第四話(小樽編) うみねこの鳴く運河の街から
世田谷区のとあるお宅に、及川部長と私、佐倉の三人がかりでやってきたのは、納品する品の数が多かったからだ。
対応に出てきたお手伝いさんに挨拶をしていると、杖をついて、奥から人がやってくる。
「おうっ。小売屋ァ。来たか」
なんとも威勢のいい「ご挨拶」。もうすぐ御年九十五歳の小沢様は、ニヤリと笑ってから、及川部長を杖で小突くふりをした。
「小売屋とはまた、ずいぶんですな」
「ナニィ、じゃなきゃ御用聞きが良いか」
「そっちの方が僕は好きだなぁ」
小沢様が部長とお話している横で、私と佐倉はお手伝いさんの案内にしたがい、持参した品を運び入れた。
基本的に、こういった納品の業務は、配送業者にお任せすることの方が多いらしい。
ではなぜ今回のように、外商員がみずから納品をするパターンがあるのかというと、それにはやはりメリットがあるからなのだそうで。
たとえばお客様の近況を知ることで、外商員は、必要な商品やサービスについて心づもりをして、業務の下地を作ることができる。
そして大きいのは、佐倉曰く、
「近接性バイアスを軽視する外商担当は滅びる」だそう。
近接性バイアスとは、簡単に言うと。
顔を合わせたり物理的距離が近くなる機会の多い人──要は、会って仲良くすることが多い相手に対して、人は親近感を抱き、優遇したくなる……という、心理的効果のことなのだとか。
普段から商品を買ってもらったりして、良い関係を築けているからと言って、顔を見せるのを疎かにしていると、お客様との関係性は悪くなり、必要なサービスもわからなくなるという話らしい。
今回小沢様のお宅に納品するのは、渓流釣りを始めるのに必要な道具の一式に、海釣りを始めるのに必要な道具の一式、それから屋内用燻製器の大型のものが一台。大きな箱に入ったものをいま、佐倉が車の荷台から降ろしている。
まるで、新しい趣味を始める三人分くらいの品々だ。けれど驚くべきことに、これらはすべて小沢様ひとりのものらしい。
これくらいの年齢で、そんな気力に満ち溢れているなんてすごい──と、こっそり感心していたつもりが、表情に出てしまっていたらしい。小沢様が、私を覗き込んできた。
白く長く伸びた眉毛の下から、鋭い瞳が私を射貫く。
「──俺はかたちから入る人間なんだ」
「す、素敵ですっ」
アワアワしつつ何とか答えると、小沢様がニヤッと笑った。びっくりして体が咄嗟に佐倉のいるところへ走ってしまう。
自分の背中の後ろに隠れた私を振り返る佐倉は、怪訝そうな顔をしていた。
「なに?」
「すみません、なんでもないんです」
自分の落ち着きのなさに、顔が熱くなった。恥ずかしさを紛らわせようと、荷物を降ろしている佐倉に手を貸そうとしたら、「いや大丈夫」と追い払われる。
察しの悪い佐倉にきぃっ! と(八つ当たりだけど)なっていたら、後ろから声がかかる。
「外商さんがた。美味しいお菓子がありますから、どうぞ呼ばれていってくださいな」
救世主となったのは奥様だ。
旦那様よりずいぶん若い、七十代くらいに見える奥様は、おっとりと微笑みながら私と佐倉を手招きしていた。
小沢様には今回購入した品を使っての野望があるそうで、及川部長に向かって熱く語っている。
私と佐倉は言葉に甘えて、お宅に上がらせていただくことにした。
ペルシャ絨毯にアンティーク調のテーブルや椅子が置かれた応接室に通される。
雉、雄の孔雀、フクロウなどの剥製、信楽焼のたぬき、壺、積みあがった古い百科事典、置時計などなどが並んでいるせいか、部屋の中は博物館のようななつかしいにおいがした。
こんなに色々なジャンルのものが置いてあるのに、自然と見た目の調和が取れているのが素晴らしい。何も雑多な印象は抱かない。
唯一落ち着かない点を挙げるとすれば、剥製たちがご主人様ゆずりの眼光の鋭さで、並んで座る私と佐倉をにらみつけてくることだ。
「お紅茶はプリンス・オブ・ウェールズですよ」
おっとりした口調で奥様はそう言い、手ずからお茶を注いでくれた。
「若いんですから、たくさん召し上がってくださいな」
「ありがとうございます……」
私と佐倉が声をそろえて恐縮すると、奥様は微笑んで応接間を出て行く。小沢様と話し込んでいる及川部長を呼びに行くのだろう。
「……」
私は、銘々皿に鎮座したモンブランを、無言で見下ろした。
つやつやとした、大ぶりな渋皮煮が載った見目麗しいモンブランが、「栗の香りは飛びやすいんだから、一秒でも早く食えっ!」と、私を急かしている。気がする。
にもかかわらず、私がフォークを握るまでにやや間があったのには、理由があった。




