ブルーライトニング 改訂版 第93章
玲子の様子に昨日までの重苦しさが消え去り、敷島さえもマルスの価値を認めざるを得なかった。一方で、マルスを失ったらどうなるのかという彼の不安をさらに増大させた。だが、いまさら玲子とマルスを引き離せないことも理解しつつあった。
夕食のあと玲子はマルスとトリオと一緒に風呂に入りに行った。居間でくつろぎながら敷島は三人を見送り、上原に聞いた。
「三人で入ったら、狭くないか」
今までは、マルスと一緒か、マルスがいないときにトリオと一緒に入るのが普通で、三人一緒というのは初めてだった。上原は単純に、返事を返す。
「玲子が楽しければいいんですよ」
敷島はあきれたように、
「君は玲子さえ、よければいいのだな」
「ええ、あなたもそうでしょう」
「まあ、そうだが」
しばし、沈黙。敷島は、
「何というか、玲子は大丈夫なのだろうか」
「大丈夫ですよ。あの子は徐々に変わっていますよ。あなたにはわかりませんか」
「すまない。よくわからない。マルスを失った時の玲子が心配だ」
「今回、トリオはよくやりましたよ。トリオがいてくれて、ほんとによかったと思います」
「そうか・・・」
「トリオを弟にしたことは間違いじゃなかったと思いますよ。それは、玲子の世界が広がったことでもわかります」
敷島はその例えに興味を持ったようだ。
「世界とは」
「人とのつながりです。マルスが来てから、いろいろな人の想いに答えるようになっています。トリオを含めてね」
「私にはよくわからないが、君がいうのなら、そうなのだろうな」
敷島は無力感にさいなまれていた。
風呂から出た後、マルスとトリオはきゃっきゃとふざけながら、玲子の髪をドライヤーで乾かしていた。ブラシを持ったのがトリオなのが幸いだった。トリオは微妙な力加減が上手なので、多少のおふざけくらいでは、手元が狂わない。玲子はトリオがブラシを担当してくれたことに感謝した。
「はい、お姉ちゃん、髪乾いたよ」と、マルスがドライヤーを止めながら言った。
「ありがと」と玲子は言いながら、体の向きを変え、二人を抱いた。マルスが来て、自分の世界ががらりと変わった気がしている。どこか、危なっかしいマルスを世話をしているうち、玲子は、マルスがまっすぐ自分を見てくれていることに気がついた。そこには壁がなかった。それに気づいたとき、瑞穂やソレイユも自分を見ていることが意識できたのだ。
「マルスがいない間、トリオが私を支えてくれたの。ありがとう、トリオ。それに、改めて、お帰りなさい、マルス」
マルスはちょっと顔を伏せながら言った。
「ごめんなさい、お姉ちゃんに心配かけて」
「マルスは一生懸命やったことだもの。マルスは謝らなくていい。いま、ここにいてくれるだけでいいの」
「ありがとう」
「マルスは明日、お休み?」
「うん、みんながお姉ちゃんと一緒にいなさいって」
「そう、じゃあ、瑞穂もマルスに会いたいって言っているから、どこかに遊びに行きましょう。トリオもね」
「はい」とトリオも答えた。
トリオは玲子の腕の中から飛び出して言った。
「じゃあ、今日はしっかり休んでね、お姉ちゃん。ぼく、おばさんのところに行くから」
「うん、お休み、トリオ」
「お休み」と玲子とマルスが言った。
「お姉ちゃん、お兄ちゃん、おやすみなさい」とトリオは元気に言うと、部屋から出て行った。
玲子はマルスに向き合って、
「じゃあ、私たちも寝ようか」
「はい」
その夜は、マルスもふざけることなく、おとなしく眠りについた。そんなマルスを抱いて、玲子も眠りに落ちる。
次の朝、玲子の隣で目覚めたマルスが、玲子の様子がおかしいのに気がついた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「うーん、頭が痛い・・・」
マルスの無線で呼ばれたのか、トリオがパジャマのまま、駆けつけてきた。
「お姉ちゃんが、どうかしたの?」
「頭がいたいんだって」
ベッドの脇に来たトリオが、玲子の顔をのぞき込み、眼球のセンサーが体温を測る。家庭用に作られたトリオの真骨頂である。
「うーん、熱があるね。お姉ちゃん、喉とか痛くない?」
「喉は大丈夫。咳もないし・・・」
部屋に上原もやってきた。トリオが部屋を飛び出したから、何事かとやってきたのだ。
「どうしたの? 玲子に何かあった?」
トリオが振り返って、
「お姉ちゃん、熱があって、頭がいたいんだって」
「今日はお休みだから、安静にしてなさい」と上原が言った。
「うーん、瑞穂と約束があったんだけどなあ」
上原が苦笑しながら、
「連絡して、今日の約束はキャンセルなさい。無理はだめよ」
「瑞穂お姉ちゃんには、ぼくから連絡しておくよ」とマルスが言った。
「じゃあ、お願い・・・」
トリオが玲子に聞く。
「お姉ちゃん、食欲ある? 何か食べたいものはない?」
「あんまり食欲ない。ホットミルクだけもらえる?」
「いいよ、暖めてくるね。お兄ちゃん、キッチンに来て」
マルスより小さなトリオだが、このあたりの判断力と行動力はマルスに勝る。
トリオは暖めたミルクをカップに注ぎ、トレーに乗せて準備をする。
「お兄ちゃん、これ、お姉ちゃんに持っていって、今日はお兄ちゃんがお姉ちゃんの側にいてね」
マルスはトリオからトレーを受け取りながら、
「トリオの方が、お姉ちゃんの役に立つと思うけど」
「ぼくにできなくて、お兄ちゃんにできることがあるんだよ。だから、今日は、お兄ちゃんがお姉ちゃんの側にいて」
そんな話をしていると、玲子が頭を押さえながらリビングに入ってきた。
「ホットミルク、ここで飲むわ」
マルスがトレーに乗せたカップを玲子に差し出す。
「ありがとう、マルス。トリオもね」
玲子はホットミルクをゆっくりと飲む。飲みながら、
「マルス、今日は私のそばにいてね」
玲子が言うと、マルスにとって、有無を言わせない命令になる。
「はい」
ホットミルクを飲み干すと、玲子は立ち上がって流しにカップを置いた。
「ありがとう」
「おなかがすいたら、いつでも言って。なにか作るから」
「ありがとう、トリオ」
玲子は部屋に帰りしな、マルスに
「おいで、マルス」というと、「はい」といってマルスは玲子の後に付いていった。
「ねえ、マルス、一緒に寝てくれない」と玲子はベッドにあがりながら言った。
「はい」といいながら、マルスもベッドにあがる。玲子はマルスを抱き寄せながら、毛布を自分とマルスにかける。
「今日はマルスと一緒にいたいの。今日は私のわがままにつきあってね」
「うん」
マルスをぎゅっと抱きしめながら
「やっぱりマルスなんだな・・・ ほんとにごめんね」
「なにが?」
「昨日、再起動したとき、私、マルスのこと本物だと信じてなかった」
「そうなの?」
「おばさんもおじさんも、マルスは直るって言ってくれたんだけど・・・ ソレイユとレナのこともあるでしょ。マルスそっくりの別のロボットじゃないかと不安で・・・ みんな、私に嘘を言っているんじゃないかって、勝手に思いこんでたの」
「ぼく、お姉ちゃんのマルスだよ」
「うん、わかってる。もう、わかってる」
玲子はぎゅっとマルスをだきしめながら、眠りに落ちていった。
「玲子は大丈夫なのか?」と、リビングで朝食をとりながら敷島は心配そうだった。年頃の娘なので、寝室に様子を見に行くことを遠慮しているのだ。
「お兄ちゃんを抱き枕代わりに寝てるって」と、トリオが答える。マルスと直接のデータリンクを構築できるトリオやロビーは、玲子のことをリアルタイムで把握できていた。
「よく眠っておられるようですよ。心配はないと思いますが」と、ロビーが言う。
「そうか・・・ それにしても、マルスじゃないといけないのか。トリオじゃだめなのか」
「ぼくは、お兄ちゃんの代わりにはなれないよ。ぼくはお兄ちゃんみたいに、お姉ちゃんに全てをゆだねることはできないから」
思いがけないトリオの発言に敷島は「うん?」と疑問の声をあげた。上原は、
「それがね、マルスとトリオとの違いなんですよ。トリオはマスターの間にちょっとした壁を作って、完全には人間には依存しませんからね。思考の構造上、どうしてもできないんです。玲子にとっては、トリオはその分、遠い存在なんですよ。あえて言えば、ソレイユとの友人関係に近いでしょうね」
敷島はちらりとトリオを見て、そして上原に視線を戻して言った。
「マルスは違うと言うのか」
「マルスはね、全てを玲子にゆだねているんです。人間に反抗しないように、人間に従順にとプログラミングした結果、いきすぎた依存心が生まれたんですね。でも、それが玲子にとって、心地よいものだったんです」
「それがマルスでないといけない理由なのか。よくわからん」
「わからないでしょうね、私にもわかりません。わかってたら、とうの昔に、玲子の為に特注のアンドロイドを作ってましたよ。商品化のための試作とか何とか言ってね」
「いまからでも作れないのか」
「無駄ですよ。玲子にとって、すでにマルスという存在が大きいですからね。マルスが失われたときには、意味あるかもしれませんが」
「そのときは、作ってくれるか」
「それが必要ならば、作ります。会社にも許可をもらえるでしょう。ですが、できれば自立できないロボットは作りたくありません。ロボット自身がつらいですからね。マルスやリョーカを、実用上、問題ないレベルで維持できているのは、玲子やサム、ルイスの功績ですよ。でも、それが、誰よりも人間を守りたいという気持ちに直結して、能力を向上させているのも事実です。マーサ以降のアンドロイドは、どうがんばっても、マルスやリョーカのレベルにはならないですしね」
お昼頃、目が覚めた玲子はマルスに呼ばれたトリオに、
「熱、下がってるね。疲れていたのかな。大丈夫? お姉ちゃん」
「だいぶ、楽になったわ」
「昼食、何か食べる?」
「食べたい。何か作ってくれる?」
「うん、いいよ」と、トリオは部屋を出て行った。
部屋に残ったマルスは、
「瑞穂お姉ちゃんがお見舞いに来たいって」
「そう、じゃあ、来てもらって。私も会いたい」
「じゃあ、メール、返信しておくね」
マルスはベッドからおりて、
「ぼく、トリオを手伝ってくるね。支度ができたらお姉ちゃんを呼びにくるから」
「ありがとう。よろしくね」
マルスは服を着替えて、部屋を出て行った。その様子を見ていた玲子は、
「可愛い」と思わずつぶやいていた。




