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新しい生活①

 翌日、宣言通り九朗は月が空に溶けてなくなってしまう頃にくろすけの姿へと変化した。そして屋敷の部屋の隅においた座布団の上で、くるりと尾を抱え込むように丸まって眠りだした。

 くろすけがすやすやと穏やかな寝息を立てていることを確認した私は、竹刀を片手に庭を見下ろした。

 屋敷自体も古いがそれなりに大きいため、庭も花月院の母屋にある中庭より広いようだ。おそらく昔は丁寧に手入れをされ、祠へも参りやすくなっていたはずなのが、今やすっかり荒れ果てている。

 茫々と生えた下草があっては、庭で稽古をしようにも邪魔だなぁと思い立った私は、竹刀を置いて中庭へと足を下ろした。長い髪を後ろでひとくくりにし、たすきをかけて着物の袂を引っ掛ける。


「よし、やるか」


 どうせ日中は一人で過ごすことだし、時間はたっぷりあるだろう。生い茂った下草は、稽古の邪魔になるのであれば抜けばいいのである。

 私は縁台の近くにしゃがみこみ、手近に生えている草を引っこ抜いた。

 一束、二束と抜いていくうちに弾みがついてくる。古くて荒れている屋敷の庭なのに、意外なことに土は柔らかいのだろうか。すぽっ、すぽっと根っこから抜けるのがだんだん楽しくなる。


「花月院の離れの庭よりやりやすいわ。あの庭は土が随分固かったし……」


 往年の人の出入りの多さを物語るように、あの離れの庭は土が踏みしめられていて草の芽が生えにくかった。その分、足場がしっかりしていたので剣術の稽古はしやすかったっけ。

 ということは本当にこの屋敷に立ち入る人は少ないのだろう。九朗は大神の眷属と言っていたけれど、一族の仲間とかそういった人たちが集まることはないのだろうか。

 いくつかの疑問が思い浮かぶが、草の束がきれいに抜ける快感が徐々に勝っていく。次第に私は、いかに力を籠めずに、いかに根っこに土を残さずに抜けるか、そんなことばかりを考えるようになっていった。

 そして一心不乱に草取りをしてどのくらい経ったことだろう。庭の面積の四分の一ほどの草が引っこ抜かれ地面が露になったころ、縁側から「お嬢さん」と呆れかえった声がかかった。


「静かだなと思えば、日中ずっと草むしりやってたんすか……」


 振り返ると人の姿となった九朗が腕組みをしてこちらを見ている。あれ、と思って辺りを見回すともう既に空は赤くなっており、屋敷の庇からは上りかけた月が顔を出していた。


「おはよう九朗」

「おはようじゃないですよ。なんなんです、顔中土だらけにして」

「だって、このお庭じゃ剣術の稽古がしにくいじゃない?」


 ほら、と私は草がなくなった地面を指した。


「明日もやれば、かなり広々使えるようになるわ。大神様や九朗はあの祠にお供えをすると元気になるの? であればあそこまでお参りしやすいようにきれいにしちゃいましょう」

「そりゃ、明るい時間にやっててもらえればありがたいですが……それにしたって張り切りすぎですよ」


 そう言うと、九朗は縁台から庭に降りてきた。草が抜かれすっかり土が露になった庭を見渡しながら私のところまで来ると、私の肩にかかったたすきの結び目に手をかける。


「とりあえず今日はもうおしまいにしてください。暗くなる前に風呂入って。その間に俺、食事作りますから」

「お風呂? ああ、でも火を焚いて湯を作る時間が――」

「そんなの心配しなくていいんです。俺がいれば火なんてすぐですよ」


 勝手にたすきをほどいてしまった九朗に背を押される。今から水を風呂桶に汲み、火をつけて温めるとしてもまだまだ時間がかかるはずだ。いったいどういうことだろうと思っていると、押入れから九朗が手ぬぐいと木綿の浴衣を出してきた。


「ほら、行きますよ。風呂場はこちらです」


 ついてこいということなのだろう。首を傾げながら私は九朗の背中を追った。

 昨日も一人でうろうろと歩き回ったが、この黒真上一族の屋敷とやらは広い。中庭に面した縁側伝いに行ける部屋以外にも、廊下を挟んでいくつかの部屋があるようだし厨や厠、風呂場などは渡り廊下で繋がっている別棟である。

 探検したときに見かけた風呂場は、板張りの洗い場と大きな木の樽でできた風呂桶が埃をかぶっていたっけ、と思い出す。こんなことなら草むしりから始めず、そこから掃除しておけばよかった。

 しかしそんな後悔は風呂場についた時にはすっかり吹き飛んでしまった。

 何故なら、煤けた風呂場はいつの間にかピカピカに磨きあげられており、水汲みも終わっていれば火も焚かれていたからだ。


「あ、あれ……?」


 一体いつの間に準備をしていたというのだろうか。

 風呂桶の蓋を九朗が開けると、もわっと白い湯気が立ち上る。二度、三度と湯をかき混ぜて温度を見た九朗がこくりと頷いた。


「さ、どうぞお嬢さん」

「ちょっと……九朗、いつの間に水を汲んできていたの? 私、草むしりに一生懸命すぎて気が付かなかった……?」

「いいんですって、そんなこと気にせずに。ほら、汗流して。食事の用意しときますから」


 ほらほら、と背中を押されればそれ以上聞きにくい。ここはあの世に近いところのようだし、今まで私が知っている理で動いている世界ではないのかもしれない。

 いまいち納得できないままではあったけれど、ほかほかした湯気に心は踊る。とりあえずゆっくり汗を流したいことには変わりがない。

 私はいろいろ浮かんだ疑問をとりあえず放置することにして、急いで帯を解いたのだった。

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