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エピローグ ※佐倉視点

 椿が虎澤百貨店の外商部で働くことになってから、二か月近くが経とうとしている。

 俺たちは今、新大久保の国道沿いを歩いていた。


「コリアン要素の強い多国籍タウン」として知られる新大久保の街へ二人がかりでやってきたのは、もちろんお客様のご用命に応えるためだ。


 人の密度が高く、賑やかな街中を、前と後ろに並びながら、早歩きで進む。


「ここだな」


 たどり着いたのは、コリアン雑貨とコスメのショップだった。

 店の軒先から店内にまで溢れるほどの商品が陳列され、女性客で賑わっている。

 その中を縫うようにして奥へと歩みを進め、女性の店員に用向きを伝えると、すみれさんから連絡を受けていたらしい店員は頷いて、奥へと引っ込んだ。


 戻ってきた店員が手にしていたのは、男性アイドルグループのグッズが詰まった段ボールだ。

 この手のグッズやノベルティは、グループの絶頂期に入手が困難だった場合でも、数年後には新大久保にひっそりとそして大量に入荷したりするらしい。


「往年のファン」というのは一途なもので、特に日本の場合、他国に比べてその傾向が高い。

 すみれさんのお客様はまさしくそれにあたる。

 推しのグッズは重複OKで、多ければ多いほど幸福度が増すと考えているのだそうで、普段から「グッズの掘り出しがあれば「常に」手に入れて欲しい」との要望をすみれさんに出していた。


 だからすみれさんが伝手を使って、商品を確保した。

 しかし特別に譲り受ける品を、顔も出さずに発送まで店に任せるのでは、信用を損ない、今後の取引に関わることもある。


 俺と椿が業務の合間、わざわざ足を伸ばしてこの店へと来たのはそういう理由だった。

 コスト重視で、直に顔を合わさずとも取引が可能なこの時代において、戦略的に必要と判断した場面では、真逆の戦法──つまり、コストは度外視で相手と直接会い、密な関係を維持するのが当店の方針なのである。


「直接顔を合わせることで相手との関係性がよくなる」事象は科学的に実証されている話で、「ハロー効果」と呼ばれている。

 ともあれ、大量のグッズを見て、椿は戦々恐々という表情になっていた。


「宅配業者に頼んであるから、俺たちが運ぶ必要はない」


 俺の言葉に、椿が小さく頭を振る。


「ううん、そうじゃなくて。これを全部買うって、とんでもない金額になりそうと思って」


「推し」への愛のためとはいえ、覚悟を決めたファンの人ってすごいよね──と椿が続けた時、店員があっさりと会計額を口にする。


「じゃあこれ二箱で、一万千円ね」

「……」


 値段を聞いて複雑な顔をする椿を放って、決済のためのバーコードをスマートフォンに表示させた、その時だった。


「ちがうって! それじゃないから!」


 店内に響いたのは、若い女の声だった。

 決済を済ませてスマートフォンをジャケットの内側にしまい、声のした方に目をやる。

 怒り顔の女と、叱られた連れの男には見覚えがあった。

 椿の様子を覗うと、既に気づいていたらしい。大きな目をさらに丸くして、二人を見ている。

 カフェ「ジャルダンドゥティガ」のアルバイトスタッフ──リカと高志だ。

 そのリカと優也が、こちらを見て目を瞠った。どうやら、気がついたらしい。

 一瞬はひるんだように見えたのに、なぜかリカは強い目で顔を上げ、高志を従えてこちらに突進してくる。


「あやみちゃ~ん! 久しぶりぃ!」


 語尾を下げる独特の発音。リカは椿に声をかける。

 緊張した様子で目を見開き、会釈をしてきた高志は、椿の姿をまじかに見とめると、急に落ち着かない素振りになった。


──関わらずにやり過ごそうと考えていたのに、面倒なことになりそうだ。


「ねー元気だった? っていうか、なんかメイク変わってない? 前より全然可愛くなってる! その方が良いよ、断然!」


 唖然としている椿にリカは矢継ぎ早に話し、それから高志の様子に気が付いて無表情になった。

 どうやら高志の視線が椿に注がれていることに機嫌を損ねたらしい。

 しかしそれも一瞬のことで、今度は眉根を寄せて弱々しい表情になる。


「……えと、ごめん。あたし達……本当にごめんね」

「……」


 唐突の謝罪だったが、察するに、リカは、高志と付き合うにあたり、高志が椿と付き合っているということを承知していた。

 承知しながらも、高志と椿との関係が終わることを待たずに高志を自分のものにしたことを、椿に詫びている、と。

 どうやらそういう構図らしい。

 どうでも良すぎる構図ではあるのだが、さすがに同僚としては、椿の様子が気になった。かたわらをうかがうと、椿ははっとした顔になり、


「あ、いいえ! あの、本当に全然大丈夫なので……」


 と、何度も頷く。

 少し、不可思議な反応だった。

 ふつうこういう状況であれば、謝罪された側は気まずい素振りを見せる。

 しかし椿は、「まるで何について謝られているのかわからない」という表情をしていたのだ。

 気になって椿を注視していると、スマートフォンに着信があった。

【宮ヶ丘すみれ】の表示を見て、どうしてこんなややこしい時に……と思う。


 しかしとりあえず、俺は通話のアイコンをタップした。


「佐倉です」


 電話の向こうで、すみれさんは興奮していた。


『あ、佐倉⁉ 悪いんだけど、そのまま椿と横アリに向かってくれる⁉ 会場限定のレアグッツが入ってきたみたいで、──と、──のを買ってきて欲しい!』


 電波が安定しないのか、音声が乱れて聞き取れない部分があった。しかも興奮気味の早口である。


「すみません、聞き取れないのでテキストで送ってください」

『え? 何? なんつった?』

「一度切って、折り返します」

『──もしもーし!』


 ため息をついて終話のアイコンをタップすると、椿がこちらを見上げて静かに言った。 


「ペンラとワンポのバケハって言ってたよ、すみれさん」


 思わず俺は、椿の顔を見た。


「ペンラ」はペンライトで、「ワンポのバケハ」はロゴがワンポイントで入ったバケーションハットを指す。この場合、どちらもアイドルのグッズを指す。

 今の通話でよく聞き取れたものだと感心する。


「さ、行こ! 早く並ばないと遅くなるよ」


 所在なさげにしているリカと高志に「じゃあね」と椿は柔らかく微笑み、前へと足を踏み出した。

 ジャケットの袖が引かれる感触があって、見ると、椿が俺の手を引いている。俺たちはそのまま、ショップを後にした。


 新大久保駅へ戻る道すがら、俺は椿に訊ねる。


「もう、椿は気にしてないのか」

「うん。というか……」

「というか?」

「忘れてた。自分でもびっくり」


 その表情はあっさりしている。


「なんかホントに、忘れてた……ひどいことされたはずなんだけど、その時の嫌な気持ちとか、もう全然残ってなくて」


 いろいろと、忙しかったからかなぁ……興味がないと、忘れちゃう方なんだよね……と呟く椿を見て、安堵するのと一緒に、俺は改めて彼女を見直した。

 椿を虎澤百貨店の外商部に迎え入れたいと及川部長に聞いた時は、多少見た目が良いだけの普通の女子の、どこにそんな価値があるのかわからなかったのだ。

 けれど、およそ二か月を一緒に過ごした今、彼女に頼もしさすら感じている。


「佐倉、急ごう! 予定の電車を逃したらニ十分もロスするよ」

「……ふっ」


 やたらと奮起してせかせかしている椿が微笑ましくて、思わず笑ってしまう。


「え。佐倉がまともに笑ってるの、初めて見たかも」


 目を丸くした椿も、次の瞬間には笑った顔になる。

 この時の俺は、何も知らなかった。

 自分が椿の薄茶にきらめいた瞳に惹かれていくことも。

 自分たちが、情を交わす関係になることも。

 関係は長続きせず、彼女を悲しませることも。

 何も知らないから、自覚はないままに、心に刻み付けている。

 西日に照らされ、ささやかなまぶしさを伴った、彼女の輪郭を。


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