第20話 賓客の噂
ジャクリーヌが去り、二人きりになった部屋でアイリーンが呟く。
『本当に優秀な教師だったわ。最初から最後まで態度が変わらなかったもの。とてもいい人ね』
『リストリットが手配した教師だ。それなりの人材を選んだのだろう』
ジャクリーヌと入れ替わるようにニアが姿を現す。
人払いがされた部屋で、ニアがノヴァたちの前に腰を下ろす。
「もう授業が終わったそうね。ジャクリーヌさんも驚いてたわよ?」
ノヴァとアイリーンが顔を見合わせる。
『ジャクリーヌさんの授業の成果、ニアさんにも見てもらいましょうか』
『そうだな。ではここからは、なるだけウェルバット語で会話をしよう』
アイリーンがニアに向き直って告げる。
「ジャクリーヌさんはとても優秀な教師だったわ。
それより、魔力装填薬の改善を早く何とかしないと。
そろそろ私たちの体にも悪影響が出る頃よ?」
ノヴァがアイリーン答える。
「それなら、これから僕らが口にする前に成分を調整してから口にすれば、問題は軽減できるでしょう。
ですがそんな手間をかけなくても良いように、改善を急ぎたいですね」
ニアが寒気を感じたかのように身を震わせた。
「……ねぇノヴァくん、なんなの? その言葉遣い」
「ジャクリーヌが教えた通りの言葉遣いですが、何か問題が?」
「問題と言うか……普段のノヴァくんの言葉遣いにはならないの?」
ノヴァがフッと笑みをこぼして答える。
「突然言葉遣いを変えたら怪しまれますよ。
それにジャクリーヌの責任問題となりかねません。
このまま生活するしかありませんね」
「ノヴァくんはそれで不満はないのかしら」
「不満? 特に感じてませんよ。問題ありません。
それより、どうやって毎日の魔力装填薬を調達してるんですか? 怪しまれません?」
ニアが小さく息をついて答える。
「今はまだ、私が実験に使う名目で離宮の在庫を持ち出してるわ。
でもそろそろ怪しまれる頃ね。
殿下の冒険者としての予算から、密かに調達することになるかもしれないわ」
ノヴァがニアに尋ねる。
「リストリットは顔を見せませんね。
今は何をしてるんですか?」
ニアが寂し気な笑みで答える。
「政務漬けの毎日よ。貴方たちの世話は、私が見ることになってるの。
何かあれば、殿下の指示を仰ぐことにもなってるわ。
だから心配しないで」
アイリーンが思案しながら告げる。
「ねぇニアさん。私たちはウェルバット語を覚えたわ。
魔法なしでも本を読むことができるくらいにね。
それなら、私たちが新しい薬を開発してもいいんじゃないかしら」
ニアが眉をひそめて答える。
「言語を知らなかった孤児が、新薬を開発するの? かなり怪しまれるわよ?」
「私たちが怪しまれる程度なら問題ないわ。
たまたま才能があったことにでもすればいいじゃない。
それに魔導に携わる者として、あんな粗悪な品が市場に流通してるのを放置できないわ」
ニアが呆気に取られながら答える。
「……もうそんな言葉まで覚えてるのね。
うーん、殿下に相談してみるわね?」
ニアがソファから立ち上がり、部屋を出ていった。
入れ替わりに監視役の世話係が部屋に入ってきて、ノヴァたちを静かに見張っていた。
アイリーンがノヴァに視線を送る――ノヴァが頷いた。
ここからは先史文明言語で話そう、という合図だ。
『ねぇノヴァ、貴方はどう思うの?』
『俺は構わんと思うが、リストリットが渋るのではないか?
それに、新薬を作る魔導工房を用意する必要がある』
『それならニアさんの魔導工房を借りられないかしら。
魔導士なのだし、自分の魔導工房くらいは持ってるはずよ?
今までの魔力装填薬の名目だった実験も、“新薬開発の為”と言えば怪しまれなくなる。
ニアさんの実験を私たちが見学して、一緒に開発したことにしたらどうかしら』
ノヴァが顎に手を置いて考えていた。
『……ニアに相談してみるとしよう』
しばらくして、リストリットがニアを伴い姿を現した。
すぐに人払いがされ、困り顔のリストリットがノヴァたちの向かいに腰を下ろす。
「お前ら、魔力回復薬の問題はわかるが、さすがにお前らが新薬を作るのは無理があるぞ」
アイリーンが微笑んで答える。
『それについては、いつも傍にニアさんが居てくれるじゃない?
ニアさんの魔導工房を見学していて、私たちが助言したことにでもすればいいんじゃないかって思って。
ニアさんが一人で開発したことにしてもいいわ。
とにかく早急に魔力回復薬をなんとかしたいの』
リストリットが頭を掻きながらニアに尋ねる。
「んー、ニアはどう思うんだ?」
「私一人で新薬を開発したことにするのは、やはり無理があります。
私は魔導薬学にそれほど造形があるわけではありませんし。
それに、他人の手柄を横取りする真似もしたくありません。
どちらにしても怪しまれるなら、ノヴァくんとアイリーンちゃんが開発したことにして頂けると、私も助かります」
リストリットが小さく息をついた。
「そうか……『お前が手ほどきをして、ノヴァたちが独自の視点から新しい薬を開発した』ぐらいが落としどころかもしれないな。
よしっ! それでいこう!」
ノヴァがニヤリと微笑みながらリストリットに尋ねる。
『それはそうと、リストリットよ。
お前とニアは、いつ正式に婚姻を結ぶのだ?
急いだ方がいいと分かっているのだろう?』
リストリットが視線を外しながら答える。
「あー、準備は進めている。それは安心してくれ。
だがすぐに『はい、今日から夫婦です』とはいかないんだ。
仮にも王子だからな。陛下の承認ももらわないとならん。
陛下が戻り次第報告をして、その後になる。
陛下もそろそろミドロアル王国から戻られるころだ。
陛下が前から賓客も呼んでいるらしいから、どんなに遅くても再来週には戻られる」
アイリーンが小首を傾げて尋ねる。
『あら、賓客ってどなたか偉い方が来るの?
それで王都の検問が始まっていたのね』
リストリットが頷いて答える。
「ああ、アルトゲイル皇国の女皇を呼んでいる。
テスティア女皇がこの国を訪問することになってるんだ。
『この国の技術水準を確かめたい』と言ってな」
アイリーンが眉をひそめて尋ねる。
『なぜ、技術水準を確かめたいのかしら?』
リストリットが肩をすくめて答える。
「さぁな。テスティア女皇は、定期的にそういう名目で各国を訪問するんだ。
あの国はエウセリア中央審査会を牛耳る国だ。そのせいじゃないか?」
ノヴァが眉間に皺を寄せて尋ねる。
『なんだ? その“中央審査会”というのは』
「この大陸の大国で構成される、技術審査機構だよ。
大きな戦争につながりかねない、危険な技術の流通を防止するのが目的らしい。
新しい技術を開発すると、そこに届けて承認をもらわんと市場に出せないんだ。
各国に支部があって、新薬も同じように審査を受ける必要がある」
ノヴァが不機嫌そうに答える。
『なぜそう思うかはわからんが、不愉快だな。
それでは技術が進歩するのを阻害するようではないか』
アイリーンが頷いて告げる。
『躍進的な技術というのは、悪用すれば簡単に危険なものになるわ。
それを全て抑制していたら、当然文明の発達に影響が出る。
現在の技術水準が低いのは、その影響なのかもしれないわね』
リストリットがため息交じりで答える。
「そうかもな。だが、エウセリア国際法で決まっていることだ。簡単には変えられん。
まぁ、今はともかく新薬を作るのが先だ。
――ニア、後は任せる。早々に完成するよう手伝ってやってくれ」




