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123で、こっちを向いて。 4

 壁にかかった無機質な丸い時計が午前十時を指ししめす、その直前のこと。

 私は座っていた椅子から立ち上がった。 


 丸の内虎澤百貨店の事務フロア奥に位置する外商二部の執務室には、私と佐倉の二人しかいない。

 及川部長と先輩二人──板花さんと宮ヶ丘さんは、外出している。

 本当に皆さんよく出歩いているので、私や佐倉のような、遠くに行く時間があったり、ちょっとした届け物やおつかいをお願いできる人員が必要なのは納得だった。


「よいしょ、」


 私は古いせいでキャスターの回りが悪くなった事務椅子を、佐倉のデスクの方へと一生懸命押して佐倉が座る横に移動させた。

 佐倉のデスクにはタブレットとワイヤレスタイプのキーボードと、ペンと手帳が載っていて、他のものは一切置かれておらず、よく片付いている。


 部長のデスクには、担当している奥様たちからいだだいたと思しき、千代紙を貼り合わせた茶筒だったり、人気キャラクターを模したキーホルダーだったり、鈴の付いたお守り風巾着(ちりめん)が飾られている。 

 宮ヶ丘さんのデスクには、USBで稼働する小さな加湿器と福島県のの民芸品「赤べこ」、

 板花さんのデスクにはエッフェル塔のミニチュアや小ぶりな地球儀──といったぐあいに、みんなデスクになにかしら個人の趣味のものを置いている。


 けれど、そういうものがない佐倉のデスクには、かえって佐倉の個性が顕れていた。


「……なんで横に並ぶんだよ」

「だって、向かい側だと遠くて話しにくいですし」

「まったく……」


 何がまったくなのだろう。私だって「まったくだなんて、まったく嫌味ったらしい」と言ってやりたい。言わないけど。

 私がはるばる佐倉のデスクに出張ってきたのには、理由があった。

 美宇ちゃんのお母さん──環希さんからお願いされた結婚ニ十周年パーティーの企画立案。

 佐倉に相談を打診したら、「十時からなら」と言われていたのだ。

 佐倉は頬杖をつきながらこちらを見る。


「お客様からさっそくこういうご用命をいただいたなんて、椿はなかなかやるな」

「! ……ま、まぁ人徳ってやつ? です」


 褒められるとは思っていなかった。不意打ちを食らって、もごもごうそぶいてしまう。

 それから気を取り直して、私は口を開いた。


「えーと。今回ご用命を下さった朝松環希様は、自動車の主要部品を製造するメーカーの創業家に生まれ育った方。旦那様とは、「子どもの結婚相手は親戚一同の協議で決める」っていう代々の決まりに沿うという形ではあったけれど、恋愛を経てご結婚されたそうです」


 佐倉は頬杖をついたまま私の話に聞き入り、そのうえで質問をはさんでくる。


「その旦那様は、今は創業家の一員として経営に携わっている?」


 私は目を見開いた。佐倉の言った通りで、旦那様である修平さんは、いまは役員の立場にある。


「どうしてわかったんですか?」

「娘婿を最有力の後継者候補とするのは、企業の創業家ではよくあることと言える。企業戦略の本にも記されているくらいだ」


 佐倉はそう言って、


「たとえばかつて大阪船場の商家では、優秀な番頭を娘婿にして家業を継がせる伝統があった。世界にはばたく家電メーカーを立ち上げ「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助が後継に選んだのも娘婿だったし、とある自動車メーカーの後継の社長が全員娘婿なのは有名な話だ」


 と、つらつら語る。

 なんとも興味深い内容に、私は「へぇえ……」と素の声を出してしまった。

 佐倉にも感心だ。よくもまぁ、毎度こんな情報を、頭の引き出しからさらりと取り出して話せるものだ。

 呆気にとられる私に気が付いた素振りもなく、佐倉は「だから」と続けた。


「──旦那様は、とても優秀な方なんだろうな」

「うん。きっとそうなんでしょうね」


 朝松夫妻の背景を共有した上で、本題だ。


「お二人にぴったりのプランにするには、どうしたら良いんでしょうか」


 佐倉はちょっと考える表情になった。


「交友関係は広い方なのか? そうなると、月並みだがお二人にゆかりのある何かをドレスコードにしたパーティーもアリとは思うが……まぁそういう華やかな感じはこれまで多く経験されているだろうし。今回はビジネスの目的でもないし」


 そう言って、頬杖をついたまま首を傾げる。聞いていた私は、ちょっと焦った。


「普段からそういう世界に生きている方に特別なプランを提案するのって、もしかしなくても、かなり難しい、ですよね……?」


 こちらが張り切って考えたプランでも、お客様としてはいまいちに感じてしまうことだってあるわけで……それはなんとか避けたい。


「ど、どうしよう。どうやって考えたらいいのか、さっぱり……」

「あくまで、俺の解釈だが」


 前置きして、佐倉は金属みたいな質感の、ずっしり重たそうなシャープペンを長い指で器用に回した。


「うちの部が重視しているのは、お客様が求める虎澤ならではのプラスアルファと、意外性の加味。つまりエックスだ」

「ファ……? え? エックス……?」


 いきなりわけのわからないことを言われて、びっくりする。


「えーと? どういうことでしょう」

「ひらたくいえば、標準的な内容に、虎澤の独自性あるサービスと、お客様のニーズに基づいた意外性のある何か──つまりサプライズ感のあるサービスを、合わせて提供する」

「サプライズ感……」

「及川部長はこういう言い方をしていた。虎澤の外商員が真心を持って思いついたサービスと、お客様の個性が求めるサービスが共鳴した時に、必ずお客様にいい意味での驚きを感じていただけるのだと」

「いい意味での驚き……難しそう」


 つまり外商には、お客様の心が揺れ動くようなサービスの提供が求められているということだ。


「難しい話だとは俺も思う。でも立ち止まっていても仕方がないから、まずはスタンダードとは何か、を考える」 

「うーん」


 スタンダード……と悩みつつ、思いついたことを挙げてみた。


「たとえば、今時期だったらハロウィンのモチーフを絡めてみる、とか……うーん。でもハロウィンで仮装してパーティーして、楽しくなる……っていうタイプの方ではない、のかも」


 握りこぶしを口もとに当てて、煙が出そうなくらい考えるけれど、全然良い案が思い浮かばない。

 そんな私を見て、佐倉はまたシャープペンをくるりと回す。


「じゃあ、俺ならこういうプランを立てる」


 佐倉が挙げたプランは、次の通りだった。

 最新のアクティビティを無理なく盛り込んだ、ご夫婦水入らずでの旅行。

 プライベートリゾートに親しい友人や親族を招いての、披露宴風。

 新婚旅行に行った先を尋ね歩いて当時と同じ構図で写真を撮り、アルバムとして製本する。

 ふんふんなるほど、と思いながら、私は佐倉の提案をスマートフォンのメモアプリに入力する。

 

「スタンダードだけど、たしかにイイかも……提案して、意見を聞いてみようかな」

「提案と一口に言っても、いろいろとやり方があるけど。構想はあるのか」

「とにかく朝松様が具体的にイメージできるように、視覚に訴えかけられる資料を作ってみようと思います」

「視覚的に、か。良いんじゃないか」

「はい」


 私は膝の上の手をぎゅっと握りしめた。方向性が見えてきて、体の中に気合がみなぎってくる。

 まずは自分の頭の中に浮かんでいることを、いったん紙に書いて整理しよう。

 もちろん、私の独断ですべてを進めて良いわけはない。都度、先輩方や及川部長にも相談し、意見を聞かなくては、と考える。


 自分のデスクに戻ろうと、勢いよく立ち上がる。

 古びた椅子がやる気スイッチの入った私を鼓舞する様に、ぎぃっときしんだ音を立てた。





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