第8話 下山(3)
アイリーンの再構築にかかった一分が経過しても、ノヴァの再構築は終わらなかった。
あの時、アイリーンは痛みで苦しんでいた。
今のノヴァも表情こそ穏やかだが、額に玉のような汗を浮かべている。
十分が経過してもまだ再構築を続けるノヴァに、ニアが尋ねる。
「どうしたの? まだ終わらないの?
問題が起こったの? 痛みが邪魔をしてる?」
ノヴァが淡々と答える。
『痛みなど大した問題ではない。
無理をして急いでも消耗が著しく増えるだけだ。
必要がなければ、俺もあんな無茶はしない』
リストリットが呆れて告げる。
「お前……嬢ちゃんが居たがる時間を一秒でも減らすために無茶をしたってのか?」
『アイリーンが痛みを感じる時間など、一秒でも短い方がいいに決まっている。
当たり前のことを聞くな』
一時間後、ノヴァの体の再構築が終わった。
つまり通常はこれだけの時間がかかる魔法を、アイリーンの時には一分で済ませたのだ。
リストリットはノヴァの過保護ぶりに、呆れて言葉もなく頭を掻いていた。
魔法を解除したノヴァは、ゆっくりと自分の手足を動かして動きを確認していた。
ニアがノヴァに尋ねる。
「どう? ノヴァくん。
ここまで辛そうだったけど、もうそんな感じはなくなったわね」
ノヴァが小さく息をつくと、アイリーンの隣に火を囲んで座り込んだ。
『もう痛みはないな。俺の魂は出力不足というわけではないようだ。
だがアイリーンはまだ油断がならん』
アイリーンが小首を傾げてノヴァに尋ねる。
『どういうこと? 私の魂は出力が足りないの?』
ノヴァが頷いて答える。
『補佐魔法で補助していても、負担があるだろう?
定期的に体の再構築をした方がいい。
できれば週に一度、最悪でも二週間以内に再構築を行う必要がある。
それを過ぎると意識を失い、魂が体から離れてしまいかねん』
体から魂が離れる――アイリーンが二度目の死を迎えるということだ。
リストリットは頭を悩ませた。
アイリーンがこのまま救いを得られず死ぬなど、許すわけにはいかない。
「となると、竜峰山から最寄りの町を経由して王都までがだいたい二週間だ。
往路で馬に無茶をさせたから、帰路も同じことをすると馬が潰れかねない。
無理ない速度で進まねばならんが、期限ギリギリの賭けだな』
ノヴァがアイリーンを見つめながら答える。
『途中で調整か、町に立ち寄れればいいが、お前の言種では町はないのだろう?
ならば王都に戻る途中の木陰でアイリーンを再構築すればいいだけだ。
問題は魔力装填薬だけだな。
途中で補給できることを祈ろう』
アイリーンが眉をひそめてノヴァに尋ねる。
『その私の再構成って、今度は全裸にならなくてもいいんでしょうね?』
『いや? 失敗は許されない。
異常を一つでも見落とさないよう、もちろん全裸になってもらう』
『いやよ?! 木陰で全裸だなんて!』
ノヴァが小さく息をついた。
『お前は自分の命と羞恥心、どちらを選ぶんだ?
俺はお前を失いたくはない――だがそれは、最悪のケースだ。
二週間以内に王都に辿り着ければ、野外で再構成はせずに済む』
アイリーンは何も言い返せず、真っ赤になって黙り込んでいた。
ノヴァの言葉――『お前を失いたくない』はストレートな愛の言葉。
中々に情熱的な告白だ。
ニアがぽつりと呟く。
「初々しいわね」
そしてニアの白い目がリストリットに向けられた。
その視線の意味も、リストリットは分かっていた。
自分も『あれほどはっきりと想いを言葉にできていれば』と、己の不甲斐なさを痛感していた。
だが表面上は気付かない振りをして、携行食の干し肉を焙ってはかじりつく。
ニアがため息をついて、自分の携行食を口にしだした。
「アイリーンちゃんが少しだけ羨ましいわ」
リストリットはとぼけて告げる。
「何か言ったか?」
「――なんでもないわよ!」
その夜は不寝番も要らないとリストリットは判断し、四人はそのまま眠りに落ちていった。
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翌日もリストリットはアイリーンを背に担ぎ、前を進んでいた。
その後ろを少し離れて、ニアとノヴァが歩いていく。
ニアの瞳には、楽しそうに会話するリストリットのアイリーンの笑顔が映っていた。
――やっぱり潮時なのかしら。
リストリットと出会ってからの十年間が頭をよぎる。
今まで何度そう思ったのかわからない。
だがその問いを心に浮かべるたびに、心がそれを拒絶していた。
ノヴァが静かな声でニアに告げる。
『ニア、お前たちの関係はもう清算すべきだろう。
意地を張らずに想いをお前から伝えるか、あの男を見限るか――選ぶ時だ』
ニアは伏し目がちに答える。
「……分かっては居るのよ。私ももう二十五歳、若くはないわ。
でも、あの人からの言葉が欲しいの。
それが言えない人だってことも、分かっているの。
それでも、諦められないのよ」
ノヴァが大きくため息をついた。
『お前たちには恩義がある。これでもお前たちを思っての言葉だ。
お前の刻限は目前、迷って居られる猶予はない。
男はリストリットだけではあるまい?
あの男は魅力的な男だろうが、今ならまだ他に選択肢がある』
ニアの目に涙が浮かぶ。
「……全部、全部わかっているの。
だからそれ以上は、今は許して頂戴」
『結果を出してこそ人は前へ進める。
成就するにせよ破綻するにせよ、一歩踏み出して結果を出すべきだ。
お前はただ、自分から動いて今の関係が壊れるのを恐れているだけだ。
身分の差など、お前たちの間では問題にならん。
逃げる口実を探しているだけだと、自覚するべきだろう』
ニアは言葉を返せず、すすり泣くだけだった。
――全部、全部分かってること。それでも、あの人からの最後の言葉が欲しい。
ノヴァがため息をついて告げる。
『重症だな。まぁいい。
そうやって無為の生を送り、後悔のまま死んでいくのまた人間だろう。
神である俺は、そんなお前たちを見守ってやる』
ノヴァの視界にリストリットたちが映る。
リストリットとアイリーンは、変わらず時折和やかな会話をしながら歩いていた。
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夜になり、アイリーンはニアと枕を並べていた。
アイリーンが『今夜はニアと眠りたい』と告げたのだ。
焚火を挟んで男子と女子が分かれ、リストリットたちが眠りにつく。
ニアがリストリットの寝顔を視界に収めた後、アイリーンに尋ねる。
「急にどうしたの? 一緒に眠りたいだなんて」
「昼間はずっとリストリットさんと話をしていて、ニアさんと話せなかったでしょう?
だからちょっとお話をしてみたかったの』
その可愛らしい言葉に、ニアの頬が緩む。
「あら、嬉しいわね。でも私と話したいことって何かしら?」
アイリーンが小声で告げる。
『リストリットさんのことを、心から想ってるのでしょう?
なのにどこか二人に距離があるのが不思議だったの。
二人は恋人同士なんでしょ?
リストリットさんもニアさんのことをとても大切にしているのが伝わってくるわ』
ニアはわずかに驚いた後、自嘲の笑みを浮かべながらアイリーンに耳打ちをする。
「恋人か、そうね。『どうしてそうじゃないんだろう』って、今も思ってる。
肌を重ねた十年前から、ずっとね。
私たちはそういう関係よ」
アイリーンが目を見張って驚き、ニアの耳元に小さく囁き返す。
『それって、“肌を重ねてさえ、想いを告げてもらえなかった”ってこと? ありえないわ。
それでどうして今の態度を取り合ってるのかも、子供の私には理解できない』
――本当に、なぜかしらね。
ニアは寂しさのこもった笑みを浮かべながらアイリーンに耳打ちをした。
アイリーンもまた、憤りながらニアの耳元に囁き返す。
密かな二人だけの女子会がその夜、遅くまで続けられた。




