失われた魔法を求めて 7
締め日から二日後。
今日は日曜日で、天気は久しぶりの快晴。
空は青に黄色をわずかに混ぜたような「秋晴れ色」で日差しはまぶしい。見ているだけで暖かかい、湘南の街の景色がそこにはあった。
住宅街を歩いていると、少なくない頻度で柑橘類の木があって、濃緑色の葉の茂みの中に、黄色だったり橙色だったりのまるい実が生っているのが見える。
(みかん……!)
私の地元である北海道には、柑橘系の木が無い。
なので自分の眼でみかんの木を見ると感動してしまうのだけれど、これはおそらく北海道出身者あるあるだ。
同じように、竹やぶ(とタケノコ)と柿も地元には無いので、これも目に入ると嬉しい気持ちになるんだよね──と、ほのぼのしていたところ、冷たく強い風がごぉっと急に吹き付けてきた。
「ぶっ……」
早起きしてしっかりセットした前髪は一気にオールバックになって、日差しの強さと風の冷たさの二段攻撃に、目が開けられなくなる。
とにかく正面からの風を避けようと、私は風下に体を向けた。
「うぅ、風つよ……」
「海がすぐそばだからな」
弱々しい私の声に比べ、佐倉のそれは事務室にいる時と変わらずだった。
見ると私と同じように強風に吹かれて、額も出てるし目も細めているものの、私と比べて外見に支障をきたしていないどころか、むしろプラスになっているように見える。
イケメンすごいなぁと、素直に私は感動してしまった。
まぁ、それは良いとして。
午前中まで緊張していたはずなのに、私は暖かく優しい三浦海岸の景色にすっかり癒され、ほのぼのとした気持ちになっていた。
「多少の風はあるにしろ、晴れて良かったな」
「うん……そうですね」
「魔法が消えた」という蟹田様にヒアリングをしたのが先週の金曜日。
今日は、佐倉がその蟹田様のために企画をして、「虎澤百貨店外商部ならではのアプローチ」をしかけている。
その内容は、驚くほどにシンプルだった。
蟹田様を薄暗いタワーマンションから連れ出して、仲の良いご友人の方々と合流してから、のんびりと散歩や食事を楽しんでいただく、ということ。
その付き添いで私たちはここ神奈川県の古くからの名所である、三浦海岸へと来ていた。
「蟹田様は、「魔法がなくなる」前の夏には頻繁に、この三浦海岸へご友人とサーフィンをしに訪れていた。そしてそのことをSNSに投稿していた」
それを聞いて、私は「えっ」と声を漏らした。
「そこまで投稿をさかのぼるのって……すごく、大変だったのでは?」
だって、蟹田様は今でこそSNSの更新が途絶えているけれど、それ以前は一日に多い時で三十件くらい投稿をしていたのだ。
「それを数か月ぶん遡って確認って……」
間違いなく、ものすごく、大変だったはずだ。でも佐倉は、
「造作もない」
と、こともなげに答えた。
──どうやら、虎澤百貨店の外商部はお客様の要望に応えるために、そこまでするらしい。
それを同い年の同僚がやっているということを知ると、私は正直、恐ろしいような頼もしいような……とにかく複雑な気持ちになった。
けれど、
「うぁーーっ! マジ気持ち良い」
前方で歓声が上がって、顔を上げる。
そこには、あのタワーマンションの時とは別人のように明るい表情でお友達と笑い合う蟹田様の姿があった。
「丁寧な調査確認の甲斐があって、「魔法を取り戻す」ことに成功した……ってことでいいんですよね?」
「……」
佐倉は何も答えない。私もそれ以上追求して聞くような真似はしなかった。
というのは、先週のヒアリングの後から佐倉は何かに対してとても慎重になっていて、しつこく聞くのは野暮な気がしたのだ。
賑やかな一行を前に、私たちは無言で歩く。
美しい碧をたたえ、陽光のきらめく海のすぐそばには、地魚のお寿司や料理が食べられるお店が軒を連ねている。
海に隣接して地元の新鮮な魚介や野菜、加工品を売る市場もあり、この近くには、蟹田様のご友人の車が停まっている。
いま、時刻は午後三時を回ったところ。
一行は佐倉の提案で朝早くに都内を出発し、午前中は海岸線のドライブと散策を楽しんだ後、提案にはなかった水中遊覧船に乗船した。
私たちは着かず離れずの距離でご一行を見守り、お昼には地場で獲れた新鮮なアジのふわふわなフライと、老舗の技が光るちらし寿司(佐倉はこのお店の椎茸の佃煮が美味しすぎると目を瞠っていた)をいただいた。
市場でおみやげを買った後は半日の楽しい旅もそろそろ終わりで、これから帰途につくという流れだ。
「それにしてもみなさん、服装も話し方もカジュアルというか、全然気取っていないですよね」
蟹田様のご友人は皆さん経営者らしい。今回集まったのは佐倉が外商部の伝手を通じて声をかけたうちの数名で、こちらの急な提案に何とか都合のついた人達だ。
経営者と聞いて、庶民の世界で生きてきた私としては少々緊張していたのだけれど、皆さんとても気さくで、私みたいな新人にも明るく接してくれて。
そんなことを考えてほっこりした気持ちになっている私の横で、佐倉も頷く。
「彼らの身につけているアクセサリーや時計類はどれもハイブランドの逸品。加えて、将来的にリセールした際には購入時よりも間違いなく価格が上がっているような──つまり気取らないように見えて資産運用をファッションに取りこんでいる」
と抜け目ない目つきで語った後、佐倉は私を見て続けた。
「今俺が言ったことは外商でモノを売る仕事をしていくうえでとても大事なことなので、覚えておいた方が良い。商品の資産価値をしっかり示すのは、お客様のためにもなる」
「……承知しました」
こんな素敵な海辺の町で、そういうウラ話みたいなことは正直聞きたくなかったような……。
でも私たちがここにいるのは遊びではなくそもそも仕事のためなのだ。そう考えなおして、私は言われた通りにスマートフォンでメモを取っておく。
そんなやりとりを交わしたあと、私たちは今日のお礼とお見送りをすべく、蟹田様ご一行のもとへと足を速めた。
ちょうど車に乗り込む前の絶妙なタイミングで合流したのち、佐倉が完璧な頃合いを見計らって一人一人に恭しくお礼の言葉を述べた。
「本日は、ありがとうございました」
最後に佐倉が声をかけたのは蟹田様だった。蟹田様はすごくご機嫌なようすで、
「いやいやこちらこそだよマジで。虎澤の外商さんてやっぱすごいわ」
と言い、私の顔をまじまじと覗き込んでくる。
「いやもうなんかほんと、元気になったっていうか──そう、魔法が戻った。今なら何でもできる気がする」
蟹田様は早口に言って佐倉へ向き直り、
「今後ともよろしく。板花さんに俺の知り合いとか、いろいろ紹介させてもらうんで」
と、頼もしい言葉を口にした。




