ブルーライトニング 改訂版 第84章
玲子とマルスは手をつなぎながら帰途についた。玲子が迎えに来たのがうれしいのか、マルスの足取りは軽い。
だが、シティトラムの駅に着き、到着を待つ間に、マルスが控えめに尋ねてきた。
「お姉ちゃん、ぼく……お姉ちゃんの役に立ってる?」
玲子は立ち止まり、マルスを見下ろして言った。
「もちろん。マルスは私を元気づけてくれるの。マルスがいないと、私、元気がなくなっちゃう」
けれど、マルスはその答えだけでは納得できないらしい。
「でも、敷島のおじさんが……ぼくがいると、お姉ちゃんが苦労するって言ってた」
玲子はマルスの手を強く握った。
「それはおじさんが勝手に言っただけ。マルスがいない間に、“そんなことはない”って私から言っておいたから、気にしなくていいよ。私が苦労してるなんて、おじさんの勘違い」
「……リヨン大統領の時とか、恵ちゃんを助けたときも、迷惑じゃなかったの?」
「ねえ、マルス。私はマルスのお姉ちゃんなんだよ。できることなら、私はやる。大統領に会えたのは、めったにできない経験だったし、恵ちゃんはマルスをかわいがってくれたから、会ってみたいと思っただけ。特別なことじゃないよ」
「うーん……」
まだ首をかしげるマルスに、玲子はたたみかけるように言った。
「ねえ、マルス」
玲子の声が、少しだけ真剣味を帯びる。
「マルスは私が好きでしょ? だったら、おじさんの言うことより、私の言うことを信じてほしいな」
マルスは少し考えるように首を傾け、それから小さくうなずいた。
「……そうだね。そうする」
「うん、それでいい」
ちょうどそのとき、トラムが到着した。二人は乗り込み、空いていた座席に並んで腰を下ろす。無人制御のトラムは、静かに走り出した。
しばらくして、マルスが遠慮がちに聞いてくる。
「お姉ちゃんは……リョーカに会ったの?」
「うん、会ったよ。テニスを教えたの」
「リョーカのこと、どう思った?」
玲子は印象をそのまま答えた。
「元気のいい女の子だな、って思ったわ。それはそれで、いいと思うの」
「そう……」
玲子はマルスの髪を撫でながら言う。
「マルスも、リョーカみたいにやんちゃになってもいいよ。私の前で、お行儀よくする必要はないの」
マルスはためらいながらも「うん」とうなずいた。
「でもね、今のままでもいい。マルスのしたいようにしていいの」
マルスは返事をしなかった。ただ、玲子の体にそっと身を預けるだけだった。
玲子とマルスが帰ると、夕食はトリオが作って待っていた。
「お帰りなさい。お姉ちゃん、お兄ちゃん」
トリオはためらいもなく、マルスを「お兄ちゃん」と呼んだ。
「ただいま。それに……初めまして、だよね。トリオ」
マルスがそう言い終える前に、トリオは「うん」と答えて抱きついてきた。
玲子は思わず目を見開く。トリオは玲子には、自分から抱きついたことがない。
上原が何か仕込んだのだろう――玲子はそう考えた。トリオの情緒の優先順位を、最初からマルスを玲子の上位にしておいたのかもしれない。敷島がマルスとトリオを入れ替えようとしているのに対し、上原は最初からトリオを家族に加えるつもりだったのだろう。抜け目がない。
抱きつかれたマルスは、少しパニクったようだった。なんとも言えない顔をしている。
「トリオ、ちょっと……」
トリオは体を離し、首をかしげる。
「なあに?」
「ちょっと、びっくりした」
「そう?」
玲子がその場を取りなした。
「いきなり抱きついたら、マルスもびっくりするよ、トリオ」
「そうか!」
トリオは明るく答えた。屈託がない。リョーカも屈託のない性格だ。もしかすると、マルスも本来はこういう性格なのかもしれない――玲子はそんなことを考えた。
「あっ、早く支度をしないと!」
トリオが台所へ駆けていく。
「マルス、行こうか」
玲子が促す。マルスは、もしかしたら“もう帰れない”と思っていたのかもしれない。そう思うと少しかわいそうで、今日はその分、いっぱい甘えさせようと玲子は決めた。
敷島と上原が帰ってきて、みんなで食卓についた。マルスは玲子の横に座り、トリオはテーブルの角を挟んで、新しく買ってもらった椅子にちょこんと座っている。
「久しぶりに、そろった感じね」
上原はうれしそうに言うが、敷島は少し居心地が悪そうだった。玲子はあえて何も言わない。
そんな空気を吹き飛ばすように、トリオが声を張った。
「はい、召し上がれ!」
炊きたてのご飯に、野菜炒め。一口大に切ったステーキとジャガイモ、そして豆腐のみそ汁が添えられている。
「トリオが作ったの?」とマルスが聞くと、
「うん。でも、ロビーも手伝ってくれたよ」
「すごいね」
マルスはそれだけ言った。マルスにできないことが、トリオにはできる。
「明日はお兄ちゃんも一緒に作ろうよ」とトリオが言う。
「うん、そうだね。一緒に作ろう」
(いい兄弟になりそう)
玲子はそう思った。
「おかわりもありますよ。どんどん召し上がってください」
ロビーも穏やかに言う。
トリオがマルスとおしゃべりを始めると、周りもそれを楽しむように、自然と食卓が和んだ。
食事が終わり、マルスとトリオはロビーと一緒に後片付けを始める。ロビーまで加わると、玲子の出る幕はない。
「玲子、話があるから部屋にいらっしゃい」
上原が言った。
「はい」
玲子は素直に従った。渡りに船だった。
部屋に入ると、上原は椅子を勧める。
「びっくりした?」
「……何が?」
「トリオの、はじけたところ」
玲子は黙ってうなずいた。
「本来はマルスも、ああいう性格なんだけどね」
上原が意外なことを言う。
「そうなの?」
「ええ。でも、思考の基本パターンを従属側に寄せたから、その性格をつぶしているのよ。最近、そうなんだって気づいたの」
「そうなんだ……」
玲子は納得した。
「トリオは、従来モデルから少し改良しているの。わりとやんちゃでしょ」
玲子はうなずく。
「ええ、そう思う。でも、トリオはマルスみたいに甘えてこないわ」
上原は苦笑した。
「難しいわね。トリオはマルスを優先するように仕組んでおいたんだけど、それが玲子に対する心のブレーキになっちゃったみたい。そこは理解してほしいの」
「うん、分かった」
玲子は素直な気持ちを語った。
「トリオのそういうところは理解してる。今日、マルスに真っ先に抱きついたから……そうじゃないかなって思ってた」
「敷島さんより、玲子の方が鋭いわね」
上原は笑った。
「とはいえ、あなたのベッドに三人はきついから。マルスが入るときは、トリオは私と一緒に寝かせるからね」
「ええ、分かってる」
上原が、ふふっと笑う。
「でも、あんな可愛い子がいると……ちょっとうれしいわね。玲子の気持ちも分かるな」
「そうでしょう!」
玲子も笑った。
寝間着に着替えた玲子とマルス、それにトリオが、ベッドに腰掛けて話していた。たわいないトリオの話題に、玲子は楽しげに笑う。
笑いながらも、玲子は二人の違いに気づいた。トリオの足には、人間のような指が作り込まれている。指先には爪のような外見まである。
一方、マルスの手の指には爪がなく、足にも指がない。戦闘用アンドロイドとして強度を重視した設計だと、上原に聞かされたことがある。
こんなところにも、家庭用アンドロイドと戦闘用アンドロイドの差が表れている。
けれど当人たちは気にする様子もなく、じゃれ合っていた。玲子は、そんな二人を見ているのが楽しかった。トリオと玲子に挟まれたマルスは少し窮屈そうだが、それでも幸せそうに笑っている。そのことが、玲子にはうれしかった。
「じゃあ、もうそろそろ行くね」
トリオがベッドから立ち上がる。
「うん、お休み、トリオ」
「お休み」
「おやすみなさい、お姉ちゃん、お兄ちゃん」
トリオはそう言って部屋を出ていった。
「お姉ちゃん」
マルスが抱っこをせがむ。玲子が膝の上に抱き上げると、マルスは体を寄せてきた。
不安だったのだろう――玲子は思う。その分、今日はいっぱい甘えさせようと決めていた。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「お礼を言うことじゃないよ。私はマルスのお姉ちゃんだからね」
玲子はマルスの手を握る。玲子よりも華奢な小さな手。その小さな手に、どれほどの力が秘められているのだろう。
「ぼく、お姉ちゃんのことが大好き」
「私もマルスが好きだよ」
マルスは玲子の顔を見つめて言った。
「明日はトリオを手伝って、朝食を作るね」
「うん、楽しみにしてる」
玲子は続ける。
「でも、私も支度をするからね。マルスとトリオと一緒がいいの」
マルスは少しうれしそうに笑った。
「じゃあ、一緒に……」
玲子はマルスをベッドに寝かせ、自分も横になる。そっと抱くと、マルスは目を閉じた。今日はやけにおとなしい。
(それも、いいか)
玲子はそう思い、リモコンで明かりを消した。




