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短編集『休日、事務所のソファーにて』  作者: めけめけ
第3章 休日、事務所のソファにて
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億万長者になれるセミナー 5

 億万長者になれるセミナー 5



「はい、それでは遅れていた方が会場に入られましたので、はじめたいと思います」

 先ほどの説明どおり、6分遅れてセミナーは始まった。体操のお兄さんは無駄に明るすぎず、また無粋に威張ることもなく、まさに前説には適任といった感じであった。そして私が最初に思った彼の印象が『NHKの体操のお兄さん』であったことが、決して間違いではないことがすぐに証明された。


「それではセミナーを始める前にウォーミングアップをしましょう。今朝は早くからお集まりいただき、人によってはかなり遠いところから来ていただいております。朝は軽い運動をすると頭がすっきりして、集中力も高まります。では皆さん、席をお立ちください」

 なるほどそういうことかと思ったのは私だけではないはずだ。体操のお兄さんの指示に従ってまずラジオ体操をし、それから二人一組になって軽いストレッチを行った。朝の適度な運動は確かに気持ちがいい。私の会社はソフト開発会社であり、パソコンより重いものを持つことは少ない。営業であれば外に出向いて歩くこともあるが、私などはほとんどデスクワークである。運動不足もはなはだしい。


「あー、身体堅い」

 スキンシップというのは不思議なもので、なんとなく親密に思えてしまう。私は宇野部長が何も最初から生理的に嫌いだったわけでもないし、今でも機会があれば一緒に飲みにだっていく。私の心のわだかまりは、取るに足らないことではあるのだけれど、しかし、絶対に譲れないことでもある。

「運動不足ですね」

 背中合わせになって自分が前かがみになり、相手を背中に乗せて背を伸ばす。私は見事なメタボ体質であり、それについては申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

「重くてすいません」

「いや、俺もたいしてかわらんさ」


 一様に身体を動かすと快活になる。挨拶もしっかりとした声が出るようになる。なるほど効果は抜群だ。体操のお兄さんからすぐに手元に配られた水分を取るように指示があった。そして会場に設置してある水の使い方の説明があり、どうやら定期的に水分を補給させる目的で部屋の隅に給水所が設けられているのがわかった。


 一日に一リットル以上の水分を取ったほうがいい


 たしか、そんな話をどこかできいたことがある。私は理にかなっていると思うことには従順である。たとえこういったセミナーに対して懐疑的であっても否定的ではない。いいと思うものは自分の生活に取り入れることは、いいことだと思う。ただし、前向きになれないから私はメタボなのだ。


「さあ、それでは塚原昇先生をお呼びしましょう。みなさん、大きな手拍子でお迎えください!」

 体操のお兄さんのこれまでの行動は私の想像の範疇だったが、これは少しばかり意外であった。会場には80年代の末か、90年代の頭、つまりバブル絶頂期に流行したようなノリのいいダンスミュージックが大音量で流れ出した。体操の効果なのだろう。会場の人たちの反応は驚くほど素直で、すばやかった。みんないっせいに手拍子を始める。私は心のどこかでそのような光景を笑っていた。


『おいおい、いったい何がはじまるというんだい?』


 バブルの象徴、ジュリアナ東京に行った事はない。ワンレン・ボディコン、お立ち台にあがり扇子を振り回す光景は、ニュースや情報番組の映像で何度もみた。ある程度音楽に精通していた私は、踊ることには興味はなかったが、そこで流れる音楽については多少の興味はあった。どういう音楽的ルーツがあり、どういう背景で生まれ、どんな人たちが作り、そしてどう廃れていたのか。残念ながらこの手の音楽は私の好むところではなかったが、この曲は当事はやっていたものではないようであるが、構造、展開、音色は同じである。


「さぁ、もっと大きな手拍子で! もっと盛り上がらないと先生は降りてきませんよ!」

 体操のお兄さんがどんどん煽る。『降りてこない』といったか? なるほどあの螺旋階段はそういう役割なのか。私はこの時点でどうしようもない違和感を覚えていた。そしてそれは次々と形となって現れていくのだが、果たしてそのときは想像もついていなかった。いや、潜在意識の中で必死な抵抗が始まっていたのかもしれない。ともかく私は顔で笑って視線は冷ややかであった。


 会場のヴォルテージが上がるほどに、私の中の用心深い部分は冷却装置をフル稼働させて状況の推移を冷静に見ようと注力する。そろそろかと私が感じた瞬間に彼は現れた。会場にいる誰よりもより大きなアクションで手拍子をしながら螺旋階段を駆け下りてくる。身体の線がわかるほどにぴっちりとふぃとしたダークグレイのスーツに身を固め、白い歯をむき出しにしながら笑顔を会場の人たちに振りまく。まるでコンサートでも始まるかのような勢いである。彼は手拍子をするときに手のひらを胸の辺りで強く合わせる。あわせるときは手の指と指がぶつかるのではなく、もみ手のような形でがっちりと合わさる形になる。このほうがより強い音が出せるし、身体の力が手に伝わりやすい。目を大きく見開き、ありったけの笑顔で壇上から私たちを見つめた。


『シンバルを叩くサルのおもちゃみたい』


 私は不謹慎にも、彼の目を大きく見開き、白い歯を見せながら大きなジェスチャーで手拍子をする彼の姿を見て、思わずそう思ってしまった。サルというかチンパンジーである。もう手が痛くて手拍子をしたくないと思うぎりぎりのところで音楽は止まり、大きな声で挨拶が始まった。

「みなさん、おはようございます」

「おはようございます」

「いいですね。みなさん、とても生き生きとしてらっしゃる。これから私がいくつかの問いかけをしますので、それに対して心の底、お腹のそこから『Yes!』と大きな声で答えてください。いいですか?」

「Yes!」

「おー、素晴らしいですね。みなさん、飲み込みが早い」

 会場が気持ちの悪いくらい和んだ雰囲気になる。小さな笑い声がこんぼれる。これだ。これが嫌なのだ。この型にはまったやり取り。そこに同化することを心地いいと思うようになる。そういうことに対して、私の生理的に拒絶する。或いは免疫システムとでもいうのか。ともかく雰囲気に飲まれることを危険だと感じてしまうのである。


「億万長者になりたいですか?」

「Yes!」

「私は、そのためにはいかなる努力を惜しまない」

「Yes!」

「私は、そのためにはどんな課題にも挑戦する」

「Yes!」

「私は――」

「Yes!」

「私は――」

「Yes!」



 ……声は出すが意味を理解しない。私の自己防衛本能が機能し、肉体と精神と知性が繋がる回路を部分的に切断し、或いはバイパスを作って互いに感化されないようにシステムを切り分ける。さぁ、ゲームの始まりだ。私は必ず生き残ってみせる。勝てるとは思わないが負けないための戦いであれば自信がある。しかし、問題は私だけではなく、他の三人も無事に帰還させなくてはならない。私のミッションが始まった。




「私は――」

『No!』

「私は――」

『No!』




つづく

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