億万長者になれるセミナー 3
億万長者になれるセミナー 3
決算を翌月に控えた2月の週末。こんなことに土日をつぶされるのは、まったくもって不愉快であったがそれは私の機嫌の話ではなく、妻の機嫌の話である。私自身は週末が仕事でつぶれようが、妻に買い物を付き合わせられようが、どちらも似たようなものであり、できることなら家族みんなで実家に帰って、私は昼間からビールを飲み、父と母に子供たちの面倒を見させて妻は一人テレビでもぼーっと見ていてもらえれば、こんな至極の休日はないのだが。
それでの私には私のブルースがある。週末を仕事でつぶされることは平気でいられるが、あの人たちとずっと一緒に何かをしなければならないとなれば、私の気分も当たり前にブルーになる。
「やれやれ、なんだって、こんなセミナーに俺たちがでなきゃならないんだ?」
社長のご意見はごもっともである。今回に限っては、社長は被害者である。決して経営者として高い能力がある人でも、高い適性がある人でもないが、少なくとも社員からの信頼度は上層部で一番である。いや、これは少しばかりほめすぎかもしれない。逆に言えばほかの二人が低すぎるのだ。もともと現場のたたき上げで、開発部門の責任者であった現在の社長は、事業部長としては優秀だったかもしれないが、経営者としては、どこか脇が甘いところがある。それはそれで彼の人間的な魅力でもあるのだが、それだけでどうにかならない厳しい経営状況の中では、いかにも頼りないといった感は否めない。
「とはいえ、言い出したら聞かないのが会長ですから」
お前が言うなと私は言いかけて
「まぁ、これも給料分ですから……それにただじゃないんですからね。このセミナーは」と執行役員に対して多少の嫌味を含んで行ってみたものの、彼にはそんな含みを持たせた言葉など通じるわけはなかった。彼は『そういうところは』鈍いのである。
「なんでこの4人なんだ?」
専務は、どことなく他人事でまるで関心がない。そもそもの原因は専務にあるのだという話をするには少々説明が必要か。もともとこの会社は現社長が開発部門をまとめ、専務が一人営業を担い、現会長が社長で全体のバランスを見ていたのである。そこに私が加わり、現会長の補佐的な役割をしてきた。のちに執行役員が専務の補佐役として別の会社から引き抜かれてきた……というのが公式な見解であるが、おそらくは追い出されてきたのを拾ったのか、或いは何かの交換条件に押し付けられたのか、そのどちらかに違いないと今でも私は思っている。
「もう、忙しいのにたまらんわ」
社長のボヤキが始まる。六本木に向かう地下鉄の中はブルースに染まっていた。社長のブルースに付き合う気はなかったが、私は私でここに至るまでの経緯に思いをはせて、やはりブルーになっていった。休日に一番一緒に過ごしたくない人たちと、しかも2日間朝9時から19時までずっと一緒にいるのである。遠くない未来のブルーと遠くない過去のブルーにはさまれて、私は悲鳴をあげずに踏みとどまっている自分をほめてあげたいとさえ思った。
「なぁ、あの案件どうなん?」
社長が専務に問いただす。いや、この場合「問う」よりもはるかに「ただす」ほうの意味が圧倒的な要素を占めていた。
「進んでいるよ」
答えにならない答えで応えることが、この人の常であり、私はそれが大嫌いだったけど、時と場合によってそれは瞬間的に役に立つこともあったから、直せとは言ったことがない。いや、そんなことよりもそもそも治るはずがないのだ。専務の思考回路はおそらくははるか昔からそのように構成されているのだ。付き合いが長いだけに彼の生い立ちについて多少なりとも知ってしまっていることが、この際は私の不幸なのかもしれない。なるほどそういうことかと妙に納得してしまうのが私の悪い癖である。
「また、そんなこと言って。本当に取れるんかいな?」
「とるよ」
そう答えた専務の言葉を文章に表すのなら「(契約を)取る」なのか「(なにがなんでも)獲る」なのか「(くすねて)盗る」なのか……などと言葉遊びをしたくなるくらいに、軽い返事であったが、社長自身、まるで結果がわかっているといった顔で「そうなの。たのむでぇ」とぼそりというだけだった。執行役員のあの男は、そんな会話には一切かかわらず、持参した本ビジネス書を読んでいる。彼がその手の本からどのような知識を得ているのか知らないが、彼の理解力が足りないのか、そもそも書いてあることに間違いがあるのか、何一つ会社で役に立ったことはないように私は思っていた。いや、これはあまりにも偏見が過ぎるというものか。もしも彼がその手のビジネス書籍を読んでいなかったら、もっとすごいことになっていたのかもしれないと思いついた時には、少しばかり寒気がしたものだった。
「宇野さん、なに読んでるんですか?」
「えっ?」
「あ、あぁ、専務の進めている案件、どうなんでしょうね?」
「知らん」
何を読んでいるか聞いたところで、この男は本の内容を私にわかりやすく話すことなどまずしない。私は最初の問いを変更し、私が本当に知りたいことを聞いてみたわけだが、それにだってこの男が答えられるとは思っていない。しかし『知らない』というのは嘘であり、『知らない』イコール『ものにならない』とあの男は感覚的にわかっているのだ。だから興味を持たない。聞いてもわからないし、まして他人に説明できない。そのような案件が仕事につながるはずもない。論理的ではあるが、なんともお粗末な話である。しかも彼はその論理的に自ら結論を出すことはない。彼の言動や行動から私が推測し、およそ当たらずも遠からず、いや、下手な占いよりよほど当たるというものである。
「そうですか。ところでいろんな本を読んでいるんですね。一番参考になったのはどんな本です?」
「そうだなぁ……いっぱい読みすぎてわかんないや」
「それじゃだめじゃないですか」
「そう? でもためになることいっぱい書いてあるよ。タケちゃんも読んだ方がいいよ」
「僕はどうにも本を読むのが苦手で……」
そういいながら腹の中ではふつふつとしたものが湧き上がり、頭の中では『タケちゃん』という言葉がぐるぐるとまわっていた。一番なれなれしくしてほしくない人に『ちゃん付け』で呼ばれる苦痛を共有できる人がいるならば、私はぜひとも一緒に飲んでみたいものだ。安い居酒屋ならおごってもいいとさえ私は思う。
「場所わかるの?」
社長がセミナーの会場のことを聞いてきた。社長はたとえばスケジュールは頭に入っていて、時間通りに会社を出るのだが、よくよく遅刻するのである。『誰かに』『何時に』『どこで』会わなければならないという情報は入っているのだが、目的の場所にまっすぐにたどり着けないことが多々あるのだ。地図を調べても印刷したものを忘れる。場所を確認しても地下鉄のどの出口で出るのかを調べないから道に迷う。しかし、まぁ、そんなことは私からしてみればかわいいものである。
「ネットで調べたし、出口を間違わなければすぐわかると思いますよ」
「地図は?」
「もってきてませんけど」
「大丈夫か?」
「えー、問題ないです」
「ならいいけど」
別に私がこのセミナーを主催したわけでも、選定したわけでもない。会長からの命令をほかの3人に伝え、メールでその案内は出している。それぞれが場所を調べても罰は当たらないだろうし、みんなで一枚ずつ地図をプリントするのも経費の無駄である。私は勝手のわかる場所だったので地図は必要なかったのだが、正直腹が立ってきた。
「今回のことは、別に僕が仕切っているわけでも、僕がいかなきゃならないわけでもないんですけどねぇ」
「武田。俺だってそうだよ。原因はこの二人だろう?」
「まぁ、そんなところなんですけどね」
「そうだと思ったよ。あーあ、途中で抜けられないかねぇ?」
「それはやめてください。どうせ会長にどうだったか報告しないとならないんですから」
「やれやれだなぁ」
もうすぐ六本木に着く。私はカバンからプリントを一枚取り出した。それは今回のセミナーの申し込み用紙である。それにしても何度見ても私なら絶対にこんなコピーは考えないと思う宣伝文句である。
素晴らしい人生をあなたのものに! 誰でもお金持ちになれます!
つづく




