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生贄の行末は①

 布団に寝かせたくろすけは、深くゆっくりとした呼吸を繰り返していた。

 規則正しく上下する黒いお腹にほっとしながらも、私の頭の中は未だに情報を整理できず混乱した状態が続いていた。

 倒れてしまった人間の九朗が、一瞬であの場を去り犬のくろすけを置いていけるはずがない。

 ということは、九朗はくろすけに変化したのだろうか。しかしそんなことがあるものか。犬が人に、人が犬になるなど信じられない。

 けれど、現に目の前でそのようなことが起こってしまった以上、それは信じるべきことなのかもしれない。

 ではもし九朗がくろすけだったとして、さっきの無礼で乱暴な客人はいったい何なのか。倒れた後、くろすけが何かを吐き出させそれを飲み込んでしまってからは私やくろすけのことなんて見えていないようだった。

 彼岸だとか此岸だとか、九朗が何か言っていたけれどそれがどう関係しているのかもわからない。

 そもそも何故私はこの屋敷にいるのだろう。


「何もかもが分からない……もう」


 叶うことならば九朗に出てきてもらって全て説明してほしい。納得できるかどうかは別として、自分の置かれている環境に困惑させられっぱなしなのを何とかしたい。

 でも、九朗は口から血を流すほどの状態だったのだ。くろすけが九朗だったとしたら、無理をさせたくはない。

 私はくろすけの背中をそっと撫でた。

 あんなに激しく蹴り上げられていたというのに、何事もなかったかのように寝息を立てているくろすけの顔はいたって穏やかだ。

 被毛越しでも体温が伝わり、掌がじんと温かくなる。動物の体温は人より少し高いらしい。二度、三度と撫でているうちに、少しずつ自分が落ち着いていくのが分かった。

 すうすうと静かだけれど規則正しい呼吸の音だけに集中していると、だんだん私の呼吸もそれと同じ速度でゆっくり、深くなっていく。

 こてん、と私はくろすけの寝ている横に体を転がした。やはり混乱と緊張は思った以上に体力を消耗させていたのだろう。横になった途端に全身から力が抜け、強烈な睡魔が襲ってくる。

 起きて居ようと思うのに、体が言うことを聞いてくれない。泥をかぶったように手足が重く、そして温かかった。くろすけの体温を傍に感じていたせいもあるだろう。


「無事で、よかった……」


 私はくろすけの背を撫で続けながら、睡魔に抗いきれずに瞼を閉じた。


 ★



「お、なか……へったぁ……」


 ついうっかり眠ってしまってどのくらい経ったことだろう。私はぐるぐると鳴り続ける自分の腹の虫の音で目を覚ました。

 ゆっくり目を開ければ辺りはもう暗い。その割に体が暖かいと思って身じろぎしてみれば、どうやら布団がかかっているらしい。


「くろすけ……?」


 隣に寝ていたはずの犬に手を伸ばすがそこにはあのあたたかい動物はおらず、手探りで布団の外をまさぐるとひんやりとした畳の感触が指に伝わった。

 妙な時間に寝てしまったため気怠くまた目を閉じてしまいたかったけれど、喉の渇きには抗えず私はのっそりと体を起こした。とりあえず厨に行って水だけでも、とふすまを開ける。

 するとだ。

 風に乗ってとんでもなくいい匂いが漂ってきたのだ。空腹でふらふらの私にとっての「いい匂い」、つまり食事の匂いである。

 私は厨に向かって一目散に駆け出した。

 確かにあそこには食材があった。けど火を起こす物がなかったし、誰が調理をと考えて九朗の顔が浮かぶ。くろすけの姿が見当たらないということは、もしかして。

 そしてその期待は厨の窓から漏れる明りでさらに大きくなる。


「九朗? いるの?」


 逸る気持ちと空腹を押さえながら私は厨の戸を開けた。


「おう、お嬢さん。目が覚めたか? もうちょっとで食事の支度ができるから待っててくださいよ」

「九朗!」


 ざんばら頭に簡素な洋装のシャツ、ズボンといういつもの恰好でそこに立っていたのはやはり九朗だった。厨に灯された燭台と竈の火だけでは顔色の違いまでは見て取れないけれど、にやりと笑った顔は普段と変わりがないように見える。

 私は咄嗟に九朗へ駆け寄り、彼の両頬を手で挟み込んだ。


「なっ!」

「九朗! 無事なの? 怪我は? あんなに血を流していたのに、立って大丈夫なの?」

「あ、ああ。一寝入りしたから、もうだいじょう……」

「くろすけはどこに行ったの? お前がくろすけなの? 人なのに、獣になるの? ねえ、ここはいったい何なの? お前はいったい何なのよ!」


 もう逃がさんというつもりで頬を押さえつけまくし立てると、九朗は私の勢いに目を白黒させながら口をぱくぱくと動かした。


「ねえ、ちゃんと答えなさい!」

「わぁった、わかったから! ちょっと待って、こぼすから!」

「こぼす!?」


 不穏な言葉にはっとして九朗を見ると、彼の手には確かに玉杓子が握られていて鍋からまさにそれを上げんとするところである。ふわっと温められて立ちのぼる味噌の香りに我に返った私は、咄嗟に九朗の顔から手を放した。

 またきゅるきゅると腹が鳴る。


「ちょっと待っててくださいよ。お嬢さん、腹減ってるでしょ? 時間が無くて具沢山の汁しか作れなかったけど、食べながら話すからさ」


 そう言うと九朗は鼻歌を歌いながら、盆に並んだ二つの椀に味噌汁を盛り付け始めた。


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