第37話 邪教の神(2)
テスティアが周囲を見回し、鋭く声を上げる。
『ノヴァ様、周囲からこの建物に人間が集まってきています』
ノヴァが振り向き、後方のリストリットに鋭く告げる。
『――リストリット! 兵を建物の外に展開しろ!
おそらくまだ人間だが、油断はするな!』
リストリットが頷き、ニアと共に部隊を率いて廃教会を守るように布陣した。
テスティアが言う通り、貧民街の住民が虚ろな目をしながら集まってきている。
廃教会を取り囲むように、徐々に包囲の輪を狭めてきていた。
リストリットが声を張り上げる。
「異教徒だ! 可能な限り捕縛しろ!
抵抗が激しければ切り捨てて構わん!」
自ら長剣を振り上げ、手近な民衆から気絶させていく。
ニアも相手を無力化する魔法を駆使し、そのサポートに徹した。
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ノヴァはテスティアと共に、赤い魔法陣を睨み付けていた。
だがまだ古き神は姿を現さない。
ノヴァが冷笑を浮かべて告げる。
『どうあっても姿を見せないか――では、無理やり引きずり出してやるとしよう』
ノヴァが魔法術式を展開し、地の魔法陣を次々と書き換えていく。
次第に辺りには濃厚な魔力が漂い始めた。
アイリーンはその様子を眺めながら告げる。
『召喚の魔法陣を利用して、相手に苦しみを送りつけているのかしら。
世界の狭間に隠れている神の周囲をゆがめていく術式ね。
我慢していれば世界の歪みごとねじ切られる。
これなら隠れていることができずに、こちらに出てくるしかなくなるわ』
アイリーンの父親の魔導知識を使っているとはいえ、ノヴァが書き換えている術式の大部分が神の知識の応用だ。
先史文明の魔導士が即座に解読できる水準ではない。
ノヴァは魔法陣を凝視しながら、感心してアイリーンに告げる。
『ほぅ、さすがは“稀代の天才魔導士”。よく解読できたな』
『私はむしろ、お父様の魔導知識でこんなことができる方が不思議よ?』
ノヴァが口の端を持ちあげて答える。
『神の記憶の断片を利用した、ちょっとした応用だ。
奴の魔導知識でも、複雑に組み合わせれば、ある程度のことはできる』
いよいよ人間には息をするのも苦しくなるほど、濃密で高圧な魔力が空気に満ちていった。
――そしてついに、魔法陣の中央から『何か』が姿を現した。
それは形容しがたい、黒い異形の存在。
見ている者に生理的嫌悪感を覚えさせる存在だった。
ノヴァは目の前の存在を分析魔法術式で解析していく。
『ふむ、これは面白い。
なるほど、封印結界の綻びに“力だけ”を送り込んで抜けたか。
人格は宿していないようだ。人格が抜け出せるほどの綻びではないらしい』
アイリーンがノヴァに尋ねる。
『それはどういう意味? 本体ではないということ?』
『有体に言えばそうだ。神の権能を分離させ送り込んでいる。
指定された命令を実行するだけの“機構”だな。
――命令は“俺を滅ぼすこと”か。
それで“俺と同じ存在”ともいえる新しき神々が狙われたのか?』
冷静に古き神を解析しているノヴァに、異形の存在から魔力の嵐が叩きつけられた。
だがそれは全てテスティアが防ぎ切り、ノヴァとアイリーンにはそよ風一つ届かない。
ノヴァが満足して不敵な笑みでテスティアに告げる。
『さすが“我が鎧”だ』
『その為の我が存在です』
『しかし、こいつをどうしてくれようか。
アイリーンの父親の魔導知識で解体できる相手ではなさそうだ。
享楽の神とは、相性が良くも悪くもない。
こうなると純粋な力比べとなるな』
『私も守りの力に特化しています。
これだけの神を滅ぼしきる力はありません』
ノヴァが対処法を考えている間にも、異形の存在からは攻撃が続いている。
その全てははテスティアが防ぎ切ってみせていた。
相手の攻撃は通用させないが、こちらも打つ手がない――膠着状態だ。
ノヴァが小さく息をついた。
『……埒が明かんな』
ノヴァが呆れていると、隠し部屋にリストリットとニアが戻って声をあげる。
「外の異教徒は全て捕縛――こいつが兄上の仇か!」
魔法陣中央に居る異形の存在を見た瞬間、激高したリストリットが止める間もなく駆け出した。
長剣を振りかぶり切りかかったリストリットを、異形の存在が巻き起こす魔力の暴風が吹き飛ばす。
リストリットは教会の壁に叩きつけられ、床に頽れた。
ニアが慌てて駆け寄り声を上げる。
「殿下!」
すぐにリストリットが立ち上がり、ニアに答える。
「――問題ない! だが、俺が手を出せる相手じゃなさそうだな」
そのまま悔しそうに唇を血が出るほど噛み締めていた。
ノヴァがリストリットの無事を確認し、改めて異形の存在を睨み付ける。
『やはり、一筋縄ではいかぬか。
――ならば、俺が中から奴の核を破壊しよう』
ノヴァの言葉に、テスティアが弾ける様に反応した。
『ノヴァ様、危険すぎます! そのようなことならば私が――』
『お前の権能では無理だ。それは自分が一番理解しているだろう?
逆に吸収されるのが落ちだろうよ』
『その危険は今のノヴァ様も変わらないではありませんか!』
ノヴァが不敵な笑みで答える。
『なに、古き神を相手にした経験など、俺にしかあるまい。
あのような人格すら持たぬ力の塊ごとき、俺が何とかしてやる。
だがウェルトの魂を捕縛している魔法術式を維持する余力はない。
テスティア、お前が引きつげ』
リストリットが眉をひそめてノヴァに尋ねる。
「なぁノヴァ、なぜ兄上の魂を未だに捕縛しているんだ?」
ノヴァが獰猛な笑みを浮かべて答える。
『これから滅する相手にお前の兄の魂を渡すなど、業腹というものだ。違うか?
あれを滅すれば、少なくともお前の兄の魂は、取り込まれることなく消滅することができる』
「お前、たったそれだけの為に、そんな消耗の大きい術式を維持してくれてたのか?
そんな余裕、お前にはないだろうに……」
再び魔力充填薬を飲み干したノヴァを、リストリットは茫然と見つめていた。
アイリーンが柔らかい笑顔で、戸惑うリストリットに告げる。
『ノヴァは優しいもの。お兄さんの魂を救えなかったことに、腹を立てるのよ。
この上、ただの力として“あんなもの”に取り込まれるなんて、魂が迎える最後として許せないのよ』
テスティアが落ち着いた声で告げる。
『……御心、承知いたしました。捕縛術式の主導権を引き受けます』
ノヴァの手元にあった光の玉が、テスティアの手元に移動した。
ノヴァが満足そうに微笑んだ。
『それでよい。お前はアイリーンを守っていろ』
そう言い残し、ノヴァは異形の存在に向けて駆け出した。
テスティアは命じられた通り、アイリーンの傍に付いていた。
だがその位置から可能な限り、ノヴァに向けられる魔力荒らしを防ぎ続けている。
異形の存在に近づくにつれ、ノヴァは魔力荒らしに身を晒し始めた。
テスティアでもアイリーンの傍からでは、もう守り切れないのだ。
ノヴァは防御魔法結界を多重並列展開しつつ、少しずつ距離を詰めていく。
だが異形の存在まであと数歩という所で、ノヴァの足が止まった。
――やはり、アイリーンの父親の魔導知識だけでは中に入り切れぬか。
魔力荒らしに耐えきれず、防御魔法結界に綻びが生じ始める。
このまま足を止めていれば、間もなくノヴァも魔力荒らしに吹き飛ばされるだろう。
――突如として、異形の存在がの向かって津波のように体を変化させ襲い掛かった。
『ノヴァ! 逃げて!』
アイリーンが悲痛な声を響かせていた。




