失われた魔法を求めて 9
「目を閉じて」
「薄目になって」
「顔上げて」
「上を見て」
細かい指示のもと、されるがままになっているうち、「えへ。出来た~」という板花さんの可愛らしくも低い声が聞こえて、私は閉じていた目をゆっくり開いた。
メイクブラシを手に持った板花さんの、毛穴ひとつない綺麗な顔が目の前にある。
いったい、何がどうなっているのやら……と不安になっていると、目の前に鏡が差し出される。
「うーんやっぱりあたしって天才かもかもっ」
鏡を覗き込むと、見慣れない雰囲気の自分の顔が映っていて、私は目をぱちくりさせる。
虎澤百貨店事務フロアの外商部の事務室の一画で、私は板花さんにメイクを施されていた。
「どうよ~見違えたでしょ」
「は、はい、たぶん……?」
正直、自分の顔が見違えているのかどうか自分では判別が出来なくて、あいまいな返事をしてしまった。
とにかく、あまり見たことのない雰囲気で、大人っぽい……? ような。
それ以外には、顔全体に重力がかかって重たい気がするということしかわからなかった。
「いやすごいわ、抜け感と透明感と清潔感とポテンシャル解放の暴力だわ、これは」
そう唸ったのは、板花さんの向かいから顔をひょこりとのぞかせた宮ヶ丘さんだ。
たぶん、褒めてくれている……? 恥ずかしくて「えへ」とも「あは」ともつかない声を出しつつ、私は前髪をいじってごまかした。
「ちょっと、そのまま立って。ゆっくりめに、端から端まで歩いてみて」
板花さんに言われて、頷き、立ち上がる。
顔は重たいけれど体が軽いのは、さっき届いたばかりの、外商員用の制服を着ているからだ。
オーダーメイドなだけあって、体にしっくりくるこの制服は、自分で採寸をした。
シャツや洋服のオーダー、直しは頻繁に業務として取り扱うので、採寸は外商員の必須技術なのだ。
部長席の横のほう、部屋の奥にあるホワイトボードのあたりから、出入り口近くにある行動予定表をひとまず目指して、私は歩き始める。
とたんに声がかかった。
「椿。猫背」
「!」
あわてて背すじをぴん! と伸ばしつつ、デスクワークに集中中の佐倉の背中を見た。
向こうからすると死角なのに、どうして私が猫背になっていると勘づいたのだろう?
予定表のところについて、くるりと部屋の中に向き直ると、いまさっきまで電話で談笑していた及川部長がにこにこしながら、部長席の左側に立っていた。
及川部長に、宮ヶ丘さんが何か小さな箱を手渡す。そのまま宮ヶ丘さんにちょいちょいと手招きされて、私は「?」となりながら二人のもとへ歩いた。
「はい。遅くなってごめんね」
及川部長が、恭しく差し出してきたのは、小さなアクリルケースだ。
両手で受け取り、中を見る。
「虎澤百貨店 販売グループ 外商二部アシスタント 椿あやみ」と書かれたそれは、私の名刺だった。
「わぁ……」
生まれて初めての、自分の名刺。目がじわっとして、声にならない声が出た。
手元に見入っていると、「えー改めまして」と、及川部長が手を打ち鳴らした。
宮ヶ丘さんが、及川部長の横に向き直るよう、私の体をくるりと反転させる。
正面には、板花さんと佐倉が両手を前に組んで立っていた。小走りで移動した宮ヶ丘さんは、その横にちょこんと収まってから、私を見てにっこりした。
「椿さんが、虎澤百貨店外商部の一員になって、今日で三週間が経ちました。名刺と制服も無事届いたし、改めてみんなで拍手をしたいと思いますっ」
あたたかく元気な声で及川部長が言うと、三人の先輩部員の拍手をしてくれた。
面はゆい気持ちとは、きっとこういうこと。私は心がきゅうっと締め付けられたようになる。
「これでいっそう、仕事を楽しめるね」
部長の言葉に、はい、と頷く。目にうつる景色がちょっと明るくなった気がした。
この気持ちを忘れずに、これから精一杯頑張りたい。
私は改めてそう決意し、心の底から笑顔になった。




