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うみねこの鳴く運河の街から 4

 

 小沢様が亡くなり、葬儀が行われる運びになったのは、それから一週間後のことだった。

 それにあたって、奥様は、虎澤百貨店外商部へ、とあるご用命を託された。




 私と佐倉はいま、学校の体育館くらいの広さのホールにいる。

 幾何学模様に星を散らした柄のカーペットが敷き詰められた空間は、古いホテルの式場のような雰囲気だったけれど、それよりは照明が暗い。


 葬儀は、小沢様が会長職を務めていた菓子メーカーが主催する「社葬」という形式で行われるのだそうだ。

 社葬という言葉を、私は今までまったく知らなかった。


「企業の創業者や重役が属していた会社が執り行う葬儀のことを、社葬と言う」


 そう教えてくれたのは例によって佐倉だ。


「小沢様の場合は、ご自身が創業した菓子製造の会社が葬儀を企画して、その費用の一切を小沢家の資産管理を行う会社が支出するそうだから、社葬というより複数企業での合同葬という方が正しいのだろうが……」


 どうやら佐倉は今回の葬儀の形式を社葬と呼ぶべきかそれとも合同葬なのか、それとも全く別の呼び方がふさわしいのか……ということについて、悩んでいるらしい。

 私にはよくわからないけれど、真面目な佐倉の中では大きな問題なのかもしれない。


「そうなんだね」


 悩む佐倉に相槌を打ちながら、私はホールの奥に顔を向ける。そこには祭壇があって、ぎっしりと花が敷き詰められた壇上の中央部分に、小沢様のご遺影が掲げられていた。


「──で、その社葬のための会場の手配だとかのすべてを、今回は及川部長が仕切ることになったんだっけ」


 気を取り直して佐倉に確認したとき、複数の人がホールに入ってくる気配がした。

 入ってきたのは、及川部長と会場のスタッフ、それからオザワ製菓の人たちだ。


「社葬の実務を知っている人間ははっきり言って、少ないからな。しかし今回はさらに特殊ではあるわけだが……」 


部長たちは顔を突き合わせて手元の資料を見ながら、この後の流れの最終確認をしているように見える。

 たしかに、打ち合わせメンバーの中で落ち着いた様子であちこちを指さし、指揮を執っているのは及川部長のようだ。

 百貨店外商部の仕事は多岐に渡るけれど、冠婚葬祭に必要なサービス、物品その他の手配を一気に請け負うこともままあることなのだそうだ。


 老舗百貨店の外商ともなれば、一般の人があまり詳しくない、古く細かいしきたりや「いわれ」、必要な物品やサービスをどこへどう手配するかを熟知している。

 要するに、豊富な知識や経験のある人間に託してしまえば、オーダーが一回で済むうえに失敗がないというわけだ。 


「及川部長が担当者になったからこそ、小沢様の御本が、全員の目に留まるように出来たってわけね」

「そういうことになるな」

「小沢様の御本」とは、小沢様が今際の際に、奥様へ託した一冊の本のこと。


「小売屋に、頼んでくれ。返してくれ」という言葉と共に遺したそれは、「トゥーキュディデース 戦史」というタイトルの、上中下巻で刊行されたうちの上巻だった。

 一九六六年に発売されたその本の内容は、佐倉によれば「紀元前四三一年からの古代ギリシアのアテナイが、ペロポネソス戦争へと至る経過を記したもので、俺も昔一度読んだきりだ」とのことである。

 その「戦史」という本を、小沢様は誰かに返したいと願っている様子で──けれど奥様にもどこの誰に返せばいいのか、見当もつかない話なのだそう。


 及川部長に依頼するにあたってまずは、先に済ませた密葬のおり、参列した親族に聞いて回ったそうだ。

 けれど心当たりのある人は一人もいなかった。小沢様はそれを予測していて、及川部長の名前を出したのではないか、と奥様は仰っていたらしい。


「お客様の葬儀はどんな形であっても悲しい」と塞いでいた及川部長も、いまは静かに奮起しているように見えた。


「佐倉君と椿さんは、メモリアルコーナーの設営に立っていて欲しい。小沢様の例の御本に心当たりのありそうな人がいたら、マークして」

「メモリアルコーナーですね」

「承知しました」


 私と佐倉は、目を合わせて頷いた。

小沢様の御本──「戦史」はいま、小沢様の経歴や趣味について展示したメモリアルのコーナーの入り口に、目立つようにして「小沢様が臨終の際に持ちぬしに返したいと願った本です。お心当たりのある方はぜひ、名乗り出てください」という説明書きつきで目立つように展示されている。

 どんな風に展示して説明書きをすればいいのかは、現場の懸案事項だった。


 しかし小沢様と三十年以上の付き合いがあり、人となりをよく知る及川部長が「どういう言葉や方式で、というのは小沢様が気にされるところではないでしょうから、率直な説明書きで良いのではないでしょうか」と提案し、入り口での展示となったのだ。


 私と佐倉はさっそく、メモリアルコーナーのある下の階へと移動する。

 古くて薄暗いリノリウムの階段を降りてそこへたどり着くと、まるで博物館にいるみたいな気分にさせられた。

 多趣味だった小沢様のメモリアルコーナーは、実際小さな歴史資料館の常設展示くらいの規模になっている。


 大きな肖像の右隣に経歴を記したパネルがあったりして、それを見て私は自分の出身地が小沢様と同じ、北海道の小樽市であることを知ったのだった。

 他にも、小沢様が創業に至った経緯などの事柄がたくさん紹介されていて、思わずじっくり見入ってしまいそうになった。


 後ろ髪を引かれつつ、佐倉と一緒に、順路を逆から歩いて入り口へ。

 そこには、「戦史」の書影を引き延ばしたパネルが大きく展示されていて、まるでこのコーナーのテーマのようになっている。展示の中に戦史(ほんものではない)がある?

 書影が大きく飾られているのはあくまで、この本の持ちぬしを探すためのことだから、決して「戦いの歴史」ということがテーマではないはずなのに──でも、


「なんだか、しっくり来るね……」


 と、私は思わず口に出してしまった。失礼な言い方だったかなぁ、と反省していると、


「そうだな──実際、小沢様は戦中戦後を生き抜いて、会社を大きくした方だから──戦った時もあったんじゃないか」


 佐倉がそう言ったので、「そう、私もそれを言いたかったんです!」とばかりに、何度も頷いてしまった。

 本当に、そうなのだ。小沢様は戦時中と戦後の大変な時に青春時代を過ごして、大学を卒業後に東京に移った。


 高度経済成長期、千駄木にサカサクラゲがあった時代に下積みをして、三十代で独立創業、その後もさまざまな時代の波を乗り越えてきたのだ。

 小沢様のお宅に初めて伺った時の、長い眉毛の下からの、鋭い目つきを思い出す。


「持ちぬしの方──現れると良いね」

「そうだな」


 私と佐倉は、頷き合っていた。

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