失われた魔法を求めて 5
空はどんよりと曇っていた。ただでさえ「秋の日は釣瓶落とし」で日照時間が短くなっているところに、このところ天候不良が続いていて、農作物の生育遅れがニュースになるほどだった。
そしてすっかり寒くなった。日差しがある時は暖かかった空気が、ここ数日でぎゅっと冷え込んで、一気に秋が深まったように感じる。
蟹田様のお宅がある港区麻布へ、私たちは車で来ていた。
「港区内の麻布、青山、赤坂の三地区には新旧の富裕層が多く住んでいて、その筋のマーケティングの際には頭文字を取って3Aと呼ぶ」
「麻布、青山、赤坂……」
歩きながら佐倉が解説してくれるのを、ぼんやりと反芻した。
三つの地域はいずれも、高級住宅街としてよく名前が挙がる場所だ。
「3Aには経営者や起業を考えている人たちのコミュニティがいくつもある。総称して、港区会と呼ばれたりもする」
「経営、起業、港区会……」
いずれも私には馴染みの薄い言葉だ。
「あと、明治の時にはこのあたりは桑畑だったそうだが。今は見る影もないな」
「く、桑畑……?」
急に毛色のちがう話題が出てきて、私は面食らった。
けれど、桑畑のあった場所に、今は富裕層と呼ばれる人たちが住んでいるというのは、想像するとちょっとほっこりする話ではあるのかも……?
考えていると、突然、佐倉が黒いシリコンケースに入った重たい板状のものを差し出してきた。タブレットだ。
「これ、ちょっと見てみろ」
言われるまま受け取り、黒い画面をタップして、外商部の専用パスコードを六桁打ち込む。
表示されたのは、とあるつぶやき系SNSの、特定のユーザーのプロフィール画面だった。
ユーザー名は、
「か、かにやん社長……?」。
アイコン画像は日に焼けた短髪の若い男性の横顔だった。
直近の投稿を見ると、どうやら暗闇で瞑想をしたり、会食で増えた体重を元に戻すためにダイエット食品をいろいろ試したりして、その様子をライブ配信したりもしているらしい。
ホーム画面の背景画像は、暗闇の中キャンドルに照らされた「かにやん社長」が目をつむった顔のドアップ。
私は一体、何を見せられているのだろう──というか。
「かにやん社長って、誰、ですか……?」
思いっきりいぶかし気な声が出てしまった私を、佐倉がハンドルを握ったまま、チラリと横目で見てくる。
「魔法が消えてしまったのは、その方だ」
「……え」
「蟹田様のSNSだ」
「えええええ?」
私は目をむき、今一度、画面に目を落す。
かにやん社長の投稿はいずれも、なんというかマッチョなメンタリティを感じさせる現実的なものだった。
エアロバイクを漕ぎながら仕事をする様子の投稿だったり、クラブでシャンパンタワーをオーダーして、経営者仲間に振舞ったり。
ゆえに、魔法などというある種のファンタジーなワードとは一切縁が無さそうなのだけれど……。
「こういう変わった依頼が来た時、まず重要になるのは「そのお客様の人となりをよく知ること」だ。SNSのアカウントを持っている方であれば、投稿の傾向からその人の考え方や趣向を垣間見ることが出来るから、それも重要な道しるべになる」
「な、なるほど……」
そのうち私たちは、とあるマンションに着いた。
そのマンションは、高級ホテルのような外観だった。
黒を基調としたシックな雰囲気のエントランスは、木組みのオブジェが置いてあって、柔らかい炎のような明かりがともっている。
コンシェルジュに用件を伝えて中に通してもらい、私と佐倉は滑らかに上昇するエレベーターで上階へと向かった。
部屋の前にたどり着き、佐倉がインターフォンを押すと、「はい……」と、男の人の静かな声が聞こえた。
電子式のロックが解錠され。中に入る。
タイトなつくりの玄関に立っていたのは、シャツとスラックス姿の、中肉中背の男性だった。
「虎澤百貨店から参りました、外商部の佐倉と申します」
佐倉は恭しさを前面に押し出してかすかに微笑み、男性に挨拶をした。
先頭を切ってくれたことに安心して私も、
「椿と申します」
と、内心の緊張など微塵もおくびに出さず、穏やかに挨拶することに成功した。
なんのことはない。『穏やかでソツがなく、知的な印象を持たれたい場合には声のボリュームを下げるのが手っ取り早い。加えて言うならゆっくりを意識して話すこと』という佐倉の教えに従ったのである。
「……」
男性はぼうっとして、黙ったままだった。
「──本日は、よろしくお願いいたします」
佐倉が挨拶の場をもうひと押しし、二人で一緒に会釈をすると、男性はようやく微笑んで、
「あー。どうも、ええと……虎澤さんの板花君にはいつもお世話になって……蟹田と申します。とりあえず、上がって」
と、奥に案内する素振りを見せた。
いま相対しているこの男性が蟹田様だということに、私は正直驚いていた。
この人が、『かにやん社長』? 本当に? SNSでの印象と、まったくちがう。違い過ぎて、混乱する。
目がぱちくりする思いだったけれど、佐倉に目線で促されて、一緒に部屋の中へ入る。
蟹田様が立っていた玄関はお湯と石鹸の香りがして、湿度があった。
一方で、なんというか──ほんのりと、生ごみのようなにおいがする。
廊下を歩いて、リビングルームへと案内される。
リビングルームは暗かった。もうそんな時刻なのか、と一瞬びっくりしたら、カーテンが閉められていたことに気が付いた。
「電気つけて」
蟹田様の一言でスマートスピーカーが作動し、部屋の中にオレンジ色の照明が灯る。
「えーと……とりあえず、そこに」
蟹田様が座るL字のソファの向かいに、そろいの三人掛けのソファがあって、私と佐倉は「失礼します」と腰をおろさせてもらう。
佐倉がさっそく本題に入り、「板花の話では、〝魔法を取り戻して欲しい〟ということでしたが」と、言葉そのままに切り出した。
事前に車の中で「お客様は忙しい方も多いから、邪魔にならないようサクサク話を進めるぞ」と言っていた通りだ。
「ああ、それねぇ。虎澤の外商はそういうの、大真面目に聞いてくれるって噂。本当だったんだな」
そう言って、蟹田様はローテーブルへ気だるそうな視線を落とす。
「魔法が消えた、本当にそうとしか言いようがないんだよ。どうしたらいいのか、まったくわかんなくて」
横目でうかがうと、佐倉は静かに頷き、話に聞き入っていた。
蟹田様は今の状態を『魔法が消えた』以外にどう言葉で言い表せば良いのかが思いつかないらしい。
この状況に気乗りもしないようすで、「うーん、なんていうかなぁ。なんだっけ。言葉が出てこない」と言いよどんでいる。
佐倉は慎重にタイミングをはかってから、いくつか質問を投げかけた。




