(8)
「私には、お姉ちゃんが居たんだよ」
ふわり、と笑顔を浮かべて、桐子は目の前にいる人物に言った。早春の空気は、まだ少しだけ冷たい。
「……なに? ソレ。それが受験を直前に控えての今の気持ち、な訳?」
桐子の言葉に、彼女は怪訝そうな顔で眉をしかめた。桐子の親友の一人、美加だ。受験を明日に控えて、今の気持ちを一言で表現すると? と訊かれ、桐子が返した答えがこれだった。彼女があっけにとられるのも、まぁ無理ないだろう。
「あ、今、呆れてたでしょ?」
「そりゃー呆れもするわ。突然突拍子もないこと言い出すんだから。ま、あんたらしいと言っちゃあんたらしいけどね」
肩をすくめて笑ってみせる美加に、桐子は少しだけふくれっ面をお見舞いすると、そのうちぷっと吹き出した。そのうち美加も一緒になって笑い出す。
「受けるからには、受からなきゃね。四月には二人とも、花の女子高校生よ!」
ひとしきり笑い終えると、桐子を見て握りこぶしを握り、美加は意気込んだ。
「花の女子高生ね……」
そう言って、思わず出そうになった笑いを噛み殺す。美加にバレたら大変だ。桐子は知っている。女子高生になって、理想に合った彼氏を作るのが彼女の野望なのだ、と。その野望が達成できるかどうかは、……まぁ言わない方がいいだろう。
ふわっと花の香りがして、桐子は顔を上げた。
空には、春らしい綿雲がぷかぷかと幾重にも連なっている。淡い水色が、桐子の目に爽やかに映った。まだまだ気温は低いけれど、空だけはめっきり春だ。そんなことを考えていると、ふと、花が好きだと言っていた彼女の顔が浮かんでくる。
あの日以来、桜が桐子の前に現れることは無くなった。何度かあの喫茶店をのぞいてみたが、カフェオレを啜る彼女の姿は、未だに見つからない。でも、桐子は不思議と寂しくはなかった。
――応援しているよ。ずっとずっと。
そう、彼女は言ってくれたから。
きっと今でも、自分のことを見守ってくれているのだろう、と思うから。
「桜、もうすぐ咲くね」
校庭の桜の木を見つめながら、桐子は呟いた。
三月初旬、春の訪れ間近。校庭に植えられた大きな桜の木は、しっかりと地に根を下ろして、春の到来を待ち望んでいるようだった。切り裂くような冬の寒さに耐え、エネルギーをたくさん溜め込み、その力で満開に咲かせるのだろう。たった数週間しか、咲くことの無い花を――
「おうよ! 桜が咲く頃には、こちらもサクラサクよ! 桐子、がんばろうね!」
「うん、がんばろう」
二人はお互いに微笑み合うと、卒業以来何日かぶりに通る下校道を下って行く。
ふわっとまた、桐子たちの周りに風が通り過ぎた。春先だけど、わずかに花の香りを乗せた風は、やっぱりまだ少し冷たい。「がんばって」と、かすかに耳元を撫でた声は、空耳だったのだろうか。
――Dear my sister.
心から、ありがとう。
そして、見守っていて下さい。ずっとずっと。
まだまだ先は見えないけれど、私はがんばるから。
必ずこの手で、未来を掴み取ってみせるから。
(完)