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123で、こっちを向いて。 8 ※環希視点

たくさんお読みいただき、ありがとうございます。

この後も、お楽しみいただけますように!

 虎澤百貨店の若者二人──あやみちゃんと佐倉君は、とても良い働きぶりを見せてくれた。

 いまこの別荘を所有している人が雇っているという中川さんも、気働きが素晴らしい。

 食事は美味しかったし、久しぶりに家族全員でゆっくり話せた。


 暖炉の前でホットワインをいただきながら次は、そう──「思い出のテラス作戦」だ。

 既に美宇が動いていて、修平さんをテラスに誘導してくれている。

 何気ない様子で「おとーさん、テラスってどこ? 見に行きたい」と訊ね、修平さんと廊下へ出て行った娘の背中を頼もしく思いながら、私はスマートフォンに目を落とした。


 この後の連携は、メッセージアプリで確認し合って、タイミングを窺うことになっている。

 美宇からは既に「テラスにオヤジ、配置してきましたー」と、メッセージが届いていた。


「えっ、もう?」


 テラスに配置してきました、というのは、「飲み物を取ってくるから待っていて、と理由をつけて修平さんをそこにとどまらせている」という意味だ。

 こんなに気持ちが緊張するのは、いつぶりだろう。 

 立ち上がるのが怖い気がしたけれどとりあえず、「了解しました」とメッセージを返す。


「えーと、じゃあ、うん。行きましょうか……」


 ふわふわした気持ちで、私は席を立つ。

 廊下へ続く出入り口にはあやみちゃんが立っていた。


「ご武運を」


 可愛い顔に似合わない、戦国の武将のような厳かな言い方で、あやみちゃんは言った。


「『例のもの』は、タイミングを見つつ、佐倉が食堂のテーブルの上に置いておきますから」


 あやみちゃんは片手にスマートフォンを持って見せた。

 どうやら、こっちはこっちというか、あやみちゃんは同僚の佐倉君と連携しているらしい。

 頷いた私はきっと、情けない顔をしている。


「緊張してきちゃった……」

「大丈夫です。楽しんでください」

「ありがとう」


 絨毯敷きの廊下を進み、階段を降りる時には、ドキドキしながらそうっと足を進めた。

 この場所が一番、音が響きやすい場所なのはよく知っている。だから、可能な限り気配を殺して。

 玄関ホールから、誰もいない食堂に足を踏み入れて──窓の外にテラスの柵が見えた時、指がわななきそうになる。


 この気持ちには、覚えがあった。

 修平さんと二人で、はじめて一緒に出かけた時の待ち合わせで。

 結婚式の、バージンロードへ続く扉の前で。

 見つけて欲しくない。でも、早く会って話したい。それと同じ気持ち。

 一度立ち止まって、呼吸を整え、また歩いた。


 長いテーブルをはさんで向かい合った椅子たち。その一番奥の席に、銀のトレーに置かれた透明の瓶ビール──飲み口にくし切りのライムが詰められた、コロニータ・エキストラがあった。

 これは彼にプロポーズを受けた時、未成年だからとオレンジジュースしか飲ませてもらえなかったことの意趣返しをしたくて、用意してもらったもの。

 今度は私が彼の背中に声をかけたくて、考えたサプライズ。

 結露して薄くくもったコロニータ・エキストラの瓶を見てある思いに駆られ──私は口角を上げた。

 結婚してからずっと、抱いてきた思いがある。


──修平さんが音楽の道に進まず、私と結婚してくれたのは、彼が優しいから。義務感で。

 これが頭をよぎったら、すぐに無視して、にっこり笑ってごまかして、前向きなことを考えるのが、私の掟。

 ふぅ、と息をついて、前を見る。もう間もなくだ。

 テラスへは席の後ろからすぐ、外に出られるようになっている。

 どうかこちらに背中を向けていますように、と願いながら、私は足を踏み出した。


「え」


 修平さんの姿が見当たらない。どこに──もしかして、失敗? 何か行き違いがあったのだろうか?

 混乱しているうち、背中に声がかかる。


「振り向かないで」

「──!」


 驚いて、肩が跳ねた。

 修平さんの声が、後ろから。

 作戦を失敗してしまった──と思ったのは一瞬で、すぐに言葉の意味に気が付いた。


「あ……」

「──三秒数えて、こっちを向いて」


 二十年前と、同じ場所で、同じ言葉で、同じ立ち位置。

 すべてを理解すると、胸の中の芯が熱くなって、涙がこみあげた。

 彼は、修平さんは、二十年前に私にしてくれたサプライズを、もう一度してくれようとしている。

 言われたとおりに三秒数え、振り向いた先に、彼は柔らかく微笑んで立っていた。


「……私の方から仕掛けたかったのに」

「これは僕の専売特許だよ」


 そう言って、修平さんは私を抱きしめた。


「二十年、ありがとう。あまりかまってあげられなくて……本当にごめん」


 私は頭を横に振る。

 彼は私の父に認められるため、音楽を捨てた。

 だから私は、彼の優しさにつけこんで人生をゆがめてしまった気がして、申し訳ない思いでいっぱいで。

 償うことと、感謝の気持ちを伝え続けることは、とにかく欠かさないようにしながら、年月を重ねて。

 見返りなんて求めちゃいけないし、もちろん幸せなはずなのに、苦しくなる時もあって。

 そんな折、出会ったのがあやみちゃんだ。


「考えること」から少し離れたかった私は、外商を頼ることにしたのだ。

「ごめんなさいは、こっちのセリフよ。申し訳ない気持ちでいっぱいなの」

「僕が音楽をやめたのは、何度も言うように、才能の限界を感じたからだ。結婚したことが理由なんかじゃない」


 こういう話も、なかなかする機会をもてなくてごめん、と修平さんは言い、抱きしめてくる腕に力が入った。


「……あなたは優しいから、私と一緒にいてくれるんだと思ってた」


 そう言うと、修平さんが驚いた気配がして、顔を上げた。


「変なことを言う。僕は好きじゃない人と結婚するような聖人じゃない」


 ああでも、と修平さんは続ける。


「君が誤解をするのも仕方のないことだ。僕はずっと、認めてもらえるように必死だったから──って、言い訳みたいだけど」


 情けなさそうに笑って、修平さんは真剣な顔になる。


「今日、役員人事についての話し合いが内々であった。春には僕が本社の社長職に就く」

「……!」   


 私は思わず顔を上げた。


「上野で腐りながらコントラバスを弾いてた、あの情けない僕が。プレッシャーでしかたない」


 朝松の跡取り候補は、朝松の家に入った彼だけではない。

 私の親戚筋の男児や、従姉妹がむかえた婿が候補として数えられる中、自らが選ばれるために修平さんがした苦労はいかほどのものだったか、私はもっと理解しなくてはいけない。

 修平さんは、「だから」と言って、いま一度、私を抱きしめた。 


「これからも忙しくなるけれど、気持ちが変わらないことだけは約束できるから、一緒にいてくれるかな」


──そんなのもちろん、OKに決まっているじゃないの。

 そう答えようと顔を上げた時、食堂に光が灯った。


「結婚ニ十周年、おめでとー!!」


 同時に響いたのは、底抜けに明るい声だ。

 美宇に連射モードのスマートフォンを向けられた私たちは、笑いながら食堂のなかへ戻った。





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