ブルーライトニング 改訂版 第92章
玲子のハンディ(携帯端末)にメールが着信した。玲子はハンディを操作してメールの内容を読んだ。明後日にはマルスが直る。そういう内容だった。玲子の表情がわずかにこわばったのを、瑞穂は見逃さなかった。
「何かあったの」
玲子の様子がおかしいことに瑞穂は気づいていた。クラスの中では、退学した伊藤綾が、プレストシティ政府専用機で家族と一緒に脱出したところを撃墜され、死んだことが話題になっており、玲子の様子に気づくものはあまりいなかった。瑞穂は玲子の様子が、以前のような虚無に満たされたような気がして、内心気が気ではなかったのだ。一緒にいたレナが、
「マルスのこと?」と聞くと、瑞穂の顔色が変わった。
「マルスに何かあったの?」
玲子にこんな表情をさせる要素は、マルスのことしか無いと瑞穂は気づいたのだ。
「昨日ね、テロに寝返った防衛軍にマルスがやられたのよ」とレナが言った。瑞穂には初耳だった。確かに防衛軍の不意打ちによって、プレスト海軍も損害を受けたとニュースで伝えられていたが、それがマルスだとは夢にも思わなかった。
「なによ、それ! マルスは大丈夫なの?」
玲子は答えられず、代わりにレナが答えた。
「人工頭脳は無事だったの。でも、体が完全に壊れていて、一から作り直さなければいけないの。さっき、部品が今日の昼過ぎには届くと連絡があったわ。だから明後日には治る見込みよ」
瑞穂は玲子の手を握って、「良かった!」とだけ口にした。しかし、レナの言葉を疑うように玲子は言った。
「おばさんは2ヶ月ぐらいかかると言ってたけど」
瑞穂の手に力がこもる。情報が混乱しているからだ。
「それは昨日までの情報よ。スミス博士と敷島博士が徹夜でローウェル社と調整して、部品を送ってもらうように手配したのよ」
玲子は昨晩、伯父の敷島が帰ってこなかった理由を理解した。
「それで、おじさんが帰ってこなかったのね」
「玲子、人工頭脳さえ無事なら、ロボットはいくらでも再生できるから、あまり、心配しないで」とレナは付け加えた。吉報なのに玲子の表情はさえない。玲子は聞く。
「レナ、変なことを聞くけど」と玲子が聞く。
「なに?」
「レナはソレイユの記憶を持っていると言うけど、ソレイユとは性格も言葉遣いも違うし、それは演技なの」
「演技じゃないわ。私は私、いくらソレイユの記憶を持っていても、私はソレイユじゃないの」
「そう」
レナは玲子を安心させるように笑む。
「玲子のマルスだよ。マルスが直ったらわかるわよ」
「そうかな」
「リョーカとマルス、違うでしょ。同じ人工頭脳でもあれだけ変わるの。同じようにはできないの」
瑞穂はここまで聞いて、玲子が直ったというロボットが、マルスそっくりなロボットである可能性を疑っていると理解した。しかし、なんと言ったらいいか言葉が出ない。しかし、レナは言った。
「もう少しの辛抱だよ」
帰宅した玲子を出迎えたトリオは、玲子の手を引きながら、
「お兄ちゃん、明後日には直るって」と言った。
「それ、おばさんからメールで教えてもらった」と返した。
「そうなんだ、でも、良かったね、すぐにお兄ちゃんに会えるよ」
「そうね」と、玲子は気のない返事をした。トリオは不安げに玲子を見上げる。
「どうかしたの?」
「ちょっと、つかれちゃった」
「夕食はロビーが作ってるよ。ちょっと、部屋で休もうよ、お姉ちゃん」と言って、玲子の手を引く。
部屋に入った玲子は力なくベッドに座り込んだ。トリオは玲子の隣に座り、体を寄せる。
「お姉ちゃん、具合が悪いのなら横になったら」
「大丈夫よ。ごめん、休んでると変なことを考えちゃう。夕食の支度をしよう、トリオ」
夕食時、敷島と上原が帰ってきた。
「玲子、もう、聞いたかもしれないが、マルスの修復は明後日には完了だ。今日、部品が届いてね。人工頭脳との結合が夕方までに終わったんだ。今、結合のチェックを行っているから、明日、皮膚の蒸着が終われば、明後日には起動できるぞ。玲子も早くマルスに会いたいだろうから、起動の時は来たらどうだ」
「ほんと? いいの?」
「ああ、上原君とも話したのだが、それがいいだろうということになった。どうだ、学校は休んでもかまわんだろう」
「そうよ、マルスも玲子に会いたいだろうから、いらっしゃい」
「じゃあ、そうするわ」
玲子がトリオと一緒に食堂から出て行ったとき、ぽつりと上原が言った。
「玲子、やっぱりマルスのこと、心配しているのね」
「なにが? 明後日には会えるだろう」
そのあたりの心の機微は敷島には理解できなかった。
「元のマルスじゃないかもしれないって、心配してるんですよ。ほら、レナのこともあるし、そっくり別なロボットを代わりにするっていう事例を見てますからね」
「ああ、そうか・・・」
「ただ、マルスに会ったら、解ると思いますよ。元のマルスなんだって。それまでの辛抱です」
「マルスに会ったら、解るというのかい」
「ソレイユとレナの違いが解るのだから、解りますよ。それより、回路の結合をとちってないといいですね。明後日の起動に間に合わなくなりますよ」
敷島は少々憤慨したように言い返した。
「それは大丈夫だ。ローウェルの品質管理も万全だったし、問題はない」
「じゃあ、待ちましょう。明後日まで」
敷島の言葉に偽りはなかった。回路結合のミスもなく、マルスは皮膚の蒸着の工程も完了した。そして再起動の日。
「学校休んで来ちゃった」という玲子を出迎えた、ルーナは笑顔をうかべて、
「いいんじゃないですか、大切な弟と会うんですから」
「マルスに会える?」
「いま、最終チェックの最中ですから、眠ってるけどね」
「あわせてくれる」
「いいよ。でも、外見は玲子が知っているマルスじゃないよ。それは理解してね」
「えっ」
一気に不安が玲子の心を支配する。
製作室に案内されてマルスを見た玲子は、ルーナの言葉の意味を理解した。
(そっか、そういうことか)
マルスの体に傷の跡がない。全く新しい皮膚に覆われているのだ。確か、皮膚の蒸着と言っていたので、まるっきり新しい体になったのだろう。
「体のいっさいが新しくなっているからね。傷跡はないわよ」と玲子の戸惑いを察した上原が言った。
「真新しいロボットになっちゃったのね」
「外見はね。でも、中身は玲子のマルスよ。起動したら解るわ」
玲子の心に不安が沸き起こる。どうにもあらがいようもなかった。
そこへ敷島も製作室に入ってきた。
「ああ、玲子も来たか。もうじき、チェックがおわるぞ。そしたら起動だ」
機械的な声で、「チェック完了」の声が響く。玲子にもそれがダグラス社のメインコンピューターのインターフェースであるニックだとわかった。
「ニック、マルスの起動操作開始」と上原が指示をした。
「動力を外部電源から内部電源に切り替えを確認。外部供給ラインの切り離し準備完了」
マルスの電力供給ケーブルが腹部から切り離される。
「データリンク、出力データ、共に異常なし。マルスに起動信号を入力」
ぱちっとマルスが目を開く。ゆっくりと上体を起こし、周りを見渡す。玲子がいることを知ると、ああっと声にならない声をあげた。
「まだ、声帯のコントロールがうまくいってないの」と上原が玲子に言う。だが、玲子は全く動かない。マルスは一生懸命、体を動かし、台の上から転げ落ち、懸命に立ち上がる。体の関節制御の補正が利き始め、やっと、よちよちと玲子の方へ歩み寄っていく。上原も敷島も固唾を飲んで見守っていた。
玲子の元にたどりついたマルスが玲子に抱きついた。そして、
「お、お姉ちゃん」と声をあげた。いつもと変わらぬ声、そして抑揚。玲子はゆっくりと膝を折り、マルスを抱きしめた。
「ごめんね、マルス」
「えっ、なにが?」
「ううん、なんでもない。お帰り、マルス」




