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大神様の正体は③

 見慣れた姿に戻った九朗だ。縁台に座った私達は目線もそれほど変わらず、ちらりと横を伺えば見上げずとも九朗の横顔がある。私は幾分ほっとしながら膝から顔を離した。


「力を使ってしまうと、体が縮むの?」

「平たく言えばそんな感じかな。昔は変化も自在だったんだけど、今は本性を現すのも一苦労」

「……どうして?」

「言ったろ? 世が変わって帝都の民からの信仰が薄れて衰えたって。古い時代の頃はさ、物の怪による怪異をみんなが畏れて心から守り神の存在を信じて祈る人間が多かったんだ。その信仰心と月の力で俺たちみたいな守り神が生まれた。けど今はもうそんな時代じゃなくなってさ。帝が定期的に執り行う祈りの儀式くらいで、帝都の人間は守り神の伝承自体忘れてるやつも多い」

「うん……私も、お母様に聞いたことはあった気がするくらいだし……」


 だろ、と九朗は寂しそうに笑った。


「帝都の守りを固める神々の中には、もうすっかり存在を忘れられてしまって消えちゃったのもいる。俺はまだ北の要だったから帝の祈りもあって生きながらえてるけど、それでも本性のままでずっと過ごせるほどの力はない」

「本性……?」

「でかくて黒い獣の姿さ。でも今はくろすけの姿が精いっぱい。お嬢さんの祈りと捧げてくれた供物があっても、月が弱い夜はあのでかい姿を維持することは難しい。温存した力で変化できても、闘いで消耗すればもうあの姿ではいられないんだ。今だってほら」


 そう言うと、九朗は私に手のひらを差し出した。ほらほらと指されるまま手のひらを見れば、しゅわしゅわという小さな音を立てながらうっすらと黒い煙のようなものが放出されている。

 煙は宙に浮かび上がると夜の空気に溶けていくが、それに合わせて九朗の手指が少しずつ小さくなっていっているようにも見えた。


「これ……」

「そ。力を押さえておくことができなくて漏れてるの。だからこの姿を保てるのももう少しだけ。……と、まあこんな感じで、帝都の守り神と言ってもその力は月やら祈りの力やらの影響があるんで不安定なわけですよ」


 今日は確かに月がない夜だった。それなのに九朗は大きな姿に変化して力を使ったということは、相当に消耗しているのだろう。心なしか九朗の声の間に細く息が漏れ始めていることは、きっと気のせいではない。

 でさ、と九朗は続けた。こちらに向けた顔は灯りがない夜のせいだけではなく白く見える。


「俺はこんな不安定なままじゃなく力を取り戻したい。帝都を守るという存在意義のためにも、お嬢さん、あんたを守るためにも。そのためには頼む。俺の妻になってくれ」

「それ、本気で言っているの? 私を? ただの人間の私が神様の妻って」

「本気に決まってる。俺はずっとあんたを見てたんだ」


 九朗は返事を躊躇う私の手を握った。その手の冷たさに、私の肩が震える。

 なんと生命力が感じられない手だろうかと、恐ろしく思ってしまったのだ。

 今までだって九朗の手に触れたことがなかったわけではない。夜な夜な剣術の稽古をしていたのだから、指先どころか肩をぶつけ合うことだってあった。でもその時はこれほど九朗の体温が冷たく感じられることはなかったはずだ。

 九朗の唇からは小さいが荒い息が漏れている。隠そうとしているけれど、相当に体がきついのだろう。この見慣れた九朗の姿を維持しているのもひょっとしたらつらいのかもしれない。

 小さい犬の姿になれば少しは楽になるだろうに、私が混乱していることを気遣ってきちんと説明をしようとしてくれているのか。

 そう思うとぎゅっと私の胸が痛くなる。守ってやるつもりで助けられ、そして気遣われている。情けないのに、何故かほんのりと嬉しい気持ちが湧いてくるのが止められなく、それが無性に恥ずかしい。

 妻にという言葉のせいか、途端に目の前のかつての使用人が全く知らない異性に見えてくるというのも不思議だった。

 握られたままの手を放そうとすると、九朗は指先に力を込めた。


「頼むよ、お嬢さん。妻になってくれって言ってもそんな大層なことは求めていない。何もしなくていいし、剣術の稽古を続けてくれていて構わない。何かあったら、物の怪からだって花月院や安間菱の連中からだって俺が絶対守るから。お嬢さんはずっとここにいてくれるだけでいいんだ。」


 必死な表情で言い募る九朗の最後の一言が、突然の求婚に浮ついていた私の耳にひっかかかる。頭から冷や水をかけられたように、すっと気持ちが冷えていくのが分かった。

 ずっとここにいてくれるだけでいい、と。

 それはつまり、私にこの黒真上とかいう大神の屋敷にずっと囚われていろということだろうか。

 私の脳裏に花月院での暮らしが蘇った。何不自由なく暮らしていたのは幼い頃のほんの一時だ。母が亡くなり後妻と光希がやってきたこと、父と後妻に離れへ閉じ込められたこと、話す相手もほとんどなくただひたすらに時が流れるのを待つしかなかった日々のこと。それらの思い出が頭の中にあふれては消えていく。

 ずっとここに居ろというのは、また私に無為に時を過ごせということなのだろうか。

 どんな気持ちで私があの離れにいたか、知らないわけではないだろうに。

 私は唇を嚙み締めた。初めて異性に求婚をされた気恥ずかしさは消えて、むなしい気持ちが肩にのしかかってくるようだ。


「……少し、考えさせて……」


 喉の奥から絞り出すように声を出すと、九朗はそう答えるのを分かっていたかのように手の力を緩めた。そして分かったと言うと、片手で自分の襟足の髪を引っこ抜きそれを庭に放り投げる。

 それが地面に付いたかどうかは灯りもないため分からない。けれど、九朗は庭に向かって手をかざした。


「とりあえず、返事は急ぎません。この姿でいられるうちに……と。出ておいで」


 はあい、と幼い舌足らずな声がした。すると次の瞬間、庭に小さな影が二つ現れた。

 ぱたぱたと軽やかな足音がしたかと思うと、その影が縁台の近くまで寄ってくる。いくら月のない夜とはいってもわずかな星明りはある。かすかな光を頼りに見れば、その影は大きな九朗と同じような獣の耳を生やした童のようだ。

 おかっぱ頭に黒目がちな大きな目。つんと上向いた鼻は小さいが、口が随分と横に大きい。二人とも暗い色味の水干を纏い、丈の短い袴をはいている。


「な……!」


 また物の怪かと身構えると、九朗はくすくす笑って私の肩を叩いた。


「今度こそ正真正銘、俺の眷属」

「け、眷属? え?」

「朧と十六夜。二人とも、朔乃お嬢さんにご挨拶を」


 九朗が言うと、二人の童は揃って頭を下げた。


「朧と申します」

「十六夜です。初めまして、お嫁様」


 鈴の鳴るような高い、澄んだ声だった。挨拶をした二人は顔を見合わせてくすくす笑いながら私の手を取った。


「え? お、朧と、十六夜? ね、ねえ九朗、この子たち……」

「ごめん、今日はもう俺限界。今日はさすがにもう襲撃はないと思うし、あとはこいつらがお嬢さんのお世話をするから。二人とも、お嬢さんのこと頼んだぞ。お嬢さん、おやすみなさい」


 そう言うと九朗は肩を丸めて膝を抱えた。全身からしゅわしゅわと黒い煙が立ち上り、あっと言う間に九朗の姿が包み込まれてしまう。全身が煙で覆われた次の瞬間、九朗の姿は忽然と消えた。縁台に残ったのは、小さな黒い犬の体だ。


「ねえ、九朗! ちょっと!」

「お嫁様、お嫁様。旦那様はもうお休みです。お休みさせてあげてくださいませ」

「旦那様、旦那様。今宵はとてもお疲れのご様子。お嫁様、あとはお任せ下さいませ」

「お任せくださいませ」


 二人の童に言われて見れば、力を使い果たした様子でくろすけはすうすうと寝息を立てている。よほどくたびれているのだろう。二度、三度と体を揺すったが目を覚まそうともしない。


「……言いたいことだけ言って寝ちゃったよ、この人」


 私はため息を吐いてあとに残された二人の童を見やった。

 朧と十六夜と名乗った二人は、人間で言えば年のころは十かそこらであろうか。二人のうち一人は縁台にあがりくろすけを座布団に乗せ、もう一人は湯飲みの乗った盆を抱えている。


「お嫁様、お嫁様。旦那様は御寝所にお運びします?」

「え、ええ、お願いします」

「お嫁様、お嫁様。お茶のお替りはいかがです?」

「あ、いや、結構です。結構です。もう寝ます」

「お嫁様、お嫁様。御寝所のご用意いたします?」

「自分でできますから!」


 二人の童に交互に話しかけられるとどんどん頭が混乱してくる。どっちがどっちなのかもまだ把握できていないのに、これは困った。せめてもう少し説明が欲しかったというのに、頼みの綱は目を覚まそうとしない。

 お世話をしようと話しかけてくる童にとりあえずくろすけのことを頼んだ私は、逃げるように自分の布団がある部屋へと駆けこんだのだった。

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