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失われた魔法を求めて 8

 ご友人を連れての三浦海岸への半日旅行を、蟹田様へ商品として提供して数日が経った、土曜日のこと。

 赤坂のホテルを仮住まいにしているお客様のため、コンシェルジュへ日用品を納品した帰り道、「ここで手早く昼食を済ませるぞ」と佐倉が言って、私たちはラウンジを利用することにした。


 二人掛けの席に落ち着き、私の感覚では少々……というかかなりお高めの金額設定のメニューから、佐倉はパスタセット、私は断腸の思いでチキンオムライスを単品でオーダーした。

 スタッフが去った後、佐倉がテーブルの上に「これ」とスマートフォンの画面を差し出してくる。


「え、なに」


 やたらと照度が低く設定されていて見えにくい画面に、私は顔を近づけ目を凝らす。

 そこには思わず目を留め「られて」しまうような、過激……もとい元気なワードがずらりと、目がチカチカしてくるほどに並んでいた。


『【緊急報告】最強すっぽんまむしドリンク入りプロテインを飲んで筋トレしてみたらえぐいことになったのでみんな見て』

『【意味不明の挑戦】トルコに弾丸渡航! 胸毛を植毛して男ぶりを上げたい』


 私たちが見ているのは、とある動画配信サービスの、蟹田社長のホーム画面だ。


「依頼が来た前後には休止状態だったが、今は毎日動画が投稿されているようだ」


 画面から目が離せない私をよそに、佐倉はそう結論づけ、腕を組んで椅子の背もたれに寄り掛かった。

 私は顔を上げる。


「これがかに……」

「名前を出すな」

『これが蟹田社長の日常だなんて、色んな意味ですごい』。そう口に出そうにとしたところを佐倉にぴしゃりと遮られる。


 私は両手で口を隠し、こくこくと頷いた。

 不特定多数の人が食事をしている場所で、お客様の名前を口に出して話すのは、言わずもがな不用意なことである。


「えーと。これが社長の日常だなんて、色んな意味ですごいですね」


 言い直すと、佐倉がゆったりと頬杖をついて頷いた。


「シナリオや収録、編集なんかの多くの部分はさすがに外部へ委託しているだろうが……企画の撮影を本業の会社経営と一緒にそれをやるのは、なみの体力では難しいだろうな」

「その、普通の体力では難しいことを、魔法という名の元気を取り戻したか……、社長は、

出来るようになったということ、ですか?」

「そういうことだろうな」


 どうやら本当に、蟹田社長は魔法を取り戻して、元気になったらしい。

 良かったという思いは当然ありつつ、私は首を傾げた。  

 佐倉は当然のような顔をしているけれど、わからないことだらけだ。


 魔法を取り戻して欲しいと依頼してきた蟹田社長について、佐倉はSNSの膨大な情報の中から蟹田社長の過去の行動を調べ、仲の良い友人達との三浦半島への半日旅行を企画した──それはなぜなんだろう?

 結果、蟹田社長は水を得た魚のように元気に──魔法を取り戻した状態になったわけだけれど──それはどういう仕組みで?


「いったい、どういうことなんですか?」 


 今日にいたるまで、その疑問はずっとあった。でも気軽に聞けない雰囲気だったので、佐倉から説明があるまでは、と思って聞かないでいたのだ。

 でもいい加減、同じ依頼に関わった人間として、説明が欲しい。

 私がじっと見つめると、佐倉は観念したように口を開いた。


「──俺はその筋の専門家ではないから、考察の域を出ない話だが」


 かなり潜めた声だったので、私は佐倉の方へ身を乗り出し、頭をつき合わせた格好になる。


「おそらく、社長はセロトニンが足りていない状態だった──と、俺は考える」

「……せろとにん?」


 ピンと来なくて首を傾げた私を見て、佐倉はため息をつきながらスマートフォンの画面をこちらに向けた。

 それは厚生労働省が公開している心身の健康に関する情報サイトで、おおまかに次のように記されていた。


【セロトニン(せろとにん)は脳内の神経伝達物質のひとつで、精神を安定させる働きをし、分泌には日の光が欠かせません】。


「日の光……」


【こころもメンテしよう ストレスとこころ】……【うつ病は、「セロトニン」「ノルアドレナリン」が減ってしまう病気だと考えられています。】


 え──うつ、病?


 驚いて顔を上げると、佐倉は冷静な顔で「わからない」というように首を振る。


「社長のSNSを調べると、精力的に発信したり行動したりということをしていたのは、九月が終わるころまで。そしてその頃に動画の企画としてやっていたのが『くらやみマインドフルネス』だ」


 私が頷くと、また佐倉がスマートフォンの画面を切り替えた。

 そこには動画のサムネイル画像があって、どうやらこれが『くらやみマインドフルネス』のものらしい。

 黒い画面の中央に火を灯したキャンドルが置かれ、座禅を組んでいる男性の輪郭を怪しく照らしている。

 動画のタイトルは、『【運命の七日間】くらやみマインドフルネス一週間&ファスティング同時進行で、蟹田はどれだけ生まれ変わるか』。


「マインドフルネスとは、瞑想のようなもの。ファスティングというのは部分的な断食のことで、主に減量目的で取り入れる人が多い」

「えーと……つまり、社長は断食しながら日中も部屋を暗くして瞑想をしてたってこと、ですか?」


 なんだか、すごく大変そうだ。だって、一週間も暗いところで、そのうえ断食ということは、お腹もすいていたはずで。


「この七日間の企画を終えた後、社長は元気な様子だったが、しだいに投稿がまばらになっていった」

「やっぱりこの企画がもとで……その、セロトニンが足りなくなっちゃったってことですよね」


 慎重な佐倉は、これには答えなかった。


「企画をやっていたのが九月の終わりごろ。断食による栄養不足と暗闇での生活の後、何があったか──日照不足だ」


 私は目を見開いた。

 日照不足。それくらいの時期、たしかにどんよりとした天気の日が続いて、毎日暗くて肌寒かった。 

「気温と日照、晩秋並みか 農作物の生育遅れ懸念」というニュースをアプリで読んだ記憶もあった。


「北欧など高緯度に位置する国では、日照時間の少なくなる時期に「ウインター・ブルー」と呼ばれる症状を訴える人が多くなるというが、これは日本においても同様の傾向があるとされている」


 ウインター・ブルーという言葉を私は知らなかったので、スマートフォンで調べてみる。

 トップに出てきたのはメンタルクリニックのサイトだった。冬になると気分が落ち込んでやる気が出ないのは「季節性情動障害」とか「季節性感情障害」によることが多く、これがウインター・ブルーのことらしい。

 症状は、気分の落ち込み、気力の減退、物事を楽しめない、倦怠感など。

 一般的なうつと違う傾向の症状もあって、過眠、過食、体重増加など──これは、蟹田社長のもとへヒアリングへ行ったときに、本人が言っていたこととすべてが当てはまる。


「ヒアリングの時点でそういう気配は感じたが、かと言っていきなり心療内科への受診をすすめるのも悩ましいところだった。魔法という言葉を使ったのは、その時はもう本当にそれしか思いつかなかったんだと思う」

「なるほど……」


 腑に落ちた気分だった。でも、まだわからない部分がある。


「三浦半島に行った理由は? 社長とご友人方のゆかりの場所だからですか?」

「三浦半島は太平洋気候区に属していて、秋から冬にかけて晴れの日が続くことが多く、実際あの時も晴天だった。ということはつまり、セロトニンの分泌に必要な日の光をしっかり浴びられる。そして東京から比較的近く、人混みが少なくて、そのうえ本人も親しんでいる土地となれば言うことはない」


 でもこれに関しては賭けの側面が大きかった、と佐倉は語った。


「踏み切ったのは、過去に似たような依頼があって、同様の気分転換で改善したという事例があったからだ」


 佐倉としては、半日旅行にどれくらい効果があるか懐疑的だったようだ。

 でも私としては、やる気が出なかったり落ち込んでいる時に仲の良い友達に会ったり、話をしたら、それだけで元気が出た──という経験は、たくさんの人がしていると思った。


「でもそれで上手くいったんだから、良かったですよね」


 私はそう言い、にっこりと微笑んだ。

 しかし佐倉は「いや上手くいったかはまだわからない」と、難しい顔で首を振る。


「今後もしばらくの間は勝手ながらモニタリングをさせていただき、備えておく」

「モニタリング? 備える?」


 いったいどういうことだろう? 首を傾げたら、佐倉がきっ! と、意志の強そうな目で私を見る。


「SNSでの投稿の頻度とその内容から垣間見える本人の情緒の安定度合いを確認し、何か問題がありそうならすぐに専門医と繋がれるよう配慮する」

「すご……!」


 佐倉のひたむきな姿勢に、私は素直に感銘を受けた。

 というのも、虎澤百貨店で働き始めてから佐倉がしてくれる礼儀指導は「え……正直うるさすぎない?」と、失礼ながら思ってしまう場面もあり、佐倉に対して生真面目すぎる印象を抱いていたのだ。

 でもそれをこういう形で仕事に活かせるのは、素晴らしい。


「私もモニタリング、一緒に手伝います!」 


 このひたむきさを見習いたい。素直にそう思って、私は言った。

 しかし、握りこぶしの両手に気合いが入っている私に対して、佐倉の返答はあまりにも素っ気ないものだった。


「いや別にいらないけど……」


 思わず、ずっこけそうになる。というかずっこけた。


「なんで!?」

「この程度の業務をただでさえ専門知識のない二人でやる意義は少ないし、正直、俺が求める精度で椿にモニタリングができるかどうか──」


 私の能力に不安がある、とでも言いたげな顔で眉間にしわを寄せ、佐倉は首を傾げた。さらに、


「見習いたいのであれば、セロトニンを増やす作用が期待出来る食品を商品として社長にレコメンドできるよう調べておくとか、それくらいのことを言って欲しかった、かな……」


 と、憐れむような顔で言う。

 とどめに「何か申し訳ない」と手を合わせて詫びてきた佐倉を前に、私はテーブルに突っ伏した。

──は、腹立つ。

 佐倉の言っていることは、正しい。それはわかる。わかるけど。

 でも、新人に対して求めすぎてるし、何より顔が。顔が腹立つんですけど……!

 そんな調子できぃっ! となっているうち、オーダーしていたチキンオムライスが運ばれてきて、おとなしく私は体を起こした。


「いただきます」

「……」


 小さく佐倉が言って食べ始めるのを前に、私は「じっ」と目の前のチキンオムライスを凝視していた。

 実は私個人としては、この金額のオムライスを仕事の合間の「サク飯」としてオーダーするのはかなりの冒険で。

 だから、その姿を目に焼き付けたかった。とにかく、そういう気持ち。


「いただきます……!」


 いよいよ、薄焼き卵にスプーンの先を差し入れる。

 しっかり目に焼かれた薄焼き卵は見た目よりずっと柔らかい。チキンライスと一緒に頬張ると、ため息が出るほどに美味しくて、手が止まらなくなる。

 フレンチドレッシングでいただく付け合わせの千切りキャベツは淡雪のような外観で歯触りが良く、新たな感動と発見をもたらしてくれた。


「美味しい……!」

「そこまでの気迫でランチに臨む人間は初めて見たな……」


 呆れ顔の佐倉に答える余裕はない。ただ一心にチキンオムライスに向き合い続けることが、今の私にとって一番の「すべきこと」だった。

 そんな私を見て、佐倉がまたぽつりと言う。


「まぁ、健康で何よりだと思う」

「?」


 どういう意味だろう? と一瞬思ったけれど、ああそっか、とすぐに理解した。

 ちょっと前に、私は自分の失恋を目撃していた。

 あの時に美味しい食事を出されて「どうぞ、美味しく召し上がれ」なんて言われても、今みたいな感動を感じることはなかったはずで。


 楽しく食事をとる。存分にその美味しさを堪能する。それによって幸福感を味わう。

 これはきっと、当たり前のようでいて、健康でなければ出来ないことなのだ。

 魔法が戻った蟹田社長も、きっとそうに違いなかった。 




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