あやみ、囲われる 2
たくさんの作品の中から当作品を見つけてくださり、ありがとうございます。
どうかお楽しみいただけますように……!
「椿さんは、ご存じなかったんですね?」
「えっ……マ、マロニエをですか」
「ご存じなかったんですね」って。どういう意図でそんな確認を?
たしかに、マロニエのことは知らなかったけれども。だから何だというのだろう?
嫌味という感じではない。思わず口に出てしまった、というふうでもない。
佐倉は新人ながら、お客様への気品のある対応は、他のスタッフをしのぐほど。
先輩スタッフの言うことをきっちりメモに取って、指示された通りに動く謙虚さや真面目さもある。
けれど時どき、私に対しては今みたいに、偉そうな、というか、上から目線のような空気感を出す時が、佐倉にはある。
「それはさておき、椿さん」
佐倉の静かな声に、私は顔を上げた。
佐倉は切れ長の目をこちらにを向けたまま、わずかに顎を動かして横を指す。
「あれは、良いんですか」
「え? あれって……?」
見ると、佐倉が指していたのはテラス席だった。
私がさっき、往来の様子を見つつ、ちらっと覗っていた場所。
「ああ、あれですか」
テラス席には、私や佐倉と同じ年ごろの男性スタッフと、少し年上の、髪の長い女性スタッフがいて、開店準備をしていた。
男性スタッフは中肉中背の短髪で、名前を野々村高志君という。
女性のスタッフは伊川里香さんという。色素の薄い髪を横分けにした、きさくで魅力的で、色っぽさもある、年上の美人さんだ。
高志君は、里香さんの頭に手を伸ばして、里香さんの髪に絡んでしまった落ち葉を取ろうと一生懸命になり、「なかなか取れないなぁ」という感じの苦笑いをしている。
里香さんは恥ずかしそうな表情で顔を少し傾け、口をおさえて笑っている。
その里香さんの笑顔が、すごく可愛らしいと、私は思った。そして高志君も、そう感じているに違いなかった。
二人はさっきから、おたがいにはにかみながら、テラス席の清掃をしている。
この様子を目撃した人全員が、2人の恋の始まりを予感するに違いない、という雰囲気だった。
いやむしろ、既に二人は。
「お付き合い、してそうですよね」
率直な感想に笑顔を添えて、佐倉を見上げながら答える。
佐倉はそんな私を観察するように、じっと見つめてきた。
佐倉が私に「いいんですか」と聞いたのは、「彼氏が他の女性とああいう雰囲気でいるのを許せるのか」ということについてだった。
そう。高志君は私の彼氏なのだ。
情けない気持ちを、口角を上げた微笑みで隠しながら、私は正直ちょっと驚いていた。
お付き合いを公表していない私と高志君の関係を、佐倉が知っていて、しかも言及するとは思わなかったのだ。
まさか、佐倉の知識がそこにまで及ぶとは。
とはいえ、実は佐倉には一度、高志君と二人でいる時に遭遇したことがある。
地元が同じで同学年、この春上京したという共通点のある私たちは、「東京らしいところが観たい」と考え、話し合った。
結果、「テレビでよく見るところに行きたい」ということになり、永田町へ国会議事堂を観に行った。
その時、とある政党の本部施設前で、スーツを着た急ぎ足の佐倉とすれ違った。
挨拶するタイミングはなく、おたがい会釈すらなく別れたその時のことを、佐倉はしっかりと覚えていたらしい。
まぁ、それはさておき。
私と高志君は、お付き合いしていることを同僚の人たちに特に公表していない。
だからこの場合、里香さんは悪くないと私は思っている。
「別に……良いも悪いもない話です」
しいて何でもなさそうな声で答え、私は佐倉に笑顔を向け続ける。
そうだ。良いも悪いもない。私が「それはダメです!」と表明したからといって、高志君の恋心の移ろいを、止められるものではない。
既に高志君は、他の女性とああいう甘酸っぱい雰囲気で接しているのを、私に見られてもかまわないというスタンスになってしまっているのだから。
メッセージのやり取りも、直接会うのも、既におざなりになっている。
私にとって、高志君は初めての彼氏だった。だから、こんなにもわかりやすい恋の終わりは、私の人生ではこれが初めてで。
どうしたら良いかわからない。でも何となくわかるのは、ここまで次の人への心移りが明らかな場合、何かのきっかけで高志君の心が私に留まったとして、もうどうにもならないということだった。
まだ、高志君のことを好きな気はする。でももう、以前と同じ気持ちで彼に接することは出来ない。
「向こう、終わらせちゃいますね」
私は佐倉と、そしてテラスの二人に背を向け、清掃作業を再開した。
次回もお楽しみいただけますように!