(6)
「応援しているよ。ずっとずっと」
ぽつり、と桜が呟いた。
思っていた事への返事を聞いた気がして、桐子は驚いて桜を見た。その声がなんだか儚くて、言いようの無い何かが、気持ちの中に押し寄せてくる。桜は、いつもの桜だった。だけど少しだけ、悲しそうな表情を浮かべている。
(……あれ?)
なんなんだろう、この気持ち。今一瞬、胸によぎったものは……不安?
「桜ちゃ――」
「桐子ちゃんは、私にはできなかった事ができたんだもの。きっと上手くいく。私はずっと応援してる」
桐子の言葉を遮って、桜が言った。少し高めの声は、凛と張り詰めた冬の空気によく響く。
――私にはできなかった事
なぁに? それは。そんなもの、あるの? 私にできないことはたくさんあっても、桜ちゃんにできないことは、無いと思ってた。でも、今目の前にいる少女は、実は弱い部分も持っていたのかもしれない。桐子が気づかなかっただけで、あの無邪気な笑顔の影に、それを隠していたのかもしれない。
そんなことを考えていると、彼女の優しい瞳とぶつかった。ぶつかって、ハッとする。それは、昨日のあの瞳と同じものだということに。
あの瞳――
『どこかで見たことがある気がするのは、錯覚なのだろうか』
錯覚――……じゃない気がする。
桐子の耳元で、潮騒のようなざわざわとした音が聞こえ出した。潮騒はだんだん間隔が狭くなってゆき、やがてその中に、高い耳鳴りも混じってくる。それと同時に、心臓の鼓動が早くなった。現実とは皮一枚隔てた空間にいるみたいだ。あたりの風景が、にじんだ気がする。目の前にあるのは、優しい笑顔、優しい瞳。どこかで……
……どこで?
――似てるからよ。
(え……)
潮騒が突然止むと、代わりに昨日の、彼女の台詞が頭に響いた。
似ている? 誰が? 何に?
――妹にね。桐子ちゃんが、本当にそっくりなの。
妹? 桜ちゃんの?
私によく似ている……?
違う――そうじゃなくって、私が……――
「蛍、来年は見られるといいね……」
ハッと気づいて桐子は、ぼんやりしていた焦点を隣にいる桜へと合わせた。一人で考え込んでいて、ぼーっとしていた。しかし、そんなに時間は経っていないようだ。桐子の視線の先で、彼女もまた、桐子の方を見つめていた。優しい、いつものあの、無邪気な笑顔を浮かべて。
この笑顔に桐子は一体、何度勇気付けられただろう。
「桜ちゃん……あのね、もしかして……」
彼女と一緒にいて、自分が自然体でいられるのがどうしてか、やっと分かった気がする。こんなこと、答えにはなっていないのかもしれないけれど。普通に考えて、おかしな事だと誰もが笑うと思うのだけれど。あなたは私の――
途端、ぶわっと大きな風が起こった。
川原の枯れた雑草は、まるで自分たちを主張するかのように、カサカサとうるさく鳴った。急なことでびっくりして、桐子は思わず目をつぶってしまう。つぶる瞬間に見た彼女の顔は、やっぱり笑顔だった。嬉しそうな、でも……悲しそうな笑顔。
『応援してるからね。桐子――』
草の音に混じって、そんな台詞が耳に届いた。
はじかれたように目を開くと、急に風の方も止んでしまった。目の前には、だだっ広い川原が悠然と広がっているだけだ。辺りをせわしなく見回してみるが、寒い冬に川原にたたずむような酔狂は、桐子だけだった。
彼女は……消えてしまった? 音も無く、急に。
いつも急にいなくなってしまうことはあったけれど、今回は違う。本当に今、桐子の目の前で、忽然と消えてしまったのだ。まるで空気に溶け込んでしまったかのように。
「……お姉…ちゃん」
川原の雑草は、まるで何事も無かったかのように、さやさやと鳴っていた。