(3)
「わぁ……雪だ」
その日の家庭教師を終えて二人が喫茶店を出てみると、空からひらりひらりと白い粉が舞い降りていた。人がごった返す商店街も、少しだけ落ち着いて見える。十二月中旬――今年の初雪ではないだろうか。
「雪だねぇ……」
そう言って桜は、嬉しそうに目を細める。その表情が妙に大人っぽくて、桐子は一瞬どきりとした。しかし、
「寒くなるかもしれないから、暖かくしなきゃだよ! 受験生は体が命!!」
すぐにそう言って笑った顔は、いつものあの、子供っぽい無邪気な笑顔だ。その笑顔を見て、桐子は安心したようにうん、と軽く頷き、
「明日、模試の結果、返ってくるんだぁ……」
白い雪を眺めながら、ポツリと漏らした。そう言ってから、遅れるように気持ちがしぼんでいくのがしっかりと感じられる。初雪で浮かれていた気持ちも、空のかなたへ飛んでいってしまった。この間の模試。思うように解けなかった模試。……第一志望を――
「大丈夫だって! いざという時には、この桜おねーさんがついてますって! 桐子ちゃんがピンチの時には、いつでもどこでも駆けつけるよ?」
桐子の不安そうな表情に気づいたのだろう、大げさにこちらを振り返ると、元気よく言った。そうして腰に手を当てて、うんっと気合を入れると、ちょっとくさかったかな? と照れ笑いする。そんな桜を、ううん。と首を横に振りながら、桐子は眩しそうに見つめた。
大人っぽく見える時もあれば、こんな風に子供っぽい素振りが妙に似合う。そのギャップがなんだか、桐子にはおかしかった。
「本当に、駆けつけてくれる?」
「もちろん」
「本当に?」
「本当にホント!」
気負うことなく自然に口から出される言葉は、本当にそうしてくれる。と桐子に感じさせる。なんでそこまで思えるのか、自分でも分からないのだが。彼女が言うと、本当にそうなりそうな気がした。
「桜ちゃんは……」
「うん?」
「桜ちゃんは、何でここまで親切にしてくれるの? 私が高校合格したって、桜ちゃんには何の得にもならないのに……」
最後の方は、半分独り言だった。
そう言った後、言った事を誤魔化すように上を向くと、空に向かってほぅっと息を吐く。吐き出された白い息は、舞い降りる雪に逆らうようにふわりと上空を昇って行くと、やがて消えた。
「似てるからよ」
「え?」
ふふっとおかしそうに笑うと、桜は桐子の方に向き直った。
優しい瞳が、少しだけ潤んだように見えて、桐子は一瞬ハッとした。どこかで見たことがある気がするのは、錯覚なのだろうか。
「妹にね。桐子ちゃんが、本当にそっくりなの」
「ふぅん……」
雪が舞い降りる空に視線を戻すと、ちょっとだけ拗ねた響きを含んで、桐子はそうつぶやいた。
一人っ子の桐子には、姉も妹もいなければ、兄や弟すらいない。だから純粋に、桜の妹をうらやましいと思った。きっと仲のよい姉妹なのだろう。こんなに優しいお姉さんなんだもの。私にも彼女のような姉がいたら……本当に、どれだけ幸せだろうか。
「ねぇ、さく――」
話しかけようとして、桐子は途中で言葉を失った。隣にいたはずの桜が、もうそこにはいなかったから。音もなく、急にどこかへ行ってしまった。
「あれぇ、もう帰っちゃったのかな……」
人通りの多い商店街だから、はぐれてしまったのかもしれない。それに、彼女が急にいなくなってしまうのは、実はしょっちゅうある事なのだ。
帰ったのだろうか、私に似ている妹の待つ家に……
「姉妹喧嘩は……するの?」
訊きそびれた質問が頭に浮かんで、桐子の胸は、少しだけチクリと痛んだ。