第35話 黒い影
魔導学園の校舎から外に出たアイリーンがノヴァに告げる。
『どうやって離宮まで帰ろうかしら』
ノヴァが苦笑しながら答える。
『帰りの馬車は夕方までやってこないぞ。
転移魔法で帰るか?』
『んー、せっかくだから二人で街を散策しながら帰らない?
まだ王都はで歩いたことがなかったし!』
ノヴァがニヤリと笑みを作って答える。
『物好きだな。お前が望むならばその通りにしよう』
二人は正門を抜け、大通りを王宮に向けて歩いていく。
商業地区にある商店街を歩きながら、店先に並んだ商品を眺める。
『現代のお店も、案外悪くないわね。
いつの時代も変わらない物はあるってことかしら』
『日用品に大きな違いなどないだろうしな。
そこは時代など関係あるまい』
他愛ない話を交えながら、二人は町並みを眺めて歩いていた。
しかし二人は街中で奇異の視線に晒されていた。
午前の早い時間に、平民らしからぬ服を着た子供が町を歩いている。
王都の大人たちは、物珍しそうにノヴァとアイリーンに視線を送っている。
アイリーンがため息をついて告げる。
『なんだか目立ってしまっているわね』
ノヴァも周囲に視線を走らせて答える。
『そうだな。認識阻害魔法で視線を逸らすか』
ノヴァが魔法術式を調整して周囲の視線を和らげた。
二人が歩いていることは認識させつつ、気にならないようにする――そのはずだった。
だが二人を注視する視線がまだ残っている。
ノヴァが肩眉を上げ、視線の気配を探り始めた。
認識阻害魔法を突破し、未だにノヴァとアイリーンを観察する視線。
今はまだ敵意を感じない。だが気配が人のそれではない。
――少し騒ぎになるが、仕方あるまい。
『アイリーン、俺の傍から離れるなよ?』
『なぁに? 何をするの?』
そのままノヴァは転移魔法術式を展開し、アイリーンと共に視線の主の背後に転移した。
そこに居たのは黒い長衣を着込み、頭巾を目深に被った大人――それ以上は分からない。
ノヴァが冷淡に告げる。
「あなた、人間ではありませんね? 何者ですか」
その人物はしばらく狼狽え、慌ててその場から去ろうと駆け出した。
だがその足を、アイリーンが素早く展開した捕縛魔法術式で絡め取られる。
「誰だかわからないけど、逃がさないわよ!」
だが黒衣の男は魔力の蔓を易々と引き千切った。
アイリーンが驚いて声を上げる。
「嘘?! 人間がこの術式を力技で破るなんて、できるわけがないわ!」
「人間じゃありませんからね」
ノヴァがアイリーンに答えながら火炎魔法術式を並列多重展開していく。
一瞬で黒衣の男を百を超える魔法術式が取り囲み、次の瞬間に炎が爆ぜた。
石畳を溶かすほどの高熱が黒衣の男を襲っていく。
魔法行使を終え、術式を解除したノヴァが倒れ込んでいる黒衣の男に近づいていく。
男の足元は、石畳がガラスのように溶けている。
だというのに、黒い長衣が燃えている様子もない。
――咄嗟に魔力で防御幕を作ったか。
だが高火力を防ぎきるのに魔力を使い果たし、急性の魔力欠乏症で意識を失ったようだ。
男のフードをはぎ取ると、そこには気絶したウェルト第一王子の顔があった。
ノヴァが驚き、しばらく言葉を失う。
『……どういうことだ、これは』
『私にわかるわけがないわ。
この人、リストリットさんのお兄さん、だったわよね?』
ノヴァが頷いて答える。
『ともかく捕縛して、リストリットの元へ連れ帰ろう』
ノヴァは魂すら縛り付ける強力な捕縛魔法術式を展開し、ウェルトの全身を縛り上げた。
そのままアイリーンを含め、三人を転移魔法で第二離宮の執務室に転移させた。
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リストリットは、突然目の前に現れたノヴァたちに驚いていた。
学校に行っているはずノヴァとアイリーン。
そして倒れ込んでいるのは、第一離宮に居るはずの兄、ウェルトだ。
――何が起こった?!
混乱するリストリットに代わり、ニアがノヴァに尋ねる。
「ノヴァくん、なぜウェルト殿下とここに?
それにその魔法術式、見たことも無い強力な捕縛魔法ね。
なぜ、ウェルト殿下を捕縛する必要があるの?」
ノヴァが淡々と答える。
「詳細は後にしますが、町を歩いていたら監視する視線を感じました。
視線の主を捕らえてみたら、それがウェルトだった。
彼は既に人間ではなくなっています。
人間を捕縛する程度の魔法術式では通用しません。
なので、神すら動きを止める魔法術式で捕縛しています」
ニアが苦笑しながら答える。
「なるほど……全く意味が分からないわ」
ノヴァも苦笑しながら答える。
「僕やアイリーンですら混乱しているんです。
貴女たちが理解できなくても、仕方ありません」
ニアが微笑んで答える。
「それを聞いて安心したわ――誰か! 急いで第一離宮に居るウェルト殿下を確認して!」
ニアが近くに控えて居る兵士たちに告げると、兵士が頷いて駆け出していった。
兵士が戻って報告を上げる。
「ウェルト殿下の姿が見当たりません!」
ニアが頷いて周囲に告げる。
「わかりました。では人払いを」
兵士や侍女たちが次々と部屋から出ていき、執務室のドアが閉められた。
リストリットは未だに放心していた。
――兄上が、なぜ?
ノヴァの叱咤するような声が部屋に響く。
『リストリット! いつまでそうしてるつもりだ!
これがウェルトであるか、お前が確認しろ!』
リストリットがのろのろとウェルトに近づき、その顔を間近で凝視する。
幼い頃から敬愛してきた実兄――見間違えるはずもなかった。
「……兄上だ。間違いない」
ノヴァが鋭い眼差しでウェルトを睨み付けながら告げる。
『だが俺にはこいつの心を読むことができん。
ならば人間ではあるまい――テスティアはどこだ!』
『ここに控えております』
いつの間にか、部屋の隅にテスティアの姿があった。
ノヴァの口角が上がる。
『早いな』
『ノヴァ様が私を求め、名を口にしたならば直ちにに馳せ参じるまで』
ニアが唖然として呟く。
「それってつまり、今ノヴァくんが名前を呼んだ瞬間にここに来たってこと?」
『ええ、その通りです』
「この前は私が呼びに行くまで、滞在先で待っていたじゃない!」
『あの時はノヴァ様が私を直ちにお求めではありませんでしたので、控えました』
ニアが肩をすくめ、首を横に振っていた。
ノヴァがテスティアに尋ねる。
『テスティアよ、ウェルトが何者になったのか、心当たりはあるか』
テスティアの視線がウェルトに注がれる。
『……デルグ・エスト教徒の中には、このように魂を変質させた人間が生まれるようです。
何度か根城を潰す時に、このような人間を見かけました。
変質した人間は、人間を超えた力を持ちます。それ以上は私にもわかりません』
リストリットがテスティアに尋ねる。
「……元に戻す方法は、あるのか」
それは必死に縋る、のどから絞り出す声だった。
テスティアは冷淡に答える。
『私は異教徒の抹殺しか経験していません。
なのでこれから解析しますが、おそらく無理だと予想します』
そう言いながら、テスティアが魔法術式を展開しウェルトに施していく。
その魔法が映し出す情報を、横から眺めていたノヴァが告げる。
『テスティアの予想通り、これでは人間に戻すことはできまい。
この魂は冥界に行くことすらできぬ存在となった。
魂が半端に高位の存在になっているな。何者かに無理やり押し上げられたか。
死ねば人格は消失し、今のウェルトが持つ力は全て、変質させた存在の元へ向かう。
そして魂ごと取り込まれるだろう――まるで神だな』
リストリットには、その言葉が示す意味を理解することができなかった。
ただ茫然とウェルトの顔を見つめ続けていた。




