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あやみ、囲われる 4

たくさんの作品の中から当作品を見つけてくださり、ありがとうございます。


どうかお楽しみいただけますように……!



 「……」


 私はぎゅっと口もとを引き結んで、店長の横に並び、顔を覗き込んだ。

「どした?」と問うように小首を傾げる店長に、両手で紳士のポケットチーフを差し出し、頭を下げ、小声で切り出す。


「この後、ちょっと外せない業務があるので店長お願いします……!」


 眼鏡の奥で目を丸くしている店長にそのまま背を向けて、私はその場を離れることにした。

 あの紳士はこれからもこのカフェを利用するだろうから、忘れ物を返すのは店長に任せた方が良い気がしたのだ。


 薄暗いバックヤードを進むと、両手にクリーニング済みのナプキンを抱えた佐倉とすれ違う。

 怪訝そうな顔の佐倉に「お疲れ様です」と短く言いながら、私はさっきの光景を思い出していた。

 陽光の降り注ぐテラスで繰り広げられていた、里香さんと高志君の恋愛未満の微笑ましくも初々しいやり取り。

 私が自分で紳士にポケットチーフを返さず、店長に託した理由はこれだ。


 自分の彼氏が同僚へ心変わりをしているのを間近に見ながら、それを受け入れつつ働き続けて、私か高志君か、どちらかから別れを切り出す。


 それは、私にはたぶん──いや確実に、無理そうだという話だった。

 

 今日は休日とあって、開店からティータイムの終わりまで、ひっきりなしにお客様が来店された。

 動き回って、たくさん運動できたのはいいけれど、そのぶん足の裏がちょっと痛い。レザーのパンプスに敷いていたインソールは、そろそろ替え時のようだった。


 ギャルソンエプロン型の制服をロッカールームで着替えて、通用口へ向かう。

 途中には休憩室があるから、誰かがいれば挨拶くらいはしなければと思う。

 高志君がいても嫌だし、里香さんがいても気まずい。だからいっそ、誰にもいて欲しくない……いませんように……と祈り、薄暗い蛍光灯の廊下を歩く。

 しかし願いはむなしく、休憩室には人の気配があった。


 作り笑顔の準備をして顔を向けると、そこにいたのは佐倉だった。

 薄手の黒いジャケットに白いシャツ。私服なせいか、雑誌モデルみたいな風情がある。

 佐倉は長い足を組み、片手に持った本を読んでいた。

 私の気配に気が付き、顔を上げた佐倉と、目が合う。


「お疲れ様です」


 心の準備はしておいたのでスムーズに、「にこ」と笑顔を作れた。あとは、挨拶をして通り過ぎるのみ。

「お先に失礼しま……」


 失礼します、を最後まで言えなかったのは、ひとえに私のスルー力が足りていないせいだ。

 視界に飛び込んできた光景──具体的には、佐倉が読んでいた本の、表紙にデザインされた衝撃のタイトルを、私は見過ごすことが出来なかった。


『人たらしになる方法~悪用厳禁のドス黒い心理学~』


 人たらしになる方法。

 悪用厳禁の、ドス黒い心理学。


「……、」


 何それ、という言葉が、舌先まで出てきたのを堪えることが出来たのは、運が良かったと思う。

 でも、だ。私は立ち止まってしまった。固まってしまったのだ。

 視線に気が付いた佐倉が、顔を上げる。

 私の顔はかなりドン引きのそれだったはずだけれど、佐倉はなんら恥じることなく、私を真っすぐに見つめてくる。


「……」

「……」


 私と佐倉の間にあるのは、沈黙だった。

 どういう状況なのだろうと思う。「面白そうな本ですね、私も読んでみたいです」と声をかけたほうがこの場合、正解なのだろうか?

 でも建前でも、「面白そうですね」はともかくとして、「私も読んでみたいです」とは言いにくいタイトルの本だった。

 この間、二秒くらい。

 葛藤していると、スマホの振動する静かな音が、休憩室の中に響いた。


 リズムが違うから、私ではない。佐倉のスマホだ。

 佐倉は変な本をパタンと閉じて膝の上に置くと、上着の内ポケットからスマホを取り出し、長い指で操作した。


「はい」


 電話の向こうは、どうやら男の人のようだった。テンポが良くて明るい感じの声だ。

 これはいなくなるチャンスと考えた私は、佐倉に会釈をしつつ、歩き出した。

 佐倉はこちらに会釈を返しながら、静かな声で「おかしな本を勝手に荷物に入れておくな」と相手に言いつけている。

 あの本について、意外にも(?)佐倉は私と同じ認識を持っていたらしい。


 佐倉が色々なことを知っているのは、そうやって意図せず差し向けられた本でもとりあえず素直に向き合って、中身を読んでみるタイプだからなのだろうか。 

 えらいな、と考えたら、咄嗟に口をついて出た言葉があった。


「あの、佐倉さん。お仕事のことなんですけど」


 通話を終えた佐倉が顔を上げる。


「聞きたいことがあれば、どんどん聞いてください。今のうちに」


 わずかに眉根を寄せた佐倉の顔には、「どうしてそんなことを言うのだろう」と書いてあった。


「えーと。私このカフェを、辞めるかもしれないので……」


 言ってから、あ、まずいとすぐに後悔した。こんなことを言ったら気を遣わせてしまうではないか。

 何かフォローしなければ、と、考えていると、佐倉がすっと立ち上がって、私の正面に立った。

 何だろう? 正面に立った佐倉は私を見下ろして、スマホを片手に淡々と言う。


「連絡先、教えてください」

「……え」


 この話の流れで、連絡先の交換とはいかに? 一瞬固まったものの、すぐに理解する。


「あ、メッセージで質問したいということですね」


 顔を上げ、笑いながら言う。佐倉はそれには答えず、じっと私の顔を見つめた。


「……」


 何かを逡巡するような空気に、私は首を傾げた。


「なんですか?」


 佐倉の顔を覗き込むと、目が合う。

 感情の揺らぎのない、冷静な目つき。そして淡々とした声で、佐倉は言った。


「俺は、椿さんを囲いたいです」









次回もお楽しみいただけますように!

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