第12話「辞表、出しません」
四十五日目、辞表を書いた。
理由は単純だ。ダリオス侯爵家の件が解決した。特別問題処理係を作った目的は達成された。なら、私がここにいる理由もなくなった。
公爵家の財政は、まだ完全には戻っていない。でも少しずつ取引先が戻りつつある。あと数ヶ月すれば、働く必要もなくなるだろう。
(潮時、かもしれない)
便箋に丁寧に書いた。
「一ヶ月お世話になりました。おかげさまで多くを学びました。つきましては──」
「何を書いている」
アルヴィンだった。
いつの間にか後ろに立っていた。
「……辞表です」
「見せろ」
「まだ書きかけで」
「見せろ」
渡した。アルヴィンは一読して、便箋をそのまま二つに折った。
「……主任、それは」
「ない」
「でも仕事は終わりましたし、私がここにいる必要は」
「ある」
「何の必要があるのですか」
アルヴィンが私を見た。
「俺が必要だ」
静かな声だった。執務室に二人きりの、静かな朝だった。
「仕事が片付いても、問題は次から次へと来る。お前の判断力と処理速度は必要だ」
「それは建前ですか」
「……半分は」
「残り半分は」
アルヴィンが少し間を置いた。
「お前がいた方が、仕事が楽しい」
(仕事が楽しい)
「主任」
「何だ」
「それは、以前おっしゃっていた、練習の成果ですか」
アルヴィンが少し目を細めた。
「そうかもしれない」
「……正直に言えましたね」
「お前の前では、少し言いやすい」
私は便箋の残骸を見た。二つに折られた辞表。
「新しく書き直してもいいですか」
「内容による」
「辞めない、という内容です」
アルヴィンが小さく笑った。
「それでいい」
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クロードにも報告した。
「辞めないことにした」
「知ってた」
「なんで」
「辞表を書いてる顔、してなかったから」
(この人、本当によく見ている)
「クロード」
「何」
「前に言いかけたこと、まだ覚えてる?」
クロードが少し固まった。
「……覚えてる」
「今じゃなくていい。でも、いつか聞かせてほしい。ちゃんと、向き合って」
クロードは長い間黙っていた。
それから、静かに笑った。
「分かった。待っててくれるなら、いつでも言う」
「待ちます」
「……お前、変わったな」
「そう?」
「昔は、人を待てなかった」
「この世界が、教えてくれた気がします」
クロードが「そうか」と言った。
アルヴィンの「そうか」とは全然違う「そうか」だったけれど、どちらも好きだと思った。
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その夜、日記を開いた。
前作の最後と同じ場所から書き始めた。
『就職して四十五日が経った。仕事は大変だった。罠にもはまった。泣きそうにもなった。
でも、毎日が面白かった。
アルヴィン主任と、クロードと、リリアと。この世界の人たちと、ちゃんと生きている実感があった。
私はここにいる。アルディア・フォン・クレシェントとして、この場所で、これからも働く。
それが今の答えだ。
──なんて、思っていたのに。』
ペンが止まった。
また書いてしまった。
でも今度の「なんて、思っていたのに」は、予感ではなく、期待だった。
これからまた何かが起きるだろう。きっと面倒なことが。でも一人じゃない。
それだけで、充分だった。
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◇
──アルヴィン・エドワード・ヴァルディア第一王子の、秘密の手帳より。
『辞表を出されたら、困ると思った。出されなくて、よかった』
──クロード・バレンシアの日記より。
『待っていてくれると言った。ならば俺は、ちゃんと言葉にする』
──リリア・ベルの日記より。
『アルディア様、また何か大変なことに巻き込まれてた。でも楽しそうだった。いつか私も混ぜてほしい』
**完**
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*──第三章へつづく*
本作は『転生したら悪役令嬢でしたが、攻略手順をうろ覚えすぎました』の続編です。アルディアがなぜ転生者なのかは前作で描いていますので、よろしければあわせてお読みいただけると嬉しいです!




