うみねこの鳴く運河の街から 7
ふたたび、私たちは世田谷区の小沢邸にいた。
佐倉も私もお手伝いさんに借りたエプロン姿だ。奥様の許可をいただいて書斎に入り、戸棚を開けて探し物をしていて──今ようやく、佐倉がそれらしいものを見つけた。
「順番、狂わないように気をつけろよ」
「了解です」
応接セットのローテーブルの上に並べられたそれらは、穴を開けて厚紙のバインダーに綴じられていた。
バインダーの表紙には年代が記されている。「昭和四十五年四月~昭和四十六年三月」といった風にマジック書きされていたものが、途中(平成に入ったころ)からはシールになっていた。
「平成三年以降のフォルダは棚に残したまま、出さなくて良い」
「了解です」
これから私と佐倉は、この小沢製菓の社内誌を、片っ端から確認するという作業をする。
社内誌は小沢製菓の本社と工場で月に一度、配布されていたそうだ。綺麗に年代順に並べられたそれらは、小沢製菓の企業としての変遷を見ているようだった。
「なんでだろう、なんだか懐かしい気持ちになるね」
創業当時からしばらくはA4の紙をひとつひとつ手作業でホチキス綴じたしたもので、手作りされた温かみを感じた。
表紙のイラストや写真はきっと社内で得意だったり趣味にしていた人が担当していたのだろうと想像できる。
季節の鳥や草花や、当時の映画作品のポスターをオマージュしたような大胆で面白おかしいものもあり、バリエーションが豊かだ。
内容は実績の報告や、新製品の紹介、競合他社の製品との比較(他社製品をはっきりと批判していて、時代を感じた)があったり、コラムや各部署の新人紹介の記事があったりで、手が込んでいるし、独特の味わい深さがあった。
会社の規模が拡大して以降は印刷会社に製本を依頼していたようで、表紙も内容も一気に洗練され、雰囲気が変わっていた。そしてその後は。
「二〇一五年で発行をやめているんだね……」
私が言うと佐倉は頷いて、
「ペーパーレスが叫ばれるようになってからはウェブに移行したらしい。それもまだあるのかは不明だが」と呟き、顔をあげて私を見た。
「おい、内容に夢中になるなよ。冒頭の社長のあいさつだけで良い」
釘を刺されて、内容に夢中になりかけていた私はドキリとした。だって、面白いんだもん──と言い訳したくなったけれど佐倉の言う通りで、今は社内誌をじっくり読む時間ではない。
私たちは「トゥーキュディデース 戦史」の持ちぬしの手がかりを探りに来ているのだ。
『小沢製菓に社内誌のようなものがあれば、確認したい。その中に「社長のことば」みたいなコラムがあると思う。そこから手がかりを得られるはずだ』と言ったのは佐倉だった。
奥様に問い合わせると『すべて保管しております』とのことで、さっそく二人で世田谷へやってきたのである。
私の手元にはタブレットがある。そこには佐倉が用意した資料が表示されていて、「将軍ペリクレスの演説一覧」とタイトルがあった。
で。佐倉が何を考えているのかというと。
このペリクレス将軍の演説と似たような語感、文章のあいさつ文を、社内誌から探し出せという話なのである。
なかなかの難題に思えたけれど、やるしかない。
私は「よし」と腕まくりをして、右手の中指に、すみれさんが持たせてくれたシリコン製のサックをはめた。
「!」
指にサックをはめたことで紙のめくりやすさが格段にアップしている。
これは佐倉も使った方が良さそうだ。手のひらに載せたそれを差し出すと、佐倉は無言で受け取る。
それからしばらくのあいだ私たちは確認作業に没頭した。
「椿は、無理だと思わないんだな」
「え?」
「戦史の持ちぬしを見つけ出すことだ」
いったい何の話だろう? 無理だと思ったら、こんな風に気合を入れて作業なんて出来ないのに。
「えーと。無理だと思わないかな。だって、見つけるのが不可能なものを依頼するなんて、小沢様はしなさそうだし……それに」
「それに?」
「佐倉が今回社内誌を確認したいって言って、こうやって資料まで用意してきたってことは、絶対に根拠っていうか自信があるんだなって思って……じゃあそれにしたがえば見つかるんだなって」
「……」
「?」
佐倉が何も言わないので、なんだろう、何か変な事を言っただろうか、と考えていると、タブレットの画面が消えた。
「貸して」
差し出された手にタブレットを渡すと、佐倉はパスコードを打ち込んでから何やら操作をして、すぐにそれを返してきた。
「はい」
どうやら設定を変更して、長い時間操作がなくても消えないようにしてくれたらしい。
「あ。ありがとう!」
「……うん」
佐倉は頷いて、私と同じように、腕まくりをしてから指サックをはめた。
それからタブレットの画面をスクロールして文章をいまいちど確認し、手元の社内誌をめくり始める。
「それらしいあいさつ文が書かかれたものを見つけたら、その次は書いた人を探す」
「えっ、書いた人は、社長──小沢様なんじゃないの?」
「そういう文章は、代筆されている場合も多い。書きたい気持ちはあっても忙し過ぎてリソースが割けなかったり、本人が文章を作るのが得意じゃなかったり。理由はさまざまある」
「じゃあ、誰が……?」
「秘書かもしくは総務の社員。いすれにしても、社長に近い人間だろうな。そしておそらくは、その人が本の持ちぬしだ」
それを聞いて、私は生唾を飲み込んだ。




