を上げるように促したが果たしてその真意が伝わるには私が想定していた以上の時間を要した。私は私の身を守ることには絶対の自信があったが、他人の面倒をみるような余裕は持ち合わせていなかった。私がこうも他人に対して警戒心が高いのには理由がある。というかひとつの手痛い経験が、私に人を疑うことを覚えさせたのである。



『笑顔で近づいてくる奴には気をつけろ』



 高校生のとき、私は小さなレコード店でアルバイトをしていた。店長はひとつ上のフロアの事務所で作業をし、1階の店番は私だけだった。ある日、上下紺色の作業着のようなものを着た男が現れた。客ではないとすぐにわかった。客はニコニコとしながら店員に近づいてきたりはしない。

「消火器の点検に来ました。私はこういうものです」

 その男は胸に顔写真入りの身分証明書をつけていた。『消火器』『点検』などという言葉が入った会社の名前に見えたが、正直よく覚えていない。


「アルバイトの方ですか? お一人で大変ですね。消火器の点検なんですけど、どこにあるかわかりますか?」

「消火器……ですか。えーっと」

「お店には必ず備え付けてあると思うのですが、もしないようでしたら、新しいものを設置しないといけません」

 いや、そうは言わなかったのかもしれない。でも私にはそう聞こえたし、そう思い込んでしまった。完全に男のペースに乗せられてしまった。

「こちらに新しいものを用意しています。古い消火器はどのみち取り替えなければなりませんし、新しいものを設置されたほうがお店のためになりますよ。 ね?」


 こちらに考える隙を与えない。何かを聞こうとしたり、考えようとしたりすっると矢継ぎ早に言葉を投げかけ、同意を求め誘導する。『買う』とか『購入』とかそういう言葉は使わない。あくまで『設置』や『交換』と言う言葉を使い、この男が『消火器を売りつけに来た』とは思わせない。考えさせない。気づかせない。


「じゃあ、ここに設置して行きますから、手数料は3万円になります」

「3万円……あっ、あのぉ」

 それから5分間のことはあまりよく覚えていない。ともかく払わなければならないという気持ちにさせられ、私はレジからお金を出して渡してしまった。その男が店を出た後に、なんだか大変なことをしてしまったと思い、急いで店長に連絡を取った。私はこっぴどく叱られ、バイト代から3万円の半分を負担することになった。店長は領収書に記載されている番号に電話をかけ、支払った3万円を取り返そうとしたが、結局だめだったようだ。もしもあのとき、騙し取られた金額をすべて自己負担したり、或いは怒られただけですんでいたりしたら、私が得られた教訓は少なかったかもしれない。ただでさえ、経営が厳しい店に損失を与えたこと、自分だけでなく周りの人に迷惑をかけてしまったことが、ひどく私の心を傷つけた。それ以来、私は笑顔で近づいてくる他人を信じないようにしている。


 宇野部長の人の良さは、私を苛立たせた。それも良かれと思って彼が意識してやっていることであれば「そういうものだ」と諦めるしかないのだが、彼自身とくに考えや主義主張があってやっているわけではないのである。なにも考えなしに、ただ無防備なだけ。ただ無垢なだけ。そんな人間がいくら自己啓発や成功体験の本を読んだところで、なんの足しになるというのだ。自分でぐるぐるまわるだけならいい。他人を巻き込まないでもらいたいものだ。


「コンサルってそんなに儲かるのかなぁ」

「仕事が儲かるのではなく、人が儲かるのであって、コンサルなら誰でも収入が何倍にもなるというものでもないでしょう。まぁ、定価があってないようなものでしょうから、人気になれば、単価も上がるでしょうし、成功報酬というのなら、やはりその人はコンサルでなくても、多くの収入を『もともと得られた人』ということになるんじゃないですかね」

「そうかなぁ」

「わかりませんよ。いっそなってみてはどうです? いろいろ本を読んで勉強してるんでしょう?」

「トゲのある言い方するね」

「そうですか。気のせいですよ」


『いま、気づいたのか!』

 と、毎回がこんな調子である。一日目をどうにか無事に終え、帰りの電車の中で社長が弱音を吐いた。

「明日来なかったらごめんね」

「また、そういうことを……このセミナーはそもそも」

「冗談だよ」

「笑えない冗談です」

「本当、笑えないよな」


 社長と私の意見はほぼ一致していた。社長もこういうものには懐疑的である。ただし、ゲーム感覚で、そのイベント、イベントを楽しむことができる人である。グループに分かれての目的を競うような場面では、一番張り切っていたのではないだろうか。社長のそういうところが社員には魅力に感じるし、それは私も同じである。専務はというと、自分の知っている知識や経験を元に、あの講義の内容はどこどこのサイトで見たことがあるとか、だれだれに聞いたことがあるとか、そんな話ばかりである。いまさら話をなぞられても、それに付き合う気力は私には残されていなかった。宇野部長はまた本を読んでいる。


 そういえば宇野部長が小説の類を読んでいるのはみたことがない。逆に社長は司馬遼太郎をはじめとした時代劇や歴史ものの小説をよく読んでいるし、北方謙三や最近公開された映画の原作などもたまに読んでいるのを見かける。社長は社長で少しはビジネス書を読んでもらいたい気もするが、それはさておき、宇野部長は果たして何の目的で本を読んでいるのだろうかと本気で考え込んでしまう。


 本を読むことが目的化してしまっているのか


 そう結論付けるのはまだ早いが、そう思っていたほうが、私の悩みのタネがひとつ減る分、いいのかもしれない。



 私は地下鉄の窓に映る自分の姿を眺めながら、今日体験したことを、すべてリセットしていた。ただひとつだけを残して……



「みなさん、本気のジャンケンって、最後にやったのはいつですか?」

 塚原 昇の言葉で唯一私の心を動かした言葉である。




つづく


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