失われた魔法を求めて 3
たくさんの作品の中から見つけてくださりありがとうございます。
お楽しみいただけますように。
廊下へ通じる扉が閉まってから、私は右隣の宮ヶ丘さんをそっと伺う。
宮ヶ丘さんは、ウェリントン型の大きな黒縁メガネに、ボブカットが印象的な美人さん。
黒いジャケットを羽織った肩は幅が狭く細く、とても華奢な体型で、色白なのもあって儚げな印象の人だった。
今は「集中中」の言葉どおり、ノートパソコンに向かって猛烈な早さでキーボードを叩いている。
ちらりと見えたチャットの画面にはアルファベットが並んでいた。どこか外国の相手──おそらくは商談をしているようだ。
宮ヶ丘さんはもともとは虎澤百貨店の商品部でバイヤーを務めていたそうで、絵画やアート作品、骨董などのコレクション系や布地の仕入れを得意分野としているらしい。
今もその経験を活かして仕事をしているそうなので、それに関わるやりとりをしているのかもしれない。
「あの、すみません。騒がしくしてしまって」
タイピングが途切れたタイミングで、私は宮ヶ丘さんに声をかける。
「……」
「……え」
返事を待っていると、宮ヶ丘さんの眉間にみるみるしわが寄った。
それを見て、私は冷や汗をかいたような気持ちになった。
し、失敗した。かえってお仕事の邪魔になってしまったのかもしれない……!
そう思って焦っていると、
「ふっかけやがって、このぽんぽこじじいめっ」
お人形のような容姿からは想像もつかないような低い声で、宮ヶ丘さんはこんな怖い言葉を口にした。
……ぽ、ぽんぽこじじい??
見た目からのギャップという点では、宮ヶ丘さんも板花さんに負けず劣らずなようだ。
「あ、ごめん。何か聞きたかった?」
我に返ったようにこちらを振り向き、無表情で眼鏡の位置を直す宮ヶ丘さんに、私は笑顔を返した。
「あ、いいえ。何でもないです」
「みんなお疲れさま、飴ちゃんでリフレッシュしてねー」
業務のピークを迎えた部屋の中の空気を和ませるためなのか、及川部長がみんなの席に黒飴の包みを配り始めた。
新人としてお茶でも淹れた方が良いだろうか? 立ち上がろうとしたところで、佐倉がサッと立ち上がる。
それを見た私は、見た目からのギャップという話では、佐倉もそうだと思い出した。
佐倉はちょっと前まで私と同じカフェで働いていた。
韓国の男性アイドルになれそうなくらいに容姿がとても整っていて、女性たちにキャーキャー言われていた佐倉。
でもカフェで働いていたのは潜入調査が目的で。その時、外見からはあまり想像のつかない佐倉の行動や言動に、私は混乱させられていた。
佐倉と目が合う。佐倉が「何だよ」と言いたげな表情をし、私は肩をすくめて返した。
ドアが開き、板花さんが戻ってくる。
これで外商二部のメンバー五人が全員部屋の中にそろったことになる。
「この時間に全員がいるのって、レアだよねぇ」
及川部長が嬉しそうに言い、私も心の中で「たしかに……」と、僭越ながら頷いた。
カフェを辞め、ここでアルバイトをすることに決めてから、半月ほど。
土曜日曜祝日と、平日に学校が早く終わった時には午後七時くらいまで外商部のお手伝い──大事な商品を先輩方に代わって納品しに行ったり、営業事務の補助をしているけれど。
及川部長、板花さん、宮ヶ丘さん、佐倉、それから私の五人全員が午後に揃っていることは、これまで一度もなかった。
基本的には朝ここで朝礼をしたら、それぞれ外出してしまうし、出張も少なくない。
自宅からの直行や外出先からの直帰もざらといった感じで、どうやらそれが外商部の通常営業らしい。
宮ヶ丘さんが「締め日ですからね」と答え、黒飴の包みをほどいた。
及川部長は「締め……そうだった」と言って、目をまんまるに見開いた。
「外出の予定入れちゃった……」
心細そうに言う及川部長に、佐倉が「問題ありません」と言って上長席の方を向く。
「締めの作業は僕がほぼ終わらせています。ですから安心して外出なさってください」
及川部長はそれを聞き、祈るように手を合わせた。
「佐倉君──いつもありがとう」
「とんでもないです」
「いやいや佐倉君と椿さんのアシストがあるから、僕たちはお客様との時間を長く持つことが出来るんだ」
ようしやる気が出てきたと言い、及川部長は両手の拳をぎゅっとさせた。
「僕はこのまま、永田町に行ってきます。暗くなる前には戻ると思うけど、何かあったら連絡ちょうだい」
応接セットの横にあるアイアンのハンガーラックから、仕立てのよさそうな上着を取って袖を通し、及川部長は私たちにそう言った。
「行ってらっしゃいませー」
「お気をつけて」
板花さんや宮ヶ丘さんの見送りを背中で受け止めるようにして、及川部長は颯爽と部屋を出て行った。
紳士然とした風貌ながら、いつもおっとり優しくのんびりとした空気感を持っている及川部長は、政界や経済界のお偉いさんがたを多く顧客に持っていて、実はこの中では一番忙しいようだ。
佐倉が静かに立ち上がり、ドアの近くにある行動予定表の及川部長の行き先欄に、佐倉が「永田町 夕刻戻り予定」と書き足した。
それを見届けると、私たちは、めいめいに作業を再開した。
お昼ご飯は奮発して、虎澤百貨店地下階にある食品街(いわゆるデパ地下)で買ったお弁当をいただいた。
そののち歯みがきが終わったらまた、勉強。
今読んでいるのは男性向けの雑誌で、最新のガジェットやSNSでのマーケティング、チャットGPTなどのAIを仕事で活用する方法が特集されていた。
「外商部で働くには、こういう知識も必要になるんですね」
意外に思ったのを口に出したら、板花さんが答えてくれた。
「当然よー、うちを利用するお客様には経営者やビジネスマンの方もたくさんいらっしゃるんだから。話題についていけなくてボーッとしているわけにはいかないでしょ」
「なるほど……」
唸りながら頷く。ところで、さっき板花さんには「ランチ前に寄って。化粧を直すから」と言われていた。
けれど、ちょうどそのタイミングで板花さんにお客様からの着信があったために、私の顔は板花さんが言うところの「若さで誤魔化しやがっているテキトーな塗り」のままだったりする。
「みなさん新しいものには敏感よ。国内最大手のシンクタンクの調査によるとね、経済的に余裕のある人っていうのはそうじゃない人に比べて、世に出て間もないサービスだったり製品を利用する率が高いんですってよ、男女ともにね」
そういう調査レポートも参考になるからどんどん読みなさいよ? と板花さんは締めくくり、眠たそうにスマートフォンを操作し始めた。
どうやら、締めの作業に身が入らないらしい。
佐倉と宮ヶ丘さんは「ただいま集中中、話しかけるな」のオーラを放って、作業に没頭している。
二人の真剣な表情を見て、何かお手伝いできることがあればと思うものの、今の私に出来ることは電話応対と勉強しかない。
なのでとりあえず、下を向いてインプットを再開する。
でもガジェットだとかチャットGPTだとか、私には馴染みのないワードばかりで……ため息が出そうだ。
ねばり強くページをめくっていると、某通信会社の会長さんがAIどうしで議論をさせて経営の意思決定の参考にしているらしいだとか、そういう噂話みたいな内容も出てきて面白くなってきた。
部屋の中、キーボードを叩く音とタブレットの画面をタップする音が響いて、そこに私が雑誌のページをめくる音が混じる。
来月はおそらく佐倉がやっている作業を私もやらなくてはいけないからそこはプレッシャーではある。
けれど、今はみんなが集中しているある種の静けさが、心地良い──と思った、その時だった。
「ちょっとー!! なんかすごいお仕事きちゃったんですけどー!!」
野太く、かつ素っ頓狂な声が響いて、私は慌てて顔を上げた。
同時に、佐倉と宮ヶ丘さんも「なんだよ……」と言いたそうな顔を板花さんに目をむける。
次回もお楽しみいただけますように!




