ブルーライトニング 改訂版 第80章
「いってきます」
玲子は、居間でくつろいでいる上原に声をかけた。
「いってらっしゃい。今日の夕ご飯は私が作るから、のんびり帰ってきていいからね」
「はい」
そう返事をして、玲子は鞄を持って玄関へ向かった。玄関先ではロビーが待っていて、靴を履き終えた玲子を見送る。
「今日から、また、おひとりですね」
「ええ、ちょっと寂しいわね。もうちょっとマルスと一緒に学校へ行きたかったな」
マルスは今日から海軍での勤務が始まり、すでに敷島とともに出かけた後である。
「いってきます」
玲子はロビーにもう一度そう告げ、家を出て行った。
その背中を見送り、ロビーは上原のいる居間へ戻る。
「博士、お話があります」
「なにかしら、ロビー。とりあえず、お座りなさい」
ロビーは上原の対面のソファに腰をおろした。
「昨夜、敷島博士とお話していたことですが」
「ああ、あれ……」
上原は、ロビーの言いたいことを察した。
「マルスを軍に返して、新しいアンドロイドの男の子をリースするということですが……」
「なにか意見があるのね。言ってみなさい」
ロビーは両手を組み、慎重に言葉を選びながら話し出す。
「マルスが来て以来、お嬢様は私を頼ることが少なくなりました」
そこでいったん言葉を切る。
「寂しいの?」
「いえ、喜ばしいことです。これはマルスがいたからこその変化であり、マルスがいなくなると、お嬢様のことが心配です。博士、私はお嬢様からマルスを取り上げることには反対です」
上原は笑みを浮かべて答えた。
「安心しなさい。私も反対よ。第一、玲子が承知しない。いくら敷島さんでも、玲子が強固に反対したら、マルスを取り上げることはできないわ」
「しかし、お嬢様はご自分のこととなると、遠慮されることが常です」
「そうね、そのとおりだわ」
そう言うと、上原は姿勢を正した。
「でもね、マルスのためなら譲らないと思う。マルスの気持ちを玲子が裏切ることはしないはずよ」
ロビーは、組んだ両手に視線を落とした。
「なるほど、そこまでは考えませんでした」
「だから、あえて敷島さんの考えを否定はしなかったの。やらせてみても、害はないから。新しい弟ができたら、その子のことも玲子はかわいがると思うからね」
「そうですね」
「でも、どんなアンドロイドでも、マルスの代わりにはなれないと思うけど」
ロビーは首をかしげる。
「それはどういうことでしょうか?」
「ふつうのアンドロイドは、マルスみたいに懐いたりはしないからね。マルスは、玲子にとってちょうどよかったのよ」
ロビーは身を乗り出すように聞き返した。
「そんなにマルスは違うのですか」
上原はにこりと微笑む。
「ソレイユとマルスを比べてみなさい」
そのたとえで、ロビーにも理解できたようだ。
「ああ、なるほど。確かにソレイユとマルスは違います」
ロビーは深くうなずいた。
「玲子はね、そのことをちゃんと理解している。だから、マルスを手放したりはしないから」
「わかりました」
そう言って、ロビーは立ち上がり、上原に一礼すると、自分の仕事に戻っていった。
***
玲子は一人きりで通学路を歩きながら、一抹の寂しさを感じていた。
「もう少し、二人で一緒に通いたかったな」
マルスと一緒に学校に通えたことは、玲子にとって幸せな時間だった。隣に並んで歩く気配が消えた通学路は、いつもより少し広く、少しだけ心細く感じられる。
とはいえ、マルスは軍用アンドロイドである。軍の任務が優先されるのは当然のことだ。玲子は覚悟はしていたものの、理性と感情は別物であると痛感していた。
「おっはよう」
肩をぽんと叩かれ、玲子は我に返る。瑞穂だった。そばには弟の守もいる。
「おはよう」
「やっぱり、今日からマルスはいないのね」と瑞穂が言った。
「ええ、そう」
「今日から新しいロボットが来るって、マルスから聞いたけど」と守が言うと、
「新しい子は女の子よ。マルスと同じくらい人懐っこい子だから、今までと同じようにかわいがってね」と玲子が返す。
「女の子なんだ」
「でも、活発な子みたいだから、男の子とでも一緒に遊べると思うわよ」
「玲子さんは会ったことがあるの?」
「ううん、おばさんに聞いたの。おばさんは、その子の開発に関わっているから」
ぱん、と弟の肩をたたきながら、瑞穂は言う。
「マルスと同じように、ちゃんとかわいがりなさいよ」
「わかってるよ」と守が答えた。
***
リョーカはマルスのときと同じように紹介され、マルスが座っていた席に着いた。隣に座ったリョーカを見て、守はマルスに似ていると感じた。髪や見た目の性別は違うが、顔つきはそっくりで、体格もほとんど変わらない。
「同型なんだな」
守はそう理解した。姉に言われたこともあって、守はリョーカを昼休みのサッカーに誘った。
「ちょっと、リョーカは女の子だよ」と一部の女子が抗議するが、
「いいの!」と守は突っぱねた。
実際、リョーカはうれしそうに誘いに乗り、守たちと一緒にサッカーに興じた。玲子の言うとおり、少しおとなしいマルスと比べると、リョーカは活発な女の子だった。リョーカの蹴ったボールはかなり鋭く、守や仲間たちを振り回すことになる。
「ちょっと、強く蹴りすぎたかな」とリョーカが聞くと、
「いいよ、このぐらい」と守の仲間が答えた。
どちらかというとマルスより活発に動くリョーカは、少なくとも守たちにとっては、マルスが抜けた寂しさを十分に埋めているようだった。
昼休みの終わりに、
「放課後は私たちとテニスをしようよ」と恵がリョーカを誘う。
「うん」とリョーカは返事をした。
***
海軍司令部の会議室で、サムとルイスが打ち合わせをしていたときのことだった。
「あっ、リョーカからメールが来た」
ルイスがハンディ端末を取り出し、画面をのぞき込む。
「なんだって?」とサムがたずねると、ルイスは酸っぱいものを食べたような表情をして、
「玲子に会ったんだ……」と言った。
そんなルイスを見て、サムは笑いながら言う。
「高等部の生徒と交流でもあったのか?」
「テニスを教えてもらったんだって。マルスのお姉さんは優しいって……」
サムは、思い出したように声を上げた。
「そうか、最近テニス部に入ったんだったっけ」
「いろいろ教えてもらったって。あー、どうしよう」
いぶかしげに「なにが?」とサムが聞く。
「リョーカが玲子に懐いて、玲子について行っちゃったら、どうしよう」
サムはあきれたように、
「そんなことあるかぁ」と言い放つ。
「だって、マルスはサムのところから玲子のところへ行っちゃったでしょう?」
サムは苦笑して肩をすくめた。
「あれは、俺が玲子のことを好きになっていいよと言ったし、いろいろ事情があって玲子のところへ預けたからね。第一、ノーマは玲子のところに行ってないだろ?」
「それもそうか……」
「ルイスは玲子を意識しすぎるよ」
ルイスは少しだけ険しい顔をして言う。
「だって、負けたくないわ。マルスは玲子に預けられてから性能が上がったでしょう?」
「不調だったリョーカを一瞬で立て直した実績が、ルイスにはあるだろう。玲子に負けない実績だと思うがな」
ルイスは返事をしなかった。
「リョーカはルイスに懐いているさ。そうでなきゃ、玲子に会ったことを、わざわざルイスに報告したりしないさ」
「そうなのかな」
「メールで真っ先に知らせてくるなんて、一番大事な人に、一番に話したかったんじゃないか」
ルイスは、納得したような、しきれないような複雑な表情でハンディ端末をしまった。
「……打ち合わせ、続けましょう」
そう言って、抱えている不安を、目の前の問題で上書きするように、資料へ視線を戻した。




