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短編集『休日、事務所のソファーにて』  作者: めけめけ
第3章 休日、事務所のソファにて
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億万長者になれるセミナー 2

億万長者になれるセミナー 2



 思わずというか図らず同僚と表現してしまったが、セミナーに参加したのはその当時の取締役と専務取締役、それに執行役員の3名であり、それを指示したのは会長職の役員である。つまりこの会社のトップの命令にナンバー2、ナンバー3、ナンバー4が顔を連ね、そこに私が加わり我が社の意思決定機関のうち、開発部長以外すべてということになる。私自身は役付きではないなりに、実はこの3名とは実務レベルにおいてはほぼ同レベルであり、人間的な力関係でいってもほぼ同レベルかある部分においてはそれ以上である。つまるところこの会社の運命を左右する首脳陣の意識改革がセミナー参加の目的であり、会長という人は、そのようなセミナーで広く例として取り上げられるベストセラーとなっている自己啓発的な書籍のマニアといっていい。


 さて、本題に入る前に、もう一つだけお話しておかなければならないことがある。それは私自身の学生のころにアルバイト先での話である。私は縁があって、観光バスの添乗員のアルバイトをしていた時期がある。簡単に言えばバスガイドなのだが、もちろん観光の案内をするわけではなく、観光バスの運転手の補佐的な役割――車掌といえばわかりやすいかどうか。もっとありていに言えば、バスガイドが労働基準法的に働くことができない、早朝や深夜にバスが運行する場合に男性アルバイトがこの役割を担うわけである。早朝から移動するゴルフや宗教関係の行事、芸能やスポーツ関係のイベントの送迎などがこれにあたるのだが、もう一つよくあった仕事で自己啓発セミナーの送迎というものがある。出発時間が早く、帰りも遅くなる。


 都内を早朝出発し、河口湖のホテルまでの送迎で、そこでセミナーが行われ、帰りは夕方出発し夜遅くなる。行のバスの中では、このセミナーに臨む参加者の挨拶から始まるのだが、みなそれぞれ悩みを抱えているらしいことはわかるのだが、そのようなものに生理的に懐疑的な私にとっては理解できない話であった。その点ではドライバーも同じ意見であり、住む世界が違う人という認識では共通していた。バスの運転手といいのはそもそも職人であり、そのような悩みとは縁がないのであろうという私の分析は完全に偏見によるものだとは思うが、当たらずも遠からずだと思いたい。50人近くの乗客の命を預かるドライバーが週末は自己啓発セミナーに通っていますと聞いたら、はたして自らの命をその人に任せて観光を楽しめる人は決して多くはないと私は思っている。


 送りのときはセミナー参加者の欝な状態の悩みを聞かされ、帰りは躁の状態の彼らの熱気に当てられる。この仕事をやったボーイ仲間(バスガイドに対して男子の添乗員をボーイという)やドライバーは、そんな彼らの話を聞かされて頭が痛くなるという。私もそうだった。もしも私自身が悩みを抱えていて、あのバスに乗り込みセミナーを受けてなにか人生観が変わったような爽快な気分になったとして、そしてそれが自分だけではなくバスに乗っている皆がそうであるというのであれば、気分はとてもいいのだろうとは理解できる。しかし、その場に悩みを持っていない――いや、悩みのない人間などあまりいないだろうから、この場合は悩みを克服あるいは上手に付き合うすべを知る人間にとっては、感覚的に受け入れがたいし、論理的には彼らの変化は一時的なものであり、また同じことあるいはさらに過激なことを求めるのではないだろうかという懐疑的な意見にたどり着く。つまりセミナーなどというものは金儲けの道具に過ぎないと、そのような身もふたもない結論で、自分の住む世界とは違う話だと住分けてしまう。私はこのような思考を自己防衛本能と呼んでいる。


 さて、つまりは私の経験則からもそのようなセミナーに対して懐疑的であったわけで、自分がそのようなものに参加するようなことは一生ないものだと確信していた。しかしそんなゆるぎない自信も鶴の一声で覆ってしまうのが組織というものである。いや、組織がいけないのではなく組織という形を借りた「横暴」であると私は思っている。しかし『経験則』と言ってしまうのはいささか言葉が過ぎたかもしれない。私はセミナーを経験したわけではなく、セミナーに参加した人のする前、いた後を目の当たりにしただけである。使用前と使用後の写真を見たからと言って、私がダイエット体験をしたわけでも、見事な腹筋を身に着けたわけでもないのだから。


 だから、私は無理に逆らうことはなく、これも人生経験の一つだと、半ば自分に対して慰めの言葉をかけながら「これも給料分だ。仕事だと思えば誰も恨むこともない」とわりと簡単に自分を納得させたものである。そのうえで、このようなセミナーに無理やり参加させられる理不尽を私が享受しなければならなくなった原因を作った人間――あの男に対してはまた一つ貸ができたと閻魔帳に記載したのである。お気づきのことだと思うが私はとても寛大な人間であると同時に、とてもしつこい人間なのである。


 まぁ、それでももしも、もしも本当にこんなセミナーを受けて金持ちになれるようなヒントが得られるのであれば、儲けものである。そのくらいの軽い気持ちとふつふつとしたうらみつらみみを抱えて、私はセミナーに参加したのである。



 知らない人は損をする! お金持ちになるための25の法則!

 



つづく


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